第15話

 カレフで異国の民が集っている商店街や、潮の匂いが強烈な漁港などを順番に見て回りながらも、順調に次の目的地へ向けて歩を進めた。基本的には馬車の中で寛いでいるネウロだが、要所要所で外に出ては、民衆からの熱い声に機嫌よく応えていた。

「外面だけは立派だよなぁ」

 全員が一通り口を付けた異国のパンを胸に抱えていたドルトンは、新たな包みを開けて齧り付く。彼のバカでかい声で皮肉られれば、まず間違いなく耳に届いているだろうに、ネウロ本人は涼しい顔で前を見つめている。

「それで、ここから先の工程は?」

 暑さと疲労で倒れかかっていたアレンは、いつの間にか調子を取り戻し、馬車の前までやって来た。馬車の後ろは、グレイシアとフューリィが警戒してくれている。

「とりあえず、山越えが控えてるな。そこまで大きな峠ではないが、陽が落ちる前に向こうの集落へ辿り着いておきたい」

「じゃあ、もうしばらく行くと海沿いから外れるルートか」

 アレンは何かを察したらしく、黙って何度か頷いた。

「道を知ってるのか?」

 ドルトンはなおも食事を続けながら、意外そうな目で彼を見た。アレンはドルトンのでかい声がよほど鬱陶しいらしく、顔を歪めて「誰でも知ってるだろ、バカ」と言った。

「カドリの谷といえば、古の聖地の一つ。巡礼のための路が幾つかあるんだよ」

 ドルトンはさして関心がないらしく、あまりにも無感情な「へー」をアレンに返した。

 巡礼の路とは知らなかったが、古い街道や関所、それに合わせた宿場が点在しているのは、事前に地図を見て知っていた。実家が書店で、博識な彼には当たり前の知識だろうが、「誰でも知ってる」は言い過ぎな気がする。それに、彼の興味は飽くまでも機械の仕組みや世界の理であって、津々浦々の歴史や地理ではなかったはず。

 ドルトンへの当たりの強さも、何だか妙だ。何か、秘密でもあるのだろうか。

 探るためのキッカケを検討している間に、「そこで曲がるんだよ」と彼に注意されてしまった。

「もっと先で山に向かっても峠は越えられるが、大分大回りになる。近くて楽なのは、こっちのルートだ」

 アレンは正しいルートを指して、みんなを先導する。僕は彼に「ありがとう」と伝えると、彼は「しっかりしろよ、隊長」と言った。

「しかし、目印も少ないのによく分かるな」

 カレフの店で購入してから延々と食事を続けていたドルトンは、流石に全てを腹に収めたらしく、胸の前で抱えていた袋を小さく丸めた。手綱を引いていたセバスチャンは、馬車の上から「お預かりしますよ」とゴミを受け取るべく、手を出した。

 ドルトンは「おお、すまん」とそれを手渡すと、空いた手で水筒の栓を開け、食事を終えた口の中を綺麗に洗う。ゴクリと水を飲み込む音まで、周りに響いた。

 アレンはドルトンの指摘を華麗に無視した。ドルトンも別に、それについて深くツッコまない。僕も無理に触れることなく、目の前でだんだんハッキリしてくる山を眺めながら、足を動かした。

 周囲は既に、街や街道といった雰囲気ではなく、民家がまばらに点在している田園風景と化している。辛うじてこれが旧道だろうと推察できるような、馬車が無理なく通れる幅の畦道が向こうの方まで続いていた。

「そろそろ腹ごなしに準備運動でもしておきたいところだけど、魔物なんて全然出てこないな」

 ドルトンは大きく膨れた腹をさすりながら、辺りを見回した。街と言うには程遠いが、まだまだ集落のハズレといったところ。魔物が出たとしても、野うさぎや小さな蛇、トカゲ程度のものだろう。そんな連中が、数は少なくとも戦力としてはそれなりにありそうな我々に、わざわざ挑んで来ない。

 ただ、ドルトンの懸念も分かる。わざわざ陸路を選んだのだから、これぐらい開けた場所で何度か実戦を重ねておきたい。峠の狭い道でいきなり強敵というのも、避けたいところだ。

