第7話 ジンシンバイバイ? ケスクセ?

「はあ……やっとボクの家に着いたよ……」


 霧斗は二階建ての一軒家の前で溜め息をついた。


 東京郊外に建つ、ごくごく普通の何の特徴も無い平凡な家だ。


 伊乃地家は中古で売りに出されていたこの家を、霧斗が小学校高学年の頃に購入した。


 霧斗の父はバリバリの商社マンで海外を忙しく飛び回っており、せっかく一家団欒のためにと購入したこの家を不在にしていることが多い。


 ちなみに今もアメリカに行っており不在である。


 なので、霧斗は、母親との実質、二人暮らしをしているのだった。


「さて、母さんにはどう説明したらいいものかな……」


 霧斗は頭の中であれやこれやと言い訳だの口実だのを考え込みながら、玄関のドアを開けるのだった。


「ただいま……」


「あら、お帰り、霧斗。慌てて階段を駆け下りるなり、行先も言わずにどこかに急いで出かけて行って、ようやく帰ってきたと思ったら、もう夜の十二時近くよ?」


 霧斗の母親、伊乃地玉恵いのちたまえは帰宅した霧斗の声を聞くなり、ブツブツと小言を言いながら、廊下へと顔を出した。


 四十代前半くらいの、やや小太りで温和な雰囲気の女性だ。


「……まったく、あんたにこんな夜遅くまで一緒に遊んでくれる彼女が居るわけでもあるまいし、いったいどこで何をしてきたって言うんだろうねえ……」


 そこまで言いかけた玉恵の目が、突然、点になった。


「ボンソワール! 初めましてお母さん。アタシ、ギロチーヌです。ギロちゃんって呼んで?」


 霧斗と手を繋いで、その背後から亜麻色の髪の西洋美女が顔を出した。


「きゃあああぁぁぁっ! き、霧斗が、お、女の外人さんを連れて来たあぁぁぁっ?」


 玉恵が絶叫したまま、腰を抜かしてしまう。


「母さん、ごめん。ちょっとこの子、悪い奴らに追われているんだ。ええと、その……そうそう、この子さ、海外の人身売買組織に日本に売り飛ばされて、港から逃げ出してきたところを偶然ボクとばったり会っちゃってさ。だからボクが匿ってあげなきゃなんないんだ……」


 そう言いながら霧斗はグイッとギロチーヌの腕を引くと、

「行こっ! ギロチーヌちゃん!」

と早足で二階へ続く階段を駆け上がるのだった。


「ジンシンバイバイ? ケスクセ?」


 階段の途中、霧斗の後ろでギロチーヌが訊ねる。


「はあっ? ボクおならなんてしてないよっ?」


 振り向きざまにギロチーヌに弁明しつつ、霧斗は自室のドアを開け、部屋の中へと滑り込んだ。


「なんだよーっ? 人のお尻がそんなに臭いかよっ?」


 ドアを内側から閉め、無事に自室へと亜麻色の髪の少女を誘拐することに成功した霧斗が勝利の第一声を発する。


 勝利の第一声は自分のお尻の匂いを指摘する西洋美女を責めたてる声だった。


「アタシ、お尻の話なんてしていないわよぉ? でも、そこまで言われちゃうと気になるわ……どれどれ……?」


 ギロチーヌが床に四つん這いになりながら、霧斗のお尻の匂いをクンクンと嗅ぎ始める。


「うわぁっ? ちょっと、ボクの部屋に入るなり、いきなりこんなエロ展開だなんてっ! ちょっ、ちょっと! ギロチーヌちゃん! お尻にそんなに顔を近づけられたら恥ずかしいじゃないかあっ!」


 霧斗は必死に自らの尻を押さえつつ、自分の部屋の中を逃げ回った。


「うーん。ぜんっぜんっ無臭ね、ムッシュー。日本の男の子はまるでお人形さんみたい。生きている匂いがしないわねー」


 いくら霧斗の尻を追い回しても、何の香りもしなかった。


 ギロチーヌはまるで犬みたいに四つん這いになって追い回すことにもすぐに飽きてしまったようだ。


「そうだよ、ボクだって毎日お風呂に入って清潔にしてるんだ。ケツくせえ、とか急に言い出すギロチーヌちゃんのせいでボクのほうが恥ずかしい思いをしたじゃないか!」


「あーはっはっはっ! おかしいーっ! アタシがケスクセ? と訊いたのをお尻が臭いって言ったと思ったのねー?」


 憤慨する霧斗に、ギロチーヌが思わず吹き出してしまう。


「ち、違うのかいっ? じゃあ、なんでケツくせなんて言ったんだよ?」


「バカねー。あれはフランス語で、それなあに? って訊いたのよー。アナタがジンシンバイバイとか難しい日本語を言うからよー。ねえ、ジンシンバイバイって日本のお菓子の名前かしら?」


 西洋美女から簡単な語学レクチャーを受ける喜びを感じるとともに、少女の告げた不穏な響きを持つ単語が、霧斗の忘れていた記憶を思い出させた。


「そうだ! 人身売買と聞いて思い出したぞ! テレビを点けなきゃ!」


 自分が今、確かめるべきことを思い出した霧斗はそう言って、リモコンに手を伸ばした。 


「……人身売買も誘拐もそんなにたいして変わらないな。ギロチーヌちゃんを誘拐したことがもしかしてニュースになったりしているかもしれないぞ!」


 リモコンを部屋にある小型のテレビ画面に向ける。


 パチッと点けられた画面から漏れ聞こえてくる音声が、順々にニュース番組のものへと切り替えられていく。


『今日午後九時頃、東京都千代田区の拷問博物展に搬送途中のギロチンが何者かによって強奪される事件が発生しました。館内に展示されていたアイアン・メイデンと呼ばれる鉄製の人形も同時に強奪の被害に遭った模様で、これ程の大掛かりな装置を盗み出している点から警察は複数の人間による犯行の可能性が高いと見ています。海外の組織的な窃盗グループによる犯行の可能性も視野に、警察が捜査を始めています。また盗まれたギロチンは明日十五日より公開予定だった、フランス王妃マリー・アントワネットの処刑に使用されたとされるギロチンで、展示の目玉であったギロチンとアイアン・メイデンの二つの展示品が被害に遭ったことから同博物展はしばらくの間、営業の中止を余儀なくされることとなりそうです……』


 女性のキャスターの淡々と読みあげるニュースの内容に、霧斗は違和感を覚えずにはいられなかった。


「ギロチンだけじゃなくて、アイアン・メイデンまでもが盗まれたって、一体どういう事……?」


 霧斗はテレビ画面を見つめながら、まるで独り言のように呟いた。



「ふふふ。こういうことですよ」


 霧斗の部屋の窓の外から、少しハスキーな感じの女の声が漏れ聞こえたかと思うと、いきなりバリーンッと窓ガラスが割れた。

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