第10話 戦闘後の朝の目覚め

 チュンチュンと、どこからか小鳥の囀りが聞こえる。


 うっすらと暖かな陽射しが瞼の表面を優しく撫でまわす。


「ん……あっ? あ、朝かっ……?」


 霧斗はそっと瞼を開けた。


 ぼんやりとした視界の中に、寝息をたてる亜麻色の髪の少女の姿が見えた。


「ギロチーヌちゃん、布団も掛けずに風邪引くよ……」


 血だらけのゴスドレスを着たまま、絨毯に横たわって眠るギロチーヌの姿に、霧斗が居た堪れない想いで身を起こす。

 

「うあっ? なんだこりゃっ? 起き上がれないっ……?」


 ギチギチッと縄の軋む音がする。


 霧斗の腕も足も胴体もそのすべてが縄で縛り付けられ、まるで芋虫のように惨めに床を這いつくばることしかできなかった。


 しかも、胴体に纏わり付く縄の一端が、部屋の机の脚に括り付けられており、芋虫のように移動しようも、机ごと一緒に引きずる形になってしまう。


「ね、眠っている間に強盗でも侵入したのか……?」


 霧斗の胸中に不安が波のように押し寄せる。


 窓を見ればそのガラスが割られたままだ。


 窓の周囲の壁も壊され、どうしようもない程に大きな穴が部屋の内側と外部との間に開けられている。


「窓と壁はスキニング・キャットとアイアン・メイデンが派手に壊したまんまだからな。眠っている間に、あそこから泥棒が侵入したっておかしくはないぞ……」


 霧斗はそう思いながら、何か盗まれた物が無いか気になり、室内を見まわしてみた。


「とくに荒らされたりはしていないし、何も盗まれてはいないようだな……」


 物色された様子も無く、霧斗はホッと安堵の息を漏らすと、ふと違和感を覚えずにはいられなかった。


「そう言えば、変態シスターのバラバラ死体はどこ行ったんだ……?」


 ギロチーヌにその刃で子宮ごと切り刻まれ、バラバラの肉片と化したはずのアイゼルネ・ユングフラウの死体が部屋のどこにも見当らなかった。


 それだけではない。


 部屋中に飛び散ったはずのユングフラウの血飛沫の跡も綺麗さっぱり消えていた。


「いったい、どういうことなんだ……?」


 不自然なほどに綺麗になっている部屋の光景を、霧斗が不思議そうに眺めまわしていると、


「う、う~ん……もう、朝なのぉ……」


 とギロチンの少女が呟く声が聞こえた。


「ギロチーヌちゃん! 大変だ! もしかすると泥棒が入ったかもしれないんだ! ボク、いつの間にか縛られていたんだよ! ねえ、起きてこれ、解いてくれない?」


 霧斗が横たわるギロチーヌの背中に訴える。


「ふあ~ぁ……まだ眠り足りないけど、おはよんっ……」


 欠伸をしながら両腕を伸ばす亜麻色の髪の少女が、白く華奢な両手の指先を絡め合わせる。


「あら、ちゃんと朝まで縛られていてくれてエライわねーっ」


 伸びをし終えたギロチーヌが、縄にのた打ち回る霧斗の姿に微笑む。


「はあああっ? ちゃんと縛られてって……まさかギロチーヌちゃんがボクを縛ったのおおおっ……?」


「ウイ、セ・サ! そのとおりよぉーっ!」


 芋虫のような姿で床を這う霧斗に、亜麻色の髪の少女は静かに頷いた。


「だって男のコと同じ部屋で朝まで二人っきりなんだもん。これくらい厳重に縛らないと安心して眠れないじゃないっ?」


 ギロチーヌはそう言いながら、霧斗の後ろ手に縛られた縄を解いていくのだった。


「いや、そのさ……何もここまで縛らなくてもいいのに。ボクって、そんなに信用されていないのかいっ?」


「男は皆、野獣だって、マリーさんがね、アタシに首を刎ねられる前に言っていたんだもん!」


