第3話

 礼拝堂も、除隊して以来だった。王都一、いや我が国随一の広さと格式の高さを誇る、世界でも有数のネオ・チャルカの聖地。

 国王の戴冠式も、僕の入隊式も、昇進の儀も、この場所で行われた。国家にとっても、軍にとっても、個人にとっても思い入れの深い場所が、今は大きな壁で小さな小部屋に仕切られ、事務手続きの部屋へと様変わりしていた。

 所属していた階級が低い順に待合の長椅子へ座らされ、名前を呼ばれたものから順番に、奥の小部屋で書類の記入と面談とを行うようだ。終わった者から順次、出口へ案内されていく。もう、残っている人数はそれほどいない。

 僕は、最後尾に座ったまま、もう一つの仕切りの向こうを眺めていた。そちらには長椅子は一つもなく、広く取られたスペースを埋め尽くすように、多くの棺が置かれていた。棺は一定の間隔で整然と並べられており、その上には瘴気除けの魔法陣が縫い付けられた特別な布が掛けられている。

 赤く染め上げられた分厚い布は、ステンドグラスを通って降り注ぐ光を浴び、煌びやかな雰囲気すら醸し出している。棺の行列を前にして、若い修道女が跪いて熱心に祈りを捧げていた。

「ーーランド。ブレイズ・ハイランド」

 そちらをぼーっと眺めていると、ドルトンが横から僕を突いた。顔をそちらに向けると、アレンが声を潜め、「呼ばれてるぞ」と名前を読み上げていた兵士を指差した。

「ハイランド元少佐は、不在か」

「ココにいるぞ」

 兵士の呼びかけに、ドルトンが代わりに答えた。僕は彼に指さされながら立ち上がり、兵士に「申し訳ない」と頭を下げながら近付いた。彼は背筋を伸ばし、踵を揃えて敬礼をした。

「どうぞ、こちらへ」

 彼は硬い動きで、仕切りの扉を押し開けた。その顔に見覚えはないが、僕は「どうも」とお礼を述べて、中へ入った。中は今までの待合所より狭く、立派な長机と椅子が数脚置いてあるだけだった。

 長机の奥にはネウロが座り、手元の書類を眺めていた。彼の後ろにいるのは、フューリィか。彼は椅子には座らず、体をかがめて後ろから書類を覗き込んでいる。

 ネウロはねっとりとした視線をこちらに向けた。

「よお、ブレイズ。久しぶりじゃないか」

 彼は、手で目の前の椅子を示した。僕に座れと言いたいらしい。

「おいおい、部隊長。元上官に、その態度は失礼だろう」

 後ろのフューリィも、僕に対する敬意は微塵も感じさせず、ニヤニヤと嘲笑を浮かべていた。横から茶化されたにも関わらず、ネウロはそれを特に咎めることなく、「おお、そうだった」と嫌味たっぷりな笑みを浮かべる。

「元上官にこういう手続きというのは初めてでね。多少の無礼は大目に見て頂けるとありがたい」

「大目に見るも何も、咎める権限も立場もない。気にせずやってくれ」

 僕が素朴な作りの椅子に腰を下ろすと、フューリィが机を叩いて僕の胸倉を掴んだ。

「下民が。言葉に気をつけろ」

 どうせいつもの悪ふざけだろうとたかを括っていると、フューリィの目は本気の殺気をたたえ、僕を呪い殺しそうな勢いが込められていた。胸ぐらを掴む腕も、簡単に振り解けそうにない。

 そんな彼の腕に、ネウロは横から手をかけた。

「下民の粗相なぞ、構わんさ。一々めくじらを立てていたら、時間がいくらあっても足りん」

 ネウロの言葉に、フューリィは従った。僕は彼から解放され、改めてネウロと向き合って座る。

「部下がすまんね。色々と、融通が効かないもんでな」

 ネウロはそう言いながら、手元の資料に視線を戻した。

「さて、下民、いや庶民の暮らしはどうかな。元少佐殿」

 彼はフューリィに合図をして、予備役終了の書類を僕の手元へ運ばせた。フューリィは書類を目の前に置くと、手元にペンを置いて元の場所へ戻った。予備役終了の書類には、軍規に関する注意事項、機密に関する諸注意等が記載されている。

 除隊時にも似たような念書を書かされたが、あれとほぼ同等の書類だろう。署名後に違反した場合は、漏れなく処刑というのも、当時と変わりない。変更点は、担当者の名前が、ネウロに変わっているぐらいだろうか。

