第14話
朝から一頭立ての馬車を伴いながら街道を歩き続け、特に魔物や野生動物との戦闘もなく、貿易で栄えている大きな港町、カレフに辿り着いた。カレフ、ビフレスト間はこの辺りでも主要な街道で、経済的にも文化的にも行き来する物資、人の数もそれなりにある。
龍の襲撃による影響が大きい分、王都であるビフレストの方が経済力や市中の活気において、見劣りするかもしれない。気合の入った武装が浮いてしまいそうな、平和を体現した街だった。
「で、ここからどうするんだ?」
ドルトンは背後の馬車を振り返った。馬車には、御者であるセバスチャンと、ネウロ、付き人と射手を兼ねたフューリィが乗っている。大佐であるグレイシアですら徒歩行軍を強いられているのに、遠くまで見えることが重要だと、見晴らしのいい馬車の上で常に気を張っているらしい。
「一気にマール・ドゥまで行くなら、港だが」
「まだ準備運動も済んでない諸君らが、急に激戦地へ赴いても良いのかな?」
「出発前に、父の息がある間にって言ってたのはお前じゃないか」
ここまで意気揚々と先頭を歩いていたドルトンは、急にネウロへあたり始めた。後ろのフューリィは既に眉を釣り上げているが、ネウロ本人は、この程度の煽りでは感情を露わにしない。
「確かにスピードも重要だが、今回の旅は欠員補充が困難だ。一人でも欠ければ、それだけ生還率も、成功確率も下がる。手を抜いて死に急ぎたいならそれでも構わんが、お前はどうしたい? 指揮官は貴様だ。貴様が決めろ」
ネウロはドルトンに訓示を述べていたかと思いきや、急にこちらへ水を向けた。普段は自分がトップだと偉そうにふんぞり返っているくせに、こういう決め事の時だけお鉢を僕に回してくる。
海路でマール・ドゥまで進めば、カドリの谷は目と鼻の先だ。これから何度か山を越えることを考えると、船旅を選ぶ方が体力も時間も節約できる。ただ、カドリの谷でどれほどの戦いが待っているか、全く想像が及ばない。まだまだ、現役当時の動きや勘を取り戻せたとは思えない。
既に少し疲れた顔をしているドルトンや、僕の横でかなりグッタリしているアレンを見る限り、ここまででも運動量自体はそれなりにあったようだが、戦いとなると話はまた別だ。新しいチームでの連携、実戦もまだ踏めていない。
僕はドルトン、アレンに一言断って、方針を決めた。
「船旅は無しだ。当面は陸路で行こう」
僕の宣言に、ドルトンは「マジかぁ」と頭を抱えた。
「ただ、どこかで食事をしてから先に進もう。休憩は必要だろう?」
「飯? 大賛成だ」
さっきまで項垂れていたドルトンは、急に息を吹き返した。
「こんなところで、のんびり食事を愉しむ暇などあるのかね。陸路を選んだのだろう?」
馬車の上から、ネウロは文句をつける。少し早いとは言え、繁華街の昼時。ネウロを引き連れた昼食は、確かに面倒かもしれない。だが、ここで昼休憩も取らずに歩き続けたところで、ドルトンはともかく、アレンが倒れるかもしれない。
「歩きながら食えばいいんだよ。これは物見遊山、視察の旅なんだろ?」
ドルトンにしては、機転を効かせた妙案だ。国内外との貿易も盛んなカレフなら、そこら中で食べ歩きに向いた物もあるだろう。
「皇太子が食べ歩きなどーー」
後ろで話を聞いていたフューリィが、横から口を挟む。ドルトンの切り返しを聞いていたネウロは、「ーー構わんさ。見られたくなければ、ここで食えばいい」とフューリィの言葉を遮った。
「気に入らんのなら、貴様は携行食でも食えばいい」
ネウロはフューリィの方を見やりながら、荷馬車の奥を顎で示した。フューリィは口を閉じたまま、渋面を作った。ネウロは彼を一顧だにせず、「カーペンター、良い提案だ」とドルトンを褒め称えた。
ドルトンは照れたように後頭部を撫でながら、不意に真剣な表情で鼻をひくつかせた。彼は辺りを嗅ぎ回りながら、徐々に隊列から離れていく。二、三歩進んだところで立ち止まると、「多分、あっちだ」と進む先を指差した。僕は、「道案内は任せるよ」と隊の先導を彼に委ねた。