 器用に縄を解きながら霧斗に答える、亜麻色の髪の少女の世間知らずとも言えなくもない返答に、苛立ちを覚えなかったと言えば正直、嘘になる。


「なんだよっ! そんなにまで信用されてないなら、いっそのこと本当に野獣になってやるーっ!」


 完全にその身の自由になった霧斗が、目の前の亜麻色の髪の少女の胸を鷲掴みにする。


「いやああぁぁぁーっ! 何するのよおぉぉーっ? ギロチン変化! メタモルフォーゼ!」


 胸をもみしだかれたギロチーヌの重ねた両腕が、鋭いギロチンの刃へと瞬時に変化する。


斬首執行デカピタスィョン! 飢えた野獣に愛のギロチンよーっ!」


 重ねた刃が横方向へスライドし、霧斗の首へなだれ込む。


「ぎょえええぇぇぇーっ!」


 スパパパァーンッ!


 弾けるような首斬りのリズムとともに、霧斗の首が空中を舞う。


 ひゅるひゅるひゅるっと回転しながら、霧斗の首が二階の窓から外へと飛んで行く。


「フォアー!」


 ギロチンの少女が腕の刃を口元にかざし、飛んで行く首に思わず叫んだ。


「いけないわっ……どうしてアタシ、好きな男性ひとの首を刎ねちゃったのかしらぁっ……」


 ガラスの無い窓を眺めたまま、ギロチンの少女が涙にむせぶ哀しみの言葉を呟いた。







「ボク、死んだ……?」


 霧斗がハッと気が付くと、瞼の表面を暖かな陽射しが優しく撫でまわしていた。


「く、首は繋がっているみたいだな……?」


 静かに瞼を開いた霧斗がその無事を確かめるべく、自らの首に触れようとする。


「……って、腕も足も全部縛られているじゃんかっ!」


 しかし、首を触って確かめようにも、その腕が縄で後ろ手に厳重に縛られ動かすことができない。


「今は朝なのか……?」


 部屋の中に射しこむ陽射しを霧斗が見やる。


 どこからかチュンチュンと聞こえてくる小鳥の囀りにも耳を澄ます。


 すると、ぼんやりとした視界の中に寝息をたてる亜麻色の髪の少女の姿が見えた。


「なるほど……今回の時間の巻き戻りは、ボクが朝、目を覚ましたところから始まるのか……」


 血だらけのゴスドレスを着たまま、絨毯に横たわって眠るギロチーヌの姿を見ながら霧斗は思うのだった。


 決して、ふざけたつもりではないのだが、確かめてみたいという想いもあった。


 縄を解いてくれたばかりのギロチーヌの胸を鷲掴みにしてしまったのは、縛られたことへの怒りの気持ちの反動もあるにはあった。


 しかし、それだけではない。


 三回目になる今回の時間の巻き戻りが、その経緯はどうであれ、結果的には一つの新たな発見を霧斗の内にもたらしてくれたのだ。


「……巻き戻る時間の開始時点が更新されているっ!」


 思わず独り言が漏れてしまう。


 ギロチーヌに首を刎ねられるたびごとに起きる時間の巻き戻り。


 いったい、どうしてこのような現象が起こるのか、その理由は分からない。


 まるで見えない何者か、例えて言うなら、この世界の時間の流れを操る神のような存在が居て、自分のことを玩んでいる。


 霧斗には、そう思えて仕方が無かった。


 ただ、一つだけ確実に言えることは、ギロチンの少女の胸を霧斗がふざけて触ってしまった時に、時間の巻き戻りが起こる、ということだけだ。


 それも、偶然であろうが意図的にであろうが霧斗がギロチンの少女の胸を触り、首を刎ねられて死んで時間を巻き戻すことで、何か霧斗が超えられなかった課題を霧斗に超えさせようとしている、そんな目に見えない何者かの意志をこの現象には感じてしまう。


