第6話 アタシが……皆の幸せを守る……?

「もぉーっ! まったく逃げ足の速い連中だわ! 今度見かけたら絶対、斬首執行してやるんだからっ!」


 雑居ビルのひしめく路地の裏手。


ギロチーヌは追いかける相手を見失い、途方に暮れていた。


「あら? ここドコよ? アタシが展示される博物館がどこだか分かんなくなっちゃったじゃないのよー」


 帰り道が分からなくなり、ギロチーヌが右往左往する。


「まあ、本当に道に迷っちゃった。どうしよう……フランスを遠く離れた、東洋の隅っこのこの島国で、アタシは迷子になったまま独り寂しく死ぬ運命にあるのかしら……」


 悲しげに首をうな垂れ、ギロチーヌはふらふらと一人夜道を彷徨い歩くのだった。


「おーい、ギロチーヌちゃーん!」


 路地の向こうから自らの名を呼ぶ声が聞こえてきた。


その途端、ギロチーヌの沈んだ心にほのかな灯りがともりだした。


「だあれ? アタシの名前を呼ぶのは……?」


 涙ながらにギロチーヌが振り向くと、手を振りながら嬉しそうに自分の元へと駆け寄って来る一人の少年の姿があった。


「あら? アナタはさっきの……」


 前髪で額を隠した少しおとなしめな印象の男の子。


その瞳はクリッとして優しげで、薄手のジャケットを羽織り、地味でもなければオシャレでもない、ごくごく一般的な日本人のフツーの男の子と言った感じだ。


特に気になるというわけではないが、その背丈は少し低めなのか、ギロチーヌの方がその少年の顔を見下ろす形になっていた。


「うん。あのさ、今夜はもう遅いし、良かったらボクの家に来ない?」


 伊乃地霧斗は、その善良そうな瞳を輝かせながら、亜麻色の髪の少女に笑いかけた。


「えぇっ……で、でも、アタシ、今夜は博物館に戻らないといけないの……」


 ギロチーヌが躊躇う素振りを見せる。


「そっか、残念だなあ……ボクね、初めてギロチーヌちゃんのことを見た時ね、なんだかとっても切れ味が良さそうな綺麗で立派なギロチンだなあと思ってね、自分の家で是非ゆっくりお話ししたいなあって思ったんだ。でも、それってボクのワガママだよね。ギロチーヌちゃんにもいろいろ都合があるもんね……」


 霧斗は、うつむいてその表情を曇らせると、声を落として残念そうに言うのだった。


「まあ……そんなにまでアタシのことを……?」


 ギロチーヌの涙腺からジワリと透明な滴が零れ落ちる。


「とても嬉しいわ。アタシね、日本に来る前にもいろんな国の博物館で展示されてきたの。でも、行く先々の国で、やれ錆び錆びの年代物だ、とか、もうスクラップにしてしまえ、とか、酷いことをさんざん言われてきたの……」


 ギロチーヌの零す涙の粒がしだいに大きくなっていく。


「うわあぁぁぁんっ……アタシがずっと言って欲しかった言葉をアナタが言ってくれるだなんて。アタシ、すごく嬉しい……切れ味が良さそう。綺麗で立派。こんな言葉、アタシ、もう二百年以上も聞いていなかったわ……うわあぁぁぁんっ……」


 亜麻色の髪の少女が号泣すると、スッとその目の前に一枚のハンカチが差し出された。


「これ、使いなよ、ギロチーヌちゃん……」


 ハンカチを手に霧斗が善良そうな瞳で号泣する少女に微笑みかける。


「うわあぁぁぁんっ……ありがとう。アナタ、優しいのね……」


 ギロチーヌは、受け取ったハンカチもそのままに、霧斗の肩を抱きしめた。







「ねえ、ちょっと何あの子? 会話の内容がヤバいんだけど……」


「何かヤクでもやってるんじゃね? ぶっとんでるのは、その外見だけにしてほしいよね……」


 土曜の夜と言うのに、なぜかブレザーの制服に身を包んだ二人組の女子高生が、吊革に掴まりながらペラペラと喋り続けているゴスロリ服の少女にチラチラとその視線を送る。

 