「そんなに戦いたいのなら、手を貸してやろうか?」

 馬車の上から、ネウロが顔を出した。すっかり暇を持て余しているらしく、退屈そうにしている。彼はフューリィに視線を送ると、フューリィは荷物の中を探り始めた。

「どうせ我々の馬車はこの先、ペースが落ちる。護衛はハイランド大佐に任せて、先に行こう」

 何かを探していたフューリィは、妙な形をした矢を一本取り出した。取り付けられているものから察するに、ある種の鳴り物、鏑矢の類だろうか。

「退役軍人の諸君らだけの、戦闘訓練だ。どうだ、やるか?」

「おお、いいな。やろう、やろう」

 ドルトンは喜び勇んで同意する。場所を考えてからと思ったが、もうかなり山が近い。耕作放棄された田畑はあるが、民家や民間人への被害も少なさそうだ。ドルトンの意見へ口を挟む前に、フューリィは矢を番え、狙いを定めて宙に放った。鏑矢は奇妙な音を立てながら、空気を切り裂いた。

 その行く末、軌道を見ながらアレンは目を見開いた。

「おい、ちょっと待て。アレは」

 アレンが馬車の方を向いた途端、馬車は急激に加速する。ネウロは「健闘を祈る」と言葉を残し、アッという間に遠ざかって言った。

「ただの挑発だろう? 何をビビって……」

 ドルトンは慌てているアレンを見て、余裕をかましていたが、矢が飛んで行った方向から聞こえてくる地響きに一瞬動きを止めた。彼はゆっくり、そちらに向き直った。視線の先では、小動物に似た魔物が群れを成し、こちらへ突っ込んで来ていた。僕らは慌てて隊列を組み直し、各々の武器を構える。

「何だって、急にあんな」

 ドルトンは最後まで言い切れず、早々に間合いを詰めてきた、足の速い魔物に拳を叩き込んだ。乱戦に向かないアレンは、「ちゃんと見てなかったのか」と叫びながら、器用に距離を取る。

「あの野郎、フェロモンまで飛ばしやがった」

 彼は魔物の突撃を掻い潜り、安全に詠唱へ移れる場所へ移動する。僕はそれに合わせ、露払いに努めた。今朝受け取ったばかりの相棒で、思う存分試し切りする。

「なるほど、そういうことか」

 ドルトンは相槌を入れながら、次々に迫り来る小型の魔物を投げたりぶん殴ったりと忙しない。「無駄口は慎んだ方がいいんじゃないか? 舌を噛むぞ」と忠告すると、「詠唱命のオレが、舌なんて噛まないさ」とアレンは豪快に火の玉を二、三発、魔物の群れに叩き込んでいた。すぐさま身を翻し、次の魔法を唱えにかかった。

 前衛を支援する魔法や、相手を弱体化する類の魔法をかけてくれてもいいのだが、新しい道具の試運転と、勘を取り戻すトレーニングの意味を重視してか、雑魚を蹴散らすための攻撃魔法しか候補にないようだ。いつの間にやら、三つ巴の撃破数争いへと移行していた。

 僕らが討ち漏らし、先にいる馬車へ向かっていく魔物に関しては、フューリィやグレイシアが片手間といった様子で、着実に一匹ずつ仕留めていく。

 羽虫や蛇、うさぎサイズの第一陣を蹴散らすと、今度は野犬や猪、小さめの鹿に似た魔物が突っ込んでくる。この第二陣を凌げれば、鈍った勘を取り戻す準備運動としては十分だろう。乱戦の規模が大きすぎる気もするが、そこは皇太子の悪い癖として受け取っておく。

 常に動きながら、走りながらの戦闘、斬撃や防御の繰り返しが徐々にキツくなってきた。突っ込んでくる相手に対してのカウンターだけならまだしも、大ぶりなドルトンの隙や、詠唱中のアレンを支援するための追撃、目配せはかなり厳しい。

 父との仕事で体力や筋力は落ちていないつもりだったが、やはりこういう動きは生き死にがかかった場所でしか磨けないし、身に付かない。ネウロのやり方はスパルタすぎるが、これぐらいは乗り切れないなら、この先は到底無理なのだろう。

 地上に立ち込めた暗雲のような連中を、なんとか一通り倒し切った。地面に転がった死体は、瞬く間に黒い霧のような瘴気へと姿を変える。アレンはポーチから小瓶を取り出し、僕らの頭上でそれを振り撒いた。教会で祈りが込められた聖水は、僕らの身体にまとわりついた瘴気を浄化するらしい。詳しい効果や効能は、僕にもよく分からない。

 先に警戒を解いたアレンとドルトンは、口々にどちらが多く倒したかを競いながら、先に行った馬車を追いかけた。僕は最後尾で追撃がないか気を配りながら、彼らに続いた。

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