第8話 礼儀正しき訪問者

「う、うわあぁっ? な、なんだあっ?」


「危ないわっ!」


 飛び散るガラスの破片から身を守ろうとする霧斗の上に、ギロチーヌが覆い被さる。


「きゃぁあああぁぁっ!」


 その背中にガラス片の突き刺さったギロチンの少女の悲鳴が響き渡る。


「ギロチーヌちゃあぁぁーんっ!」


 霧斗がギロチーヌを庇おうと身を乗り出したその時、ガラスの割れた窓から一人の少女が部屋の中へ乗り込んできた。


 青いショートの髪の、燕尾服を身に纏う少女。


 きっちりとネクタイを締め、恭しく一礼をしてみる仕草は、まさに貴族に仕える執事そのものといった雰囲気だ。


「お初にお目に掛かります。私の鞭がとんだ粗相をしまして大変失礼致しました」


 そう言って頭を垂れる燕尾服の少女の腕には、細長い鞭が握られていた。


 その先端に無数の固い結び目の付いた、麻でできた、わら束のような見た目の鞭。


 頭をもたげた燕尾服の少女の礼儀正しさとは裏腹に、今にも動き出しそうな躍動感に満ち溢れていた。


「お、お前は、スキニング・キャット……?」


 ギロチーヌを庇いつつ、霧斗が燕尾服の少女を睨み付ける。


「ど、どうしてお前がボクの部屋なんかに……?」


「おや? 初めて会うというのに、私の名前を何故知っているのですか?」


 顔を上げた燕尾服の少女が、首を傾げて不思議そうに霧斗を見やる。


「ふふふ。その通り。私の名前はスキニング・キャット。通常は『スキニング』と呼ばれています。ですが、そうですね……まったく赤の他人である貴方のことです。貴方には『キャット』とでも呼んで貰うことにしましょうか」


 そう言って青髪の燕尾服の少女こと「キャット」は、霧斗への自己紹介を終えると、窓の向こうに目を向けて叫んだ。


「私の挨拶は済んだ。お前も入って来い!」


「アイ……アン……メイ……デン……」


 二階の窓の外から、掠れた女の声が響き渡る。


 ギギギッ……ガガガガガッ……。


 金属の軋む音をたてながら、バキバキバキッと窓の周囲の壁を壊しながら、鉄の人形が霧斗の部屋の中へと入りこんで来た。


「うわあああぁぁぁぁっ! あ、アイアン・メイデンだあああぁぁぁっ……」


 霧斗は恐怖のあまり、ギロチーヌの手を引き、後ずさった。


「ふふふ。アイアン・メイデンよ。この二人に、ご挨拶をしてあげなさい!」


 キャットが怒鳴る。


 すると、鉄の人形はコクリと頷き、その足を前へと踏み出した。


「メイ……デン……強制……執行……」


 鉄の人形の腹部の扉が左右に開かれた。


 扉の裏側から突き出した無数の針が露わになる。


「えぇいっ! この野郎おぉぉーっ!」


 霧斗がすかさず、部屋の隅に置かれていた掃除用のモップを握りしめ、アイアン・メイデンへと立ち向かっていった。


「お前なんてっ! お前なんてえぇぇーっ!」


 霧斗が喚きながらモップの先で、鉄の人形の頭部を叩きつける。


 ガコン、と威勢の良い音がした。


「やったかっ?」


 霧斗がモップの先を見ると、モップはその先端がひしゃげ、途中から圧し折れていた。

 

「うわあぁぁっ……やっぱしモップなんかじゃダメだあぁぁっ!」


 霧斗が半分だけの長さになったモップを放り投げる。


「グググガガッ……妨害者……強制……排除……」


 頭部に受けたモップの打撃などものともせず、アイアン・メイデンがその両腕を霧斗に向い伸ばしていく。


「うわあぁぁっ、放せっ、放せったらっ! コイツめえぇぇっ……」


 アイアン・メイデンの両腕が霧斗の腋の下を掴み上げる。


 霧斗は両方の脇の下からアイアン・メイデンに抱き付かれ、まるで赤ん坊をあやす時にするような、「高い高い」をされた状態で、その身体を宙へと浮き上がらせた。


「こ、こうなったら、やるっきゃないわね……ギ、ギロチン変化……メタモルフォーゼ!」


 ギロチーヌはその身を起き上がらせると、その両腕を交差させた。


 重ねた両腕が瞬時に鋭いギロチンの刃へと変化する。


「ふふふ。させるものですかっ!」


 シュルルルルルッ。


 キャットの握る鞭がギロチーヌに目がけ襲い掛かる。


 襲い来る鞭が、その先端から大きく二股に分かれ出した。


「きゃあぁぁっ! なによっ、この鞭っ! アタシの腕に絡み付くなんてぇ……」


 ギロチーヌの重ねた腕の先端がギロチンの刃と化すも、まだ肉の残されている肘の部分にキャットの二股に分かれた鞭が絡み付く。


「これじゃ斬首執行したくても、狙いが定められないじゃないのよぉーっ!」


 絡み付く鞭が、ギロチーヌの腕の向きを強引に狂わせる。


「ふふふ。私の猫鞭は伸縮自在なロープを用いているのです。絡み付いた鞭の先端のトゲ玉がじわりじわりと貴女の腕の皮を剥いでいく。貴女の腕の肉がすべて削げ落ち、骨だけに変わり果てるまで優雅に締め付け続けてあげましょう……」