「でね、アタシ、どうしても気になって仕方なくて、首を刎ね落とす前にマリーさんに訊いてみたの。アナタは『パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない』って言いましたが、お菓子ってどんなお菓子ですか? って。ケーキなのかキャンディなのかチョコレートなのか気になるじゃない? そしたらね、答えを訊く前にアタシ、間違えて腕を落としちゃって、マリーさんの首、斬り落としちゃったのー」


 亜麻色の髪の少女が、並んで一緒に吊革に掴まる薄手のジャケット姿の少年に言う。


「あ、あのさ、ギロチーヌちゃん。ここ、電車の中だよ? 拷問とかの話はちょっと……」


 霧斗は周囲の視線を気にして車内を見まわしながら、傍らに立つギロチーヌに小声で言った。


 ギロチーヌを霧斗の家へと連れて行く帰りの電車の中だ。


 ヘタに周囲の注目を集めるような真似はしたくない。


「えー、なんでよーっ? この話の続きが面白いんじゃなーいっ! それでね、斬り落としたマリーさんの首がね、チラリと私の方を向いて、『クグロフ』ってボソッと一言、呟いたのよーっ!」


 ギロチーヌは不満そうな表情をすると、わざとなのか途端に大声で話し始めるのだった。


「わあああっ! ギロチーヌちゃん声大きいってば……」


 霧斗が慌ててギロチーヌの口を手で押さえ込もうとする。


「なにそれ、首が喋るとか超ホラーじゃん!」


「ってか、クグロフって何? 何かの呪いの呪文系?」


 ブレザーの制服姿の二人組の女子高生が、ギロチーヌに近寄る。


 二人は西洋美少女のその亜麻色の髪や碧眼の瞳、ゴスロリのドレスなどを物珍しそうにジロジロ見ながら、小馬鹿にしたような口調で言うのだった。


「クグロフはねーっ、フランスのアルザス地方のお菓子だもん! 小麦粉にバターや砂糖、卵、牛乳とかを合わせて、干しぶどうとかを入れた生地を発酵させて焼くんだもん! マリーさんの大好物のお菓子だったのよー」


 ギロチーヌは溢れんばかりの笑顔を二人組の女子高生に向け、フランスの伝統菓子の説明をするのだった。


「ちょ、この子、マジ、キモイんだけど?」


「ホラーとか語ってたと思ったら、急にカワイコぶっちゃって、マジで根性腐りきってるよねー」


 二人組の女子高生が意地悪くケラケラと笑いながら、ギロチーヌを小馬鹿にする。


「なによーっ! アタシがせっかくクグロフのこと説明したのに、腐りきっているってどういうことよーっ?」


 好意的とは言えない二人の反応に、ギロチーヌがその表情を曇らせる。


「ギロチーヌちゃん。知らない子たちに、つっかかるのはやめておきなよ……」


 霧斗は困惑しながらギロチーヌを宥めた。


「ふんっ! あんたの根性が腐りきってるって言う話じゃん!」


「カワイイ顔して、錆び錆びに腐りきったポンコツみたいな根性しているよねー」


 女子高生は二人して舌を出しながらギロチーヌに悪態をつくのだった。


「まあ! アナタたちまでアタシのこと、錆びて腐ったポンコツだって言うのおっ?」


 ギロチーヌが怒り心頭といった様子でその顔を真っ赤に染め上げる。


「もう! 日本に来てまでアタシがこんなにもポンコツ扱いされるだなんてーっ! アッタマきちゃうーっ! ギロチン変化! メタモルフォーゼ!」


 ギロチーヌがその腕を交差させるように重ねると、瞬時に鋭いギロチンの刃へとその腕が変化する。


斬首執行デカピタスィョン! クグロフの呪い、今ここに炸裂よーっ!」


 鋭いギロチンの刃と化したギロチーヌの腕が横方向にスライドし、二人組の女子高生へと襲いかかる。


「わっ、なにこれ? ウチら殺されるっ?」


「ヤバいって! この子、イッちゃってるよっ!」


 二人組の女子高生はガタガタと足を震わせたまま、身動きができないといった様子で立ちすくんでいた。


「危ないっ!」


 霧斗が咄嗟に二人の女子高生を押し倒す。


「ぎぇ……」


「うぎゃ……」


 小さな悲鳴を上げて、床に倒れ込んだ二人の女子高生の上に、霧斗が圧し掛かる。


 ブウン!


