第3話 問い詰める鞭

「おかしいな? どこにも居ないぞ……?」


 霧斗が館内を見渡すも、大学生風の男の姿が見当たらない。


「まず最初に見るとすれば、このギロチンのはずだよな?」


 ギロチンの前にできている大勢の人だかりを掻き分ける。


一人一人の顔をくまなく見ても、この人だかりの中にも大学生風の男の姿は無かった。


「それにしても、本当に錆びて腐ったポンコツだなあ……」


 霧斗の眼前に、腐った木の柱に錆びた刃の吊るされた古ぼけたギロチンが現われる。


 その時だった。


一瞬、錆びた刃がピカッと金色の光を発したように思えた。


「うわっ? なんか光ったぞ?」


 霧斗が目で追うと、光はすぐに消えてしまった。


「気のせいだったのかな……」


 錆びた刃からフッと目を逸らし、霧斗は人だかりの外へ出た。


 すると、女性の形をした鉄製の大きな人形が目に入った。


「アイアン・メイデンだ!」


 目にした瞬間、ゾクゾクッと背筋に冷たいものが走る。


「も、もうすぐこの鉄の人形が、動き出すんだ……」


 開かれたままの人形の腹部の扉に生える無数の釘。


この無数の突起が生身の肉を貫き、喰いちぎるようにその内臓を抉り出す。


 数分後か、数十分後か。


僅かな時間で訪れるであろう残酷極まりない未来の映像ビジョンが脳裏に浮かぶ。


霧斗は緊張からなのか、微かに感じる尿意にその身を震わせた。


「くそっ、なんだってこんな時に……」


 股間を押さえつつ、小走りに霧斗は化粧室を探した。


「やっとトイレが見つかったよ……」


 男性用の化粧室に足を踏み入れると、小便器はすべて使用されていた。


「うわあっ、漏れちゃいそうだよ……」


 霧斗は仕方なく、ドアの開いていた個室へと足を踏み入れた。


「ふう。漏らすくらいなら、こうして個室で用を足しちゃったほうがいいもんね」


 ズボンを下ろして洋式の便座に腰掛け、霧斗は深く溜め息を付いた。


 その時、ポタッ、ポタッ、と赤い滴が便器の中へと垂れ落ちてくることに気付いた。


「へっ? 何この赤い水滴? ボク、鼻血出てる……?」


 霧斗は自分の鼻を触ってみた。指に血が付くわけでもなく、鼻血が出ているわけでもなさそうだ。


「おかしいな。どっかから出血しているわけでもないみたいだしな?」


 腕や腋の下や胸や脇腹など身体のあちこちを調べてみても、出血するような傷は見当たらない。


「もしかして上から?」


 霧斗は天井を見上げてみた。


その瞬間、ドサリと生温かく生臭い何かが霧斗の顔に覆い被さってきた。


「ひ、ひいいいいいいっ」


 霧斗の目に飛び込んだのは、レンズの割れた眼鏡を掛けた男の顔だった。


「わあああああああっ!」


反射的に男の顔を振り払う。


ドアと便器の間にうずくまるように挟まったのは、身体中のあちこちの皮膚を縞状に剥ぎ取られ、血塗れの肉が露出した、あの大学生風の男だった。


「ど、どういうことだよっ? アイアン・メイデンに殺されるはずなのに……?」


