3.妖精姫の悲劇

 妖精が子供を取り換えている事象だと判明したのは近年になってからのことで、元々「妖精姫」という呼び名は妖精に憑依された女性という意味だったらしい。


「突然見た目の変わった赤ん坊。長じれば妖精が見え、魔力を持っていることが発覚し、更に神秘的な美しい見た目をしている――妖精姫の産む子供も魔法が使えるのではないか、そして王族と番えばより強力な魔力を持つ子供が産まれるのではないかと考えたのは、ある意味自然な事だったでしょう」


 ――最初の妖精姫は公爵家の娘だった。王家に献上させて城の奥に監禁し、初代王の血を引く男たちが入れ代わり立ち代わりその部屋を訪れた。身体の弱かった娘は子を孕む前に死んでしまった。


 数年の時が経ち、次の妖精姫は下級貴族の娘だった。彼女は何人もの子供を産んだが、その魔力の量はどれも誤差の範囲だった。十人目の子供を産んだ後、娘は産後の肥立ちが悪く、在りし日の美貌の影もないボロボロの姿で死んでいった。


「そしてまた数年後、妖精に取り替えられたのは庶民の娘でした。この娘は身分が低いこともあってさらに酷い扱いを受けました。今度は王族だけでなく、魔力を持たない貴族とも番わせたのです」


 妖精姫の血だけでも魔力を持った子供が産まれるかの実験だった。来る日も来る日も踏みにじられ、恐怖と屈辱に耐えかねた娘はとうとう狂ってしまった。


「この姫が今までと違ったのは、妖精との仲の良さでした。彼女は気まぐれな妖精たちから愛され、誰にも侍らない気高い種族まで娘のために魔法を使うほどでした」


 愛する少女への仕打ちを、妖精が許すわけがなかった。やっと探し当てた城の奥で、枯れた喉でヒィヒィと叫ぶだけの娘を見て、妖精たちは怒りに我を忘れた。


「それは恐ろしい夜だったそうです。いかづちが家々を燃やし、地面が割れ、川は溢れ街を沈めました。城は崩落し、この国はほぼ全壊してしまったのです」


 瓦礫から這い出た王子の一人が生き残った国民と共に復興に力を尽くし、またこれを教訓に妖精姫に王妃の身分を与え、国を挙げて大切に扱うと決めたのだった。


「――という経緯なのですが、ジゼル様はどう思われますか」


「死んだ貴族たちはざまあみろって感じですね」


「え?」


「すみません、口が滑りました。やっぱり、妖精姫の血は子孫の魔力量に関係ないのですね」


 そして、希少な存在でありながら大人たちが白い目で見てくる理由もこれで理解できた。同じ言い伝えでも国を救った青年などのポジティブな伝承ではなく、扱いによっては国をも滅ぼす災いの元としてご機嫌取りのための王妃の座なのだ。


 文句なら昔の王族の男たちに言ってくれと思うが、忌々しいと敬遠する気持ちも分からないでもない。


「ですがそれなら、わざわざ王妃にして頂かなくても。私はその娘ほど仲のいい妖精はいませんし……あ、一人変わった子はいるんですけど、その子くらいですし……よっぽど酷い扱いを受けない限り、今の身分のままで充分満足なのですが」


「妖精姫を王妃にするのは今お話した教訓の他に、妖精界と人間界を繋ぐ架け橋になってもらいたいという理由が大きいのです。妖精の姿を見、声を聞くことは取り替え子にしかできません。妖精や魔法と切っても切り離せないこのデルバールを、王と共に守っていって欲しいのです」


 それは国民の願いでもあるのだろう。そして、ジゼルがいくら王妃の座を断っても、生活に関わる伝統を壊すことを恐ろしく思う者も少なくないかもしれない。


「そんなに不安に思われなくても大丈夫ですよ。今の王族にはあのような狼藉を働く方はいらっしゃいませんし、何よりアルベルト様は使用人にもお優しいと有名ですからね」


 問題はそこじゃないのだけれど。


「まあ、もうこんな時間ですか。ではまた来週、今日の続きから学んでいきましょう」


 流石に前世のことを話すわけにもいかず、歴代妖精姫の境遇にやるせなさを感じながら無言で淑女の礼をとった。


✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°


 恒例のお茶会を装った作戦会議で、ジゼルは広げたノートを指さしながら夫人から習ったあれこれをアルベルトに報告していた。


「――という訳で、取り替え子は王妃になる伝統ができたらしいんだ」


「なるほど。胸糞悪い話だな」


 結局、この婚約破棄の難しさを思い知らされただけだった。どんどん進む授業は王妃になるための知識をつける方向に行っていて、王太子との結婚までの道が塗装されていく感覚だ。何とか抗わなくては。