 空気を斬る音を響かせながら霧斗の頭上を通過したギロチンの刃が、スパスパスパッと吊革を次々に切り落としていく。


「な、なんだこれっ! 切られちまうぞっ!」


「きゃあああぁぁぁぁッ! お助けぇぇぇッ!」


 車内の乗客が悲鳴を上げながら、その身を床に屈み込ませていく。


「緊急停止ボタンを押せ! 緊急停止だっ!」


 乗客の男性の一人が車両の壁に付いているカバーを外し、中にあるボタンを押そうとその手を触れる。


「だめだよっ! ボタンなんて押しちゃだめだっ!」


 霧斗は二人組の女子高生の上に圧し掛かったまま、顔を上げて叫んだ。


「へっ……?」


 ボタンに触れる手をスッと引いて、男性が霧斗に振り向いたその刹那、ガキンッという衝撃音とともにギロチンの刃がボタンを直撃した。


 キキキキイィィィィッ……。


 その直後、車輪の軋む音を甲高く響かせながら、電車はその車体を前方向へつんのめるように傾かせ停止した。


「はぁ……はぁ……やっと止まった……」


 霧斗は息を切らし、ギロチンの刃が直撃した緊急停止ボタンにその目を向けた。


 横にスライドした刃そのものが霧斗の頭上を掠めたまま、車両の端まで一直線に伸び、緊急停止ボタンを真っ二つに切断していた。


「なんなんだよ、これ……」


 あまりに異様な光景に霧斗がその唾を飲み込む。


「……どんなに遠く離れた相手でも斬れるっていうのか……?」


 今回の時間の巻き戻りまでに四回、ギロチーヌによる斬首執行を見てきたが、すべて至近距離の相手を狙ったものだった。


 これ程までに離れた対象を斬るのは今回が初めてだ。


「あんた、いつまでウチらの胸触ってんのっ!」


「もう終わったんだし、さっさとその手を放せ、変態っ!」


 気が付くと、圧し掛かった霧斗の手が、二人の女子高生の胸をそれぞれに押さえ込んでいた。


 胸を圧迫されながら女子高生たちが霧斗を睨み付けている。


「わああっ! ご、ごめんなさい。ボクは、おっぱいを触るつもりなんてなかったんです……」


 二人の胸から咄嗟に手を放し、霧斗がその身体を起き上がらせる。


「ギ、ギロチーヌちゃん、大丈夫……?」


 霧斗が頭上に伸びるギロチンの刃をその開始地点まで目で辿っていく。


「ふ、ふえぇぇぇん……アタシ、またやっちゃった……」


 亜麻色の髪の少女は、その両腕をスライドさせた状態のまま、泣いていた。


「ア、アタシ……自分でも抑えが効かなくなっちゃって……気が付いたら、腕のギロチンでアタシの悪口を言う人たちの首を刎ねちゃっていたことが、今までにも何度かあったのよ……」


 碧い瞳を悲しげな涙で濡らして語るその言葉を聞くと、同情の気持ちが湧いてしまう。


 しかし、言葉の一つ一つをよく聞くと、何とも自己中心的な、恐ろしい告白である。


「分かっているさ……」


 気付いたら、言葉になっていた。


「……ボクはギロチーヌちゃんのその悪い癖、身をもって体験してきたからね」


 確かに霧斗もギロチーヌの悪口を言った。


 それも会うたびに必ず一度は言っている。


 死んで、時間が巻き戻って、生き返って。


 そんな普通の人間ならば経験しないような、壮絶な体験をしても、必ずギロチーヌに会うたびに一度は悪口を言っている。


「でもさ、そんな悪い癖だって、大切な人の命を守って、皆の幸せを守るための癖に変えていけるかもしれない……」


 自分でもクサい台詞を言っているのは分かっている。


 でも、霧斗は信じていた。アイアン・メイデンやスキニング・キャットたちによる無差別大量殺人を止めることができるのは、今、目の前で泣いている亜麻色の髪の少女だけなのだ。