 慌てて霧斗が個室のドアを開く。


ドアの開閉とともに床に倒れ込んだ男の遺体を跳び越え、霧斗は男性用化粧室の出入り口から逃げ出そうとした。


「で、出られない……?」


廊下に通じるはずの男性用化粧室の出入り口は、自由に出入りができるように廊下との間に仕切りは設けられていなかった。


しかし、霧斗が一歩、廊下へと足を踏み出そうとすると、爪先が目に見えない何かにぶつかり、押し返されてしまう。


「男性トイレの中に閉じ込められた……?」


 男性用化粧室の奥へと戻り、あらためて見渡す。


小便器を使用している者は誰もおらず、すべての個室のドアも開け放たれていた。


霧斗一人だけが閉じ込められた形となっているようだ。


「お前はどこまで知っている?」


 突然、どこからともなく低い女の声が聞こえてきた。


「だ、誰? ここにはもうボク以外、誰もいないはずだ!」


 霧斗が声の主を懸命に探す。


すると、ポタッ、ポタッ、と霧斗の足元に赤い水滴が垂れ落ちた。


「まさかっ、天井……?」


 霧斗は思いがけず天井を見上げた。


「ご名答。ここですよ」


ニタアと口角を上げて冷たい笑みを浮かべる女の姿がそこにはあった。


青いショートの髪の燕尾服を着た少女が、男性用化粧室の天井に足の踵を付け、逆さまに立っていた。


「君は、博物館の入り口でボクがぶつかった子じゃないか……」


 霧斗は、そのコスプレの似合うことを褒めたばかりの青い髪の少女と、まさかこんな場所でこんな再会の仕方をするなどとは思いもしなかった。


「君、どうしてこんな所に? ここは男子トイレだよ……?」


「ふふふ。まずは、私の問いかけに答えて貰いましょうか」


 青髪の少女は釣り目がちな瞳をキッと鋭く尖らせた。


 シュルルルルルッ。


逆さまの少女の腕から細長い鞭のような物が繰り出される。


 麻でできた細いロープが百本ほど束ねられた、わら束のような見た目の鞭。


一本一本の麻の先端には固い結び目が作られている。


 ビシッという激しく肉を叩きつける音が男性用化粧室に響き渡る。


「ぎゃあああぁぁぁッ! 痛いっ! 痛いよおおおっ!」


 霧斗の右肩に鞭が炸裂する。たった一撃で霧斗の着ていたシャツは破け、皮膚の剥がれた右肩が露出した。


「もう一度訊きますね。お前はどこまで知っている?」


 そう言いながらヒラリとその身を翻し、青髪の少女が化粧室の床に着地する。


「さあ、いい子だから答えなさい。お前がどこまで知っているのかを……」


 青髪の少女が鞭を片手に、霧斗を睨み付けながらジリジリと歩み寄る。


「な、なんのことおっ? ボ、ボクが一体何を知っているって言うんだよぉーっ……」


 恐怖にその身を震わせ、涙ぐみながらも、霧斗は必死に青髪の少女に問い返した。


「ふふふ。そこに死体で転がっている眼鏡の男もそうやってシラを切っていましたよ。博物館の入り口で二人してあんなに大声でアイアン・メイデンの話をしておきながら、何も知らないなんてこと、ありますか?」