グレイシアと馬車が、ドルトンの後をついていく。僕はアレンの顔を覗き込み、「そういうことになった。行けるかな?」と尋ねた。彼は血の気が引いた顔を浮かべながら、何度か小刻みに頷いた。
「固形物はキツイが、流動食なら何とかなる」
とても何とかなるようには思えないが、トボトボと馬車に置いていかれないよう、歩き続けている。
「キツかったら、遠慮なく乗せてもらえよ」
アレンは、「ああ、分かってる」と強がった。
「自分のことは、自分でできる。オレのことは気にしなくていい」
彼は突き放そうとするが、心配で仕方がない。現役の頃から、こんなに屋外を歩き続けることもなかった。まだそこまで暑い季節ではないが、陽の光を浴びることすら多くない彼には、厳しいのだろう。フードを目深に被っていても、苦しそうに見える。
「おいっ」
前の方から声を掛けられた。顔を上げると、水筒を握りしめたフューリィがこちらを見ていた。彼は馬車の上から、水筒を放り投げた。それを落とさないように、軌道を良く見極めて受け取った。
「ブックマンに渡してやれ」
フューリィはそれだけ言うと、馬車の幌の中へ引っ込んでしまった。僕は受け取った水筒を、隣のアレンに差し出す。
「まだ始まったばかりだろ? 備蓄は大切にしろよ」
「水の一本や二本、すぐ調達できるさ」
アレンはブツクサ言いながらも、水筒を受け取った。その場で歩きながら、栓を開けた水筒に口を付ける。物凄い勢いで水分を摂ると、大分顔色がマシになった。
目先の気になることが片付いてほっとしていると、香ばしいソースの匂いと、慣れない香辛料の香りが鼻をついた。西の大陸から移ってきた人たちが、物販や飲食の店を連ねている一角へ辿り着いたらしい。
食欲を刺激する匂いに混じり、独特の甘い匂いや、薬っぽい匂いも漂っている。多少の元気を取り戻したアレンは、強い臭いに顔を歪めながら、「すごい臭いだな」と言った。集団の先頭にいたドルトンが、こちらを見た。
「お前らはどうする? オレはここの海産物ナンタラを食うつもりだが」
ドルトンは後ろの店を親指で差した。巨大な海老が、ふわふわの白いパンのようなものに包まれている看板が見えた。外に面した調理場からは、物凄い蒸気が立ち昇っている。海産物の匂いも溶け込んだ、強そうな油もそこら中に漂っていそうだが、あえての蒸し料理らしい。
何種類か買い込んで、片手で食べ歩くにはちょうど良さそうだが、ジャンクと言われれば、ジャンクな気もする。僕は隣のアレンを見やると、彼は意外と乗り気な様子で頷いた。店の方を見ると、既にグレイシアも何かを受け取っていた。
「お前に任せる」
僕がそう言うと、彼は胸を叩いて、「おう。任せとけ」と誇らしげに言った。注文へ赴くドルトンに、アレンは後ろから「横の甘そうなのも頼む」と叫んだ。店の前でこちらを振り返ったドルトンは、親指を立てて「了解だ」と答えた。
昨日飲み歩けなかった反動からか、あるいはネウロの奢りになるからか、ドルトンは気になるものを片っ端から注文した。その結果、店の人も商品の受け渡しに困ったらしく、紙袋にギュウギュウに詰め込んで、ドルトンに渡していた。
ドルトンは上の包みを二つ、三つ馬車のネウロへ渡すと、あとは自分の胸の中に抱え込んだ。僕とアレンは、ドルトンから一つずつ商品を分けてもらい、紙に包まれた熱いままのそれを、器用に火傷しないよう気をつけながら、頬張った。一口齧ると、パンとは違うふわふわ感と、中から溢れ出す熱い汁に驚いた。
混雑する店の前を離れながら、口の中の熱さ、手の中の熱さと熱戦を繰り広げた。周りがカレフ観光にはしゃいでいても、御者のセバスチャンと馬車馬は黙々と自分達の職務を遂行していた。
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