第2話

 久しぶりに訪れた城内に、かつての賑やかさは見られなかった。城内に詰めている兵士も以前ほどは見られず、王に使える従者やメイドといった人材も、この二年ほどで随分減ってしまったようだ。

 召集令状に記載されていた時間より、少し早く着きすぎた。待合室には、あまり見覚えのない顔ばかりが集まっていた。書類の記入や個別の面談までは、まだ少し時間がある。先に、こちらへ預けておいた私物を受け取りに行こう。

 待合室に張り付いていた兵士に声を掛け、手続きの場所を尋ねた。部屋を出て、廊下をまっすぐ進んだ突き当たりを左に曲がれば、あとは道なりだと言う。僕は彼にお礼を言い、すぐに戻ると伝えて指示された通りに城内を進んだ。

 突き当たりを左に曲がり、しばらく道なりに進むと右手に中庭が見えた。まだ復興に着手できておらず、元通りの美しい庭園とは程遠い空き地の中庭で、ソルディ兵士長が新兵に剣の振り方を指導していた。

 それを見ながら回廊を進んでいると、ソルディ兵士長がこちらに気がついたらしく、しばらく二人一組で剣の振り方を確かめ合うように指示を出し、こちらに駆け寄ってきた。

「よう、ブレイズ。久しぶりじゃないか」

 ソルディ兵士長は相変わらず豪快な調子で、僕に話しかけてきた。僕が「指導はいいんですか?」と尋ねると、彼は「それはこっちのセリフだ」と笑った。

「お前が復帰してくれたら、新兵の損耗率はもっと下がる。あんな素振りなんか、すぐ無意味になる」

 彼は僕と喋りながら、備品保管庫の方へ並んで歩く。どうやらしばらく、僕に付き纏うつもりらしい。僕は一定の距離を保ちながら、目的地へ一歩一歩近づいていく。

「お前が真面目なのもよく知ってるし、お前の気持ちも分かるつもりだ。お前の人生、自由に生きたい想いもよ〜く分かるが、除隊なんて取りやめて復帰せんか?」

 ソルディ兵士長の言い分もよく分かる。徴兵でギリギリ成り立っている軍隊には、何十人の新兵より、士官学校出の元隊長を一人連れ戻す方が重要だろう。先祖代々優秀な軍人を輩出している名家の血筋なら、なおさらだ。

 ただーー。

「兵士長に、僕の気持ちは分かりませんよ。あの時の感触も、あの時の絶望も」

 僕は足を止め、ソルディ兵士長の表情が徐々に曇るのを目に焼き付けた。この数年、ほとんど前線に出ることなく、教官として長らく新兵育成係として満足してしまった彼に、僕の味わった絶望的な感触も、暗澹たる日々も、理解できるとは思えない。

 僕は極めてにこやかに言うと、彼はさっきまでの豪快さを引っ込めた。悲壮な面持ちで「そうか。じゃあ」と切り出した彼に、「復帰は絶対にありません」と言い放った。

「なんか、悪かったな」

 ソルディ兵市長は、塩でも振られたみたいに縮こまり、教官らしい自信や尊厳まで失っていた。そんな彼に、僕は「いえ、こちらこそ」と口をついてしまう。ソルディ兵士長は顔を上げ、気持ちを奮い立たせるかのように笑顔を作った。

「また今度、後輩に教えに来てやってくれよ。ちゃんと仕事として発注するからさ」

「もちろん。いつでも歓迎しますよ」

 僕がそう言うと、彼は「絶対だぞ」と僕の手を取り、両手で強く握手した。僕が備品保管庫の前で足を止めると、彼は「じゃあ、また」と、自分の仕事へ戻っていった。

 僕は保管庫の前で番をしていた兵士に名前と目的を伝え、中へ入る扉を開けてもらった。保管庫の中には、返却窓口と書かれたカウンターが三つほど設置されている。僕は一番手前の場所へ行き、呼び出しベルを鳴らした。

 すぐに返事が返って来て、担当の老婆らしき人物が、背中を丸めたまま近づいてきた。彼女に僕が見えているとは思えないが、相手は器用に踏み台に足をかけ、カウンターから上に身を乗り出した。