 青髪の少女はそう言いながら、その華奢な白い手で霧斗の頬を撫でまわす。


「ア……アイアン・メイデンだって? き、君はどうしてそのことを……?」


 霧斗は頬に触れる手の感触にゾッと身体を竦めながら、怯えるような目で少女の顔を見つめ返した。


「訊いているのはこっちですよ。質問に質問で返すな。このド畜生がっ!」


 青髪の少女はその目を吊り上がらせ、ふたたび手にした鞭で霧斗の腹部を打ちつけた。


「ひいいいいぃぃぃぃ……ボ、ボクは本当に何も知らないんだよおっ……」


 霧斗の腹部の皮膚がシャツの生地ごと捲れ上がり、腹部の肉が露出する。


「そこのマヌケな眼鏡の男と同じように、どうやら貴方もこのスキニング・キャット様の猫鞭で地獄へ送られたいようですね……」


 青髪の少女はそう言って、床に転がる大学生風の男の死体を一瞥しながら、霧斗に冷たく笑いかけた。


「ス、スキニング・キャット? 猫鞭? い、一体、君は何なんだよ……ボ、ボクを殺すつもりなの……?」


 霧斗は聞き慣れない言葉に動揺しつつ、自らの死を覚悟するのだった。


 その時、タ、タ、タ、タ、と廊下を騒がしく駆け巡る音が聞こえてきた。


「はいはーい! その男の子を殺しちゃうのは、ちょーっとタンマ! アタシもその子に訊きたいことがあるのーっ! だから殺しちゃダメだってばあーっ!」


 ダンッと跳躍して男性用化粧室の出入り口から飛び込んで来たのは、セミロングの亜麻色の髪をした碧眼の少女だった。


ゴシック・ロリータのドレスに身を包んだ十代後半くらいのその少女は男性用化粧室に飛び込むなり、いきなり自己紹介を始めた。


「ボンジュール! ジュ マペール ギロチーヌ! まあ日本流に言いますと、アタシの名前はギロチーヌですってとこかなーっ!」


「わあああっ! ギロチーヌちゃん! 助けてよーっ。この前、おっぱい触ったこと謝るからさあーっ」


 霧斗はギロチーヌの姿を見るなり、足を縺れさせながら這いずっていった。


「逃がしませんよ」


 スキニング・キャットと名乗る青髪の少女が、手にした鞭で霧斗の背中を打ちつける。


「ぎょえっ……」


 ビシッと激しく叩きつけた鞭が霧斗のシャツごと背中の皮膚を引き裂いた。


 霧斗が、うつ伏せに床に倒れ込む。


「ふんっ」


青髪の少女の黒のエナメルの革靴が霧斗の背中をグリグリと踏みつける。


「うぎゃあああぁぁぁッ……」


 剥き出しとなった肉を革靴の踵で踏みにじられ、霧斗は壮絶な叫び声をあげた。


「うわぁ、なんだかとっても可哀想……」


 ギロチーヌが前屈みになり、霧斗の顔を覗き込む。


「ねえっ、アタシのこと、錆びて腐ったポンコツって言ったよね? それ、どういう意味っ? あ、それと、おっぱい触ったって、何? アタシがアンタにいつ、おっぱい触らせたのかなー?」


「はああっ? 錆びて腐ったポンコツなんてボク言ってないよっ? それはマリー・アントワネットの首を刎ねたギロチンのことを言っただけだし、おっぱいのことは、ごめん、ついこれから起きる未来の出来事を言っちゃった……って言うか、助けて! ねえ、ボクを助けてくれよおおおっ!」


 霧斗は泣き喚きながら、ギロチーヌに助けを乞うのだった。


「だから! アタシがそのマリーさんの首を刎ねた超本人なんだけど? 人のことポンコツ扱いしたうえに、おっぱいをこれから触るとか、アンタ何言ってくれてるのよ? バカじゃないの?」


 プイッと、ふてくされてギロチーヌはその場を立ち去ろうとしてしまう。


「わああっ、ごめんなさい。許してください。おっぱいは触りませんから。ねえ、行かないでくれってば……」


 霧斗はギロチーヌを引き留めようと必死だった。


「さてはお前、例のギロチンか?」


その時、青髪の少女が立ち去るギロチーヌの背に向け、鞭をしならせた。


「もう! 仕方ないわねー。ギロチン変化! メタモルフォーゼ!」


 足を止め、ギロチーヌが振り返ると、その重ねた両腕が瞬時に鋭い刃へと変形した。


斬首執行デカピタスィョン! 無知なる鞭に裁きを下すわっ!」


 叫んだギロチーヌが重ねた両腕を襲い来る鞭に向ける。


鋭いギロチンの刃と化したギロチーヌの腕が横方向にスライドする。


スパッと歯切れの良い音を響かせ、しなった鞭がその根元から切り落とされる。


「やった! ギロチーヌちゃん!」


 うつ伏せの霧斗は思わずガッツ・ポーズをして喜んだ。


「くっ! 私の猫鞭がッ!」


 青髪の少女は悔しそうに唇を噛むと、


「いいでしょう。私もメタモルフォーゼとやらをお見せしましょう」


と冷たく微笑んでみせた。


猫鞭変化ヴァリヤスィョン・ドゥ・フエ・ドゥ・シャ!」


 青髪の少女が叫ぶとともに、その身体が青白い光に包まれる。


 青白い光の中で、青髪の少女の身体が徐々に変化していく。


人間の耳が消滅したかと思うと、ショートの髪の隙間からケモノのような尖った猫耳が生え出した。


両腕は鋭い爪と肉球の付いたまるで猫のような掌に変わり、燕尾服の背中側のスリットの隙間からは尻尾のような物が生え出した。


ただ、一点、目を惹くのはその尻尾が猫の尻尾のようでありながら、その先端が百本もの細いロープを束ねた鞭のような形になっていることだ。


その一本一本の先端には固い結び目が付けられていた。


「これが私、スキニング・キャット様の正体なのです。にゃん」


 そう言って青髪の少女は両掌の肉球を見せながら、微笑んだ。

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