 あの得体の知れない殺人鬼たちに比べれば、己の犯した行為に罪悪感を味わい泣いているこの少女は、きっと変わっていける。


 いや、自分が変えてみせる。


 霧斗はそう自分に言い聞かせるのだった。


「だから、もう泣かないで。ギロチーヌちゃん……」


 霧斗が亜麻色の髪の少女に笑いかける。


「アタシが……皆の幸せを守る……?」


 ギロチーヌは霧斗にそう問いかけながら、スライドしたままのギロチンの刃を引っ込めた。


「そうさ……ギロチーヌちゃんなら、きっと、守れるさ……」


 ギロチンの少女の問いかけに霧斗がこう答えた、その時、車両のドアが急に開かれた。


「鉄道警察隊です。緊急停止した車内で暴力事件発生との通報が。皆さん、至急こちらのドアからお逃げください!」 


 ドアの外から乗り込んできた制服姿の警察官が呼びかける。


「さあ、行こう。ギロチーヌちゃん」


 霧斗の呼びかけに、亜麻色の髪の少女が後に続く。


「大丈夫? 降りれるかい?」


 先に車両の外へと降りた霧斗が、後に続くギロチーヌにその手を差し伸べる。


「ありがとう。優しいのね……」


 車両の内側から聞こえるギロチーヌの声に、霧斗はハッと我に返った。


「ギ、ギロチーヌちゃん! う、腕戻したっ?」


 思わず大きな声で叫んだ霧斗の手に、柔らかな肌の温もりが触れた。


「きゃっ……そんなに強く握ったら、痛いじゃない……」


 白く華奢な腕を差し出し、恥ずかしげに微笑む、亜麻色の髪の少女の姿がそこにはあった。


「ごめん……」


 霧斗が返したお詫びの台詞も、


「鋭利な刃物を持った凶悪犯がまだ車内に潜伏している。総員、各車両を手分けして探し出せ!」


という警察官の慌ただしい声に掻き消された。


「どうしよっかー。お巡りさんに言うー?」


「元はウチらがふっかけた喧嘩だし、なんかあの子も反省してるみたいだし、黙っとこっか……」


 二人組の女子高生は、お互いにヒソヒソと耳打ちし合いながらも、ギロチンの少女の流した涙を思い浮かべ、そのまま沈黙したのだった。


 その他の乗客たちは、自分たちが目撃したあまりにも異様な現実離れした光景に、皆、一様に呆然としていた。


 結局、誰一人として真実を語ることなく、このギロチン列車緊急停車事件はその幕を閉じたのであった。


「でも、よく考えたら、ギロチーヌちゃんの悪口を言ったから、ボクの首が刎ねられた訳じゃないんだよなあ……」


 避難のために歩く線路の上で、霧斗は独り言を呟いた。


「えっ? なぁに? なんか言った?」


 傍らで亜麻色の髪の少女が問いかける。


「うぅん、なんでもないさ……」


 咄嗟の作り笑いで霧斗が誤魔化す。


 悪口を言って怒らせた時だけじゃないぞ……。


 霧斗はそう思いながら、今回の時間の巻き戻りまでに二度ほど、自分の手がギロチンの少女の豊かな乳房に触れたことを思い出した。


 うん、今度からは十分、気を付けるようにしなくちゃ……。


 柔らかな少女の胸の感触を思い出そうと、霧斗がその胸に触れた自分の掌に目を落とす。


 しかし、そこには亜麻色の髪の少女の、白く華奢な掌が重ねられたままであった。

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