 絡み付く鞭の先端の無数の結び目に仕組まれたトゲ玉が、ギロチーヌの両肘の肉を少しずつ剥ぎ取っていく。


「ぐうぅぅぅっ……」


 ギロチーヌは両肘の自由を奪われたまま、呻き苦しんだ。


「ギロチーヌちゃん、しっかりしろおぉぉぉッ……」


 霧斗はアイアン・メイデンに抱き上げられたまま、身動きができずにいる。


 もはや絶体絶命といった窮地に、霧斗とギロチーヌは早くも陥るのだった。


 その時であった。


 二階へと続く階段を、慌てて駆け上がって来る足音が聞こえた。


『腰が抜けてやっと動けるようになったと思えば、さっきから二階でドタンバタンもんの凄い音がしているけど、霧斗、あんた家を壊す気なのっ?』


 霧斗の母親の玉恵の声がドアの向こうから聞こえる。


「か……母さん……き、来ちゃダメだ……」


 虚しく漏れる霧斗の声がドアに向かって放たれる。


『あらっ? 開かないわ……霧斗、あんた部屋にいつの間にか鍵を付けたんじゃないでしょうね? それに外人の女の子を部屋に連れ込んで、あんたいったいどういうつもりなのっ!』


 ガチャガチャとドアノブを廻す音が聞こえるも、部屋のドアは一向に開く気配は無い。


『こらっ、開けなさいっ! 開けなさいったら、霧斗っ!』


 玉恵が必死に叫びながら、激しくドアをドンドンッと叩きつける。


「ふふふ。例のギロチンの始末と、博物展を中止に追い込んだ輩とを始末するのに邪魔が入るといけませんから封じさせて頂きました」


 キャットが握る鞭の柄に力を入れつつ、ドアを睨み付ける。


「さあ、邪魔者が入って来られないうちに、さっさと片付けてしまえ! 何をモタモタしているんです? アイアン・メイデン!」


 キャットが、アイアン・メイデンに目配せをする。


「メイ……デン……強制……執行……」


 鉄の人形が再びコクリとキャットに頷く。


 ギギギッ……ガガガガガッ……。


「うわああぁぁぁああッ! 引きずりこまれるううぅッ……」


 霧斗を「高い高い」するように抱き上げていたアイアン・メイデンの腕が、空洞となった自らの胴体の内部へと抱えた物を引きずり込んでいく。 


「ひぇっ……」


 ゴトンと空洞の底に突き落とされた霧斗が、その尻に冷たい鉄の感触を味わう。


「きゃあ! どうしよおっ? アタシ、助けてあげたくても、腕が動かないしっ……この鞭使い女さえ斬首できれば……」


 キャットの鞭に腕の動きを封じられ、ギロチンの刃の狙いを、目の前の鞭使いの女にさえ合わせることができない。


 ギロチーヌは涙ながらに、目の前の青髪の燕尾服の少女を睨み付けることしかできなかった。


「ふふふ。これであの坊やはお終いです。お前の無力さを思い知りなさい」


 キャットの冷たい微笑が、絶望感に苛まれるギロチンの少女に向けられる。


 ギギギィ……。


 鉄の人形の開かれた腹部が、元に戻ろうとその左右から閉じられようとする。


 その刹那、少年の真っ直ぐな一声が鉄の人形の内部から響き渡った。


「ギ、ギロチーヌちゃん! 斬首執行だ! 君の刃は何処までも届くだろっ?」


 霧斗の迷いの無い叫びに、ギロチンの少女がハッとする。


「そうね! 敵は目の前だけじゃないわ! 斬首執行デカピタスィョン! この首、あの首、飛んでいーけ!」


 あさっての方向を向いたギロチーヌの重ねた刃が、滑り出すように瞬時にスライドする。 

   