「とりあえず、色々考えたんだけど」


 ジゼルは昨晩書き留めた案を見せる。


「要は妖精と話せる人が王妃になればいいんだから、本物のジゼルを探して連れて来るのが一番いい手だと思うんだよね」


「でも本来の伯爵令嬢の方は人間なんだろ? そんなことできるのか?」


「多分。赤ちゃんの頃から妖精界の空気に晒されて育ってるから、魔力はともかく今ごろ妖精の姿くらい見えるようになってるだろうって、ミーナが」


「ああ、お前の妖精の友達か」


 ただ問題は、とペン先でトントンと紙を叩く。


「人間だから時空の歪みに呑まれてる可能性もあるって。たとえ見つけ出してもまだ赤ちゃんのままだったり、もうとっくに亡くなってたり」


 横の空白に三角を書き加える。デメリットあり。


「で、次はお兄ちゃんの気持ちも関係してくるから私だけじゃ決められないんだけど……アルベルト様って弟がいるよね? 確か私より一つ上の」


「――ああ、うん。腹違いだけどな」


 頷く兄は何となく歯切れが悪い。


 ルイス・クライノート殿下。この国の第二王子で、側室の息子だと聞いている。母親は数年前に亡くなってしまったようで、まだ幼い息子を残していくなんて無念だったろうと胸が痛んだ。


「お兄ちゃんが王座にこだわりがないんだったら、王位継承権を放棄してルイス様に即位してもらえばいいんだよ。ルイス様がどんな方か知らないけど、兄妹で結婚するよりマシだと思うし」


 前世の兄は富や権力に興味がないように見えた。それより楽しく生きていく方が大事だと様々なジャンルに趣味を広げるタイプで、そういう点でもつぐみと気が合っていた。


 だからこの提案にも二つ返事で乗ってくるだろうと思っていたのに、アルベルトは渋い顔をして腕を組んでしまう。


「うーん、確かに俺もいいアイディアだとは思うけど、そんな簡単な話でもないんだよな……」


「そうなの?」


「さっきも言ったとおりルイスは側室の子なんだが、母上がかなり目の敵にしているんだ。流石に表立って暴力までは振るわないけど、城での扱いはかなり悪い」


 王妃とはいえ夫が別の女に産ませた子供の存在が面白くないのは分かる。だがそれは大人たちの問題だ。子供は望んでその環境に生まれてくるわけではない。


「そんな……お兄ちゃん、なんとかしてあげてよ」


「できる限りのことはしてるよ。でも父上は公務以外に関心を示さないし、使用人は王妃に逆らえない。俺が動くにも限界がある」


 虐待を前にして子供ができることなど殆どない。たとえ王太子だとしても。それは分かっているけれど、母親を亡くしたばかりの一人ぼっちの幼い子供がそんな扱いを受け続ければ、心が壊れてしまう。


「母上は俺を即位させたがっている、というかルイスが次期王になるなんて端から思ってすらいない。現に貴族たちも兄弟の扱いの差を見て、俺の側に付いている者ばかりなんだ。ルイスは後ろ盾がない」


 周りの人間から白い目で見られ、会話をする相手すらおらず、孤独に膝を抱えている男の子。伯爵家でのジゼルの境遇とよく似ているから、その辛さが分かってしまう。ジゼルには妖精がいるけれど、王宮の彼は逃げ込む場所すらないのだ。


「というか、つぐみは大丈夫なのか? モントシュタイン家も大概なんだろう」


「私は平気。こう見えて中身は十八歳だし……私のお父さんとお母さんは前世にいるから。これくらいなんてことないよ。お兄ちゃんもいるしね」


 皆に愛された優しい記憶があるから、孤独にはならない。友達も家族も、ジゼルの中にちゃんとある。


「父さんと母さんか……二人もなんとかこの世界に転生してないかな」


「お兄ちゃんとこうやって会えたんだもん。どこかで私たちのこと探してるかもしれないよ」


「そうかもな。そのうちまた会えるかもな」


 前世のことを話す兄は、キリと引き締まった意志の強そうな顔に幼い表情を浮かべる。


「話を戻すけど、ルイスの件について気がかりなことがあってさ」


 顔合わせのあの日に見た古い塔に、王妃が出入りするのを見たことがあるという。


「来週から隣国の会合があって、俺も父上に同行することになっている。外交の場を見ることも王子の務めと言われれば断れない」


 ストッパーである兄が城を空ければ、王妃を止める者はいなくなる。その憎悪の歯止めが効かなくなっても制止できる人間はいない。


「何度聞いても母上ははぐらかすばかりで……ルイスの安全が心配だ」


 そんな話を聞いて放っておくことなどできない。二人して考え込んで、ジゼルははっと顔を上げた。


「ミーナ! ミーナいる?」


 空中に向かって呼びかけると、光を散らしながら唯一の友達が現れる。


「なによう、ジゼル。あんた最近我が強くなったわよね」


「お願いがあるの。来週、アルベルト様が不在の間、この城でルイス様を見張っていてくれない? それで何かあったら私に報告して欲しいんだけど」


「えーっ、嫌よ、なんでこの私がそんなこと」


 ミーナは気さくな性格だがそれでも妖精だ。親切心から人間のために動くことは滅多にない。


「お願い。ルイス様が危ないかもしれないの。お礼にどんなお菓子でも買ってあげるから」


「私からもお願いしたい。どんなものでも取り寄せよう」


 アルベルトも王子として頭を下げる。人間からしたら激しい独り言にしか見えないこの会話を、疑いもなく受け入れてくれることが嬉しい。ミーナもその態度が気に入ったようで、


「王族が頭を垂れる姿を見るのは悪くないわね。しょうがないから協力してあげる。ジゼル、貸し一つだからね」


 グラナート夫人の授業でこの城には頻繁に訪れているが、弟王子には会ったことがない。居住区域が違うのだろうと思っていたけれど、今だって広い敷地のどこかで一人、泣いているのかもしれない。

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