「それじゃあ、ここに名前と階級をお願いできるかな」

 老婆は震える手で、紙とペンを差し出した。僕は自分の名前と、所属時の階級を記入し、彼女に差し出した。彼女は紙を見て、「ほぅ」と声を上げた。

「ハイランド少佐殿、か。外に疎い私でも、鬼神のハイランドってのは聞いたことがあるよ。そうか、そうか。あんたのことかい」

 彼女は「偉い人が来たもんじゃ」とブツクサ言いながら、カウンターの後ろに林立する棚の中へ入っていった。小さな身体は完全に見えなくなり、遠くの方で何やらゴソゴソ物音が聞こえたかと思うと、老婆は再び小さな身体を左右に揺らしながらこちらへ戻ってきた。

 その手は、煌びやかな剣が一振り入った小さなカゴを握りしめていた。彼女はカゴの重さに少しバランスを崩しながら、カウンターによじ登る。

「預かっとったのは、コレだけかのう。他の物は見当たらんかったわ」

 老婆はカゴを僕の前に差し出した。僕は中の剣を手に取り、煌びやかな刀身を少し抜いてみた。預けた当時のままの汚れが付着している。鞘や柄の装飾も預けた時と何ら変わりがない。目の前で何度か裏表を返し、間違いがないことを確かめた。

「コレで、間違いないです」

「ほうか。そしたら、受け取りのサインをそこに」

 老婆はさっき僕が記入した紙を持ってきて、用紙の隅の方を指した。僕は指示に従い、受け取ったペンで署名した。老婆は僕のサインを確かめると、最後に何やら呪いを唱えた。彼女流の、長生きと幸運のおまじないらしい。

 彼女は空になったかごを足元に回収し、「じゃあの」とカウンターの前から去っていった。僕は剣を腰に佩き、門番の兵士にも挨拶をした。元の道を通って、待合室へ戻る。

 待合室の中へ入ると、大きくてゴツい男と、少し小柄で声の噛んだ男の凸凹コンビがそこにいた。誰とも目を合わせようとしない他のメンツからは明らかに浮いていて、賑やかな二人は僕を見つけるなり、僕の名を呼んだ。僕は周囲の雰囲気に気圧され、少し小さい声で彼らに返事をした。

「何だ、元気がないじゃないか」

 ドルトンは工事現場で声を張り上げていた時のまま、バカでかい声で僕に話しかけてきた。アレンはそれに耳を塞ぐようにして、こちらはこちらで少しキーの高い声でドルトンに文句を言う。

「頭だけじゃなくて、耳までバカになってるぞ」

「バカとは何だ、バカとは。皆に迷惑をかけるお前の方がバカだ」

「何だと。やるか、この筋肉バカ」

「お、やるか? このところ運動不足で鈍ってたんだ。全力で相手してやるぜ」

 長椅子に座っていたドルトンは立ち上がり、その向かいに座っていたアレンも、彼に合わせて立ち上がった。二人は周囲を顧みることなく、ゆっくり身体をほぐして各々の構えを取る。

 入り口に控えている兵士は、止めるつもりがないらしい。周りにいる元軍人も、迷惑そうに距離を取るだけで、割って入る人物は見当たらない。

「魔導石も杖もないお前では、オレに傷の一つもつけられん」

「侮るなよ、筋肉バカ。その油断が命取りになるって、教えてやる」

 二人はお互いに、「何を。やるか?」とどんどんヒートアップしている。僕は、「いい加減にしろよ」と、二人の間に割って入った。両サイドから、肌がビリビリするような殺気が放たれている。並の魔物や野生動物なら、この気迫だけで圧倒できそうだ。

「そんなに元気なら、中庭のソルディ兵士長に挨拶して来いよ。実践で役立つ訓練と、後輩の指導者を募集してたから」

 僕がさっき見て来たことをそのまま話すと、二人は僕をジッと見て徐々に殺気を鎮めて行く。気の抜けた素振りや組み手をするぐらいなら、経験豊富な先輩と、命をかけた模擬戦でもやった方が彼らのためにもなると思ったけど、目の前の二人にそんなつもりはないらしい。

 僕の仲介で治るぐらいなら、最初から揉め事なんて起こさないでもらいたい。でも、こうやって肝を冷やしながら、水と油の二人を仲裁するのも何だか懐かしい。二人も僕に合わせて除隊申請をしてくれたが、軍を離れたとしてもこの街のどこかで仲裁に駆り出され続けると言うのも、それはそれで遠慮願いたい。

 急に毒っけが抜けた二人を前に考えを巡らせていると、待合室に別の兵士、案内係が入ってきた。コレから礼拝堂へ移動して、予備役終了に伴う書類の記入と面談に進むらしい。

 僕らは適当に団子になりながら、兵士の誘導に合わせて待合室を後にした。

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