 僕は手元の資料に目を落としていると、正面からネウロの視線を強く感じた。どうやら、今の問いかけにも答えねばならないらしい。僕は椅子の上で姿勢を整え、顔を上げる。

「大分慣れましたよ。今の暮らしも、そんなに悪いものじゃない」

「下民の生活がねぇ。元々、素質があったのかもしれんな」

 ネウロの言葉に、背後のフューリィが鼻で笑う。ネウロも口の端を上げ、さっきから延々と笑みを浮かべている。僕は特に否定することもなく、適当に「ええ、まあ」と答えた。すると、ネウロは頭を抱え、机に肘をついて項垂れた。フューリィがこれ見よがしに、後ろから擦り寄って声をかける。ネウロは、僕を見ながら顔を上げた。

「私はただ、哀しいんだよ。遠い親戚筋の名家、その家督を継ぐはずの元上官がこの体たらく。おまけに、予備役まで終わらせようとしてる。哀しいとは思わんか、フューリィ」

「お前の気持ちもよく分かるが、相手はただの一般市民だ。汚れた父親の姓を名乗る逃亡者、ただの負け犬さ」

 フューリィの慰めに、ネウロは「おお、そうか。そうだったな」と嘘臭い笑顔を見せた。アレンやドルトンの時は、もっと短い時間でパパッと出てきた気がするが、僕の時だけ特別な茶番を見せられているのだろうか。流石にだんだん、面倒臭くなってきた。

 一々腹を立てても、腹が減って疲れるだけ。もしこの場にいるのが姉さんなら、最初の数秒で目にも止まらぬ一閃で、切り捨てていただろう。

 僕は頭と心のスイッチを切り、感じるのも考えるのも一時停止させた。目の前の彼らが何をしようと、無感情、無感動のまま終わらせよう。

 二人の話を適当に聞き流しながら、手元のペンを握りしめた。面談の流れ、話の進み具合も丸っ切り無視して、署名欄にペンを走らせる。僕がそれを彼らに突き出すと、二人とも不服そうな表情で書類を見つめた。

「それで、いいんだろ?」

「いや、まだ面談が」

 フューリィは席を立とうとする僕に手を伸ばす。僕はそれを払い除けながら、「いくら解かれても、軍務に復帰するつもりはない。引き止めは無駄だ」とネウロに言った。ネウロは書類に何度か目を走らせ、顔を上げた。

「覚悟は確かなようだな。分かった、貴様の申請を受理しよう」

 ネウロはフューリィに「もういい。行かせろ」と声をかけた。僕が出口に向かう間、フューリィは背後で「いいのか、本当に?」とネウロと小声で言い合いを繰り広げていた。

 待合の長椅子へ戻ると、もう誰もいないはずなのに、ドルトンとアレンが二人で居残っていた。僕はそれを見るなり、「あれ?」と声を発した。

「アレって、なんだよ」

 アレンはいつものようにちょっと高い声で、つっけんどんに言う。

「久しぶりに時間が合うから、メシでも行こうって約束してただろ」

 ドルトンがアレンの後ろから、場を弁えない大きな声で言った。僕は、そんな約束をすっかり忘れていた。「ああ、そう言えば」と答えた瞬間、二人は「おいおい、しっかりしろよ。隊長」と口を揃えて言った。

「元だよ、元」

「そんな細かいことはどうでもいいんだよ」

 僕の補足を、ドルトンもアレンも心底どうでもいいことのようにあしらった。今日はそこが大事なんじゃないかと、二人と賑やかに喋っていると、後ろの部屋から書類の束を抱えたネウロ、フューリィがこちらにやって来た。一瞬、僕らの間に緊張が走る。

「まだいたか。ちょうどいい」

 ネウロは脇に抱えていた書類を側にいた兵士に手渡し、所定の場所へ運ぶように指示を出した。ついさっきまで名前を読み上げていた彼は、姿勢を正して命令を受けると、即座に実行へ移した。

「貴様らには別の話がある。お楽しみは、後でも良いかな?」

 ネウロはさっきの会話を聞いていたらしい。その言葉に疑問符はついているようだったが、断る権利はなさそうな目でこちらを見ている。彼の後ろにいるフューリィは、なんでもないようなフリをしながら腰の剣に手を添えた。

 僕らが返答せずにじっとしていると、彼は不意に「よろしい。では、ついてこい」と急に歩き出した。フューリィは顎をしゃくって、着いていけと僕らに指図する。もうその命令を聞く道理はないのだが、剣や帷子の奏でる小気味良い金属音に、勝算のない抵抗をする間抜けさもなかった。

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