「アイアン・メイデンの暴走による拷問博物展での無差別虐殺。この惨劇を防げたから課題はクリア。時間の巻き戻りの開始時点も更新された。そういうことなんだろうか……」


 霧斗がその肢体を縄で縛られたまま、ぼんやりとそう考えていると、


「う、う~ん……もう、朝なのぉ……」


と、目の前で横たわるギロチンの少女の呟く声が聞こえた。


「おはよう。ギロチーヌちゃん」


 霧斗は努めて平静な笑顔を心掛け、ギロチンの少女に朝の挨拶をするのだった。


「ふあ~ぁ……まだ眠り足りないけど、おはよんっ……」


 欠伸をする亜麻色の髪の少女がその両腕の指先を絡めながら、大きく伸びをする。


「あら、ちゃんと朝まで縛られていてくれてエライわねーっ」


 伸びをし終えたギロチーヌは、縄に巻かれた少年に微笑んだ。


 その様子はまるで、言いつけを守り、おとなしくしていた小さな子供を褒める母親のような態度だった。


「ま、まあね……遠い異国の地で出会ったばかりの男の子に対して、身を守ろうとする心がけとしては、とても素晴らしいと思うよ。まあ、相手がボクじゃなければ、きっと、街中に生首が転がることになるわけだしね……」


 霧斗は、ギロチンの少女に縄を解かれながらも終始笑顔を務め、最大限の皮肉を言ってみせた。


「なによぉー。そこらじゅうに生首が転がるみたいな言い方、まるでアタシが野獣の男のヒトと誰彼構わず同じ部屋で寝るみたいな言い方じゃないのぉー! この人って一度心に決めたら、アタシはずっと一途に想い続ける清純派なんだからぁ……」


 野獣の縄を解き終えたギロチーヌはそう言いつつも、霧斗を見つめるその頬を紅潮させていた。


「と、ところで、ギロチーヌちゃんがバラバラにした、変態シスターの死体が無くなっているんだっ!」


 ギロチンの少女が染める赤い頬に気が付く暇も無く、完全にその身体の自由になった霧斗が部屋の床を見まわして叫ぶ。


「いったいどういうことなんだろう? 部屋中に飛び散ったはずのシスターの血飛沫も綺麗サッパリ消えて無くなっているんだよっ?」


「あ、それ片付けたのアタシよぉーっ。真夜中に一人で掃除するのも大変だったんだからぁーっ!」


 まるで目に見えない虫眼鏡で覗くかのように、部屋の壁や柱を隅々まで凝視する霧斗に、ギロチーヌがあっけらかんとした口調で言う。


「はいいいっ? ボクが寝ている間にギロチーヌちゃんが掃除したって言うのかいっ?」


「ウイ、セ・サ! そのとおりよぉーっ!」


 思いがけない返答に驚く霧斗に、ギロチーヌはウインクしながら、ドヤ顔をしてみせた。


「ええっ? じゃあシスターのバラバラになった死体をいったいどこに捨てたんだよっ?」


「ああ、それねー。ええっとぉ、家の玄関の前に『ゴミ捨て場』って書いてある看板のある場所があったから、袋に詰めて、さりげなくそこへ捨てといたわっ」


 バラバラになった死体を処分する、というなんともデリケートかつ反社会的な犯罪の響きが濃厚なフレーズに、ギロチンの少女は笑顔で即答するのだった。


「なんだってえーっ? 家の前のゴミ捨て場にいいいーっ? 近所の人たちやゴミ収集の人に見つかっちゃうじゃないかっ! 行って取り戻して来なくちゃ!」


 霧斗が慌てて部屋のドアを開け、廊下へ飛び出していく。


「まあっ。さりげなく捨てておくのがフランス流なのにぃーっ」


 ギロチーヌは、ハアッと軽く溜め息を吐くと、そのまま霧斗の後を追った。

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