 そのまま一直線に伸びていくギロチンが、その途中から放物線を描くようにして湾曲し、鉄の人形の背後へと迫る。


 その間僅か一秒にも満たないであろう瞬間の出来事だ。


 スパァーンと気持ちの良いほどの軽快な音の響きとともに、アイアン・メイデンの首が弾け飛ぶ。


「メメメメ……メイ……デデデデデデ……ンンンンン……」


 くるくるっと部屋中を回転して飛び回る鉄の人形の首が、咆哮にも似た呻き声をあげながら床へ落下していく。


 ギギギ……ガガ……ガタン……。


 頭部を失ったアイアン・メイデンが、その動きを停止する。


「くっ……私の猫鞭までッ!」


 鉄の人形の頭部を切断したギロチンの刃は、それに止まらずギロチーヌの腕を縛り付ける鞭をも切断した。


 ブチブチッという麻の擦り切れる音が響き、ギロチーヌの腕はその拘束から自由となった。


 シュルルルルッと空気に擦れる音をたて、伸びきっていたギロチンの刃が元の位置へと戻っていく。


「やった! ギロチーヌちゃんっ!」


 ギロチーヌの勝利に歓喜した霧斗は、自力で鉄の人形の内部から脱出した。


「アタシ……こんな技が使えるだなんて……自分でも驚きだわ……」


 ギロチンの少女は、自らの交差した腕を驚愕の目で見つめた。


「ふっ。この程度で勝ったなどと思わないで頂きたいですね」


 青髪の少女が冷たく微笑んでみせる。


猫鞭変化ヴァリヤスィョン・ドゥ・フエ・ドゥ・シャ!」


 青髪の少女が青白い光に包まれ、徐々にその身体を変化させていく。


 人間の耳が消滅し、ショートの髪の隙間から尖った猫耳が突き出す。


 両掌は鋭い爪と、肉球の付いた猫のような掌へと変化し、その尻には猫のような尻尾が生え出していく。


「これが私、スキニング・キャット様の正体なのです。にゃん」


 そう言って青髪の少女が両掌の肉球を、霧斗とギロチーヌに向けて微笑む。



「うん、知ってるよ……」


 霧斗はスキニング・キャットの二度目の変化を目の当たりにして、淡々と返事をした。


「君のおっぱいが、とっても小さい、ちっぱいだっていうこともね……」


 霧斗がキャットに向け、照れ気味にボソッと呟く。


「にゃ? にゃんで知っているのですか? 私の胸が小さいということを? にゃん?」


 キャットは猫耳をピクピクさせながら、その頬を赤らめた。


「まあ! 初対面のレディに向かって、そんなことを言うだなんてサイテーっ!」


 ギロチーヌは霧斗を睨み付けると、交差したギロチンの刃を霧斗に向けた。


「ちょっ、ちょっと、ギロチーヌちゃん! まさか今の発言くらいでボクの首を刎ねたりしないよねっ?」


 霧斗は慌てて身を縮こませ、ギロチンの刃から逃れようと身構えた。


「うーん、アナタのレディへの思いやりしだいかなーっ。男は皆、野獣だって、マリーさんがね、アタシに首を刎ねられる前に言ってたのー。もしかして、アナタも野獣なのかしらー?」


 そう言ってギロチーヌが腕の刃を突き出したまま、ジリジリと霧斗に歩み寄る。


「うわああぁっ! ちょっと待ってよ、ギロチーヌちゃん! ぼ、ボクは野獣なんかじゃないってば! ぼ、ボクは女の子を思いやる心は人一倍強いんだから……」


 霧斗が苦しい弁解をしながら後ずさりする。


「にゃん! 私もそんな同情などして欲しくありません。貴方たちはどこまでこの私を馬鹿にすれば気が済むのですか! いいでしょう。本当の恐怖を味あわせてあげましょう! にゃん!」


 キャットは床に転がるアイアン・メイデンの頭部を見やると、猫のような尻尾で転がる頭部をバシンと一打ちした。


「目覚めよ! アイゼルネ・ユングフラウ! にゃん!」


 尻尾の先端の無数の固い結び目に仕組まれたトゲ玉が、鉄の人形の顔を引っ掻く。


 アイアン・メイデンの顔の表面の鉄がガリガリッと削り取られていく。


「ギュワアァァーンッ!」


 苦痛を感じる筈の無い鉄の人形が呻き声を発するとともに、その目をカッと見開いた。


「ど、どういうことっ? あんな首だけになった鉄の人形が唸ったぞっ?」


「きゃあぁぁっ? マリーさんの首みたいに好きなお菓子を教えてくれるのかしらっ?」


 霧斗とギロチーヌが唸る鉄の首に驚き、二人してその目を見開く。


聖処女変化マキヤージュ・ドゥ・ラ・ヴィエルジュ!」


 鉄の人形の頭部が突然、甲高い女の声で呪文を唱え始める。


 すると、部屋の床に薙ぎ倒されていたアイアン・メイデンの胴体部分がズズズッと引きずられるようにして動き出し、離れていた頭部と結合した。


 その瞬間、再結合されたアイアン・メイデンの頭部と胴体が、どす黒い光に包まれた。


 暗黒の輝きの中で鉄の人形の姿が別の形へと変貌を遂げていく。

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