壊乱(仮)

仮面ライター

第1話

 玄関のドアを開けて外に出ると、僕は家の中にいる父に向かって、「行ってくる」と声をかけた。彼は眠そうに目を擦りながら、「ああ、気をつけてな」と返事をした。

 僕は長屋の前に停めていた木馬を引っ張り出し、アレンにもらった魔導石を側面の窪みに嵌め込んだ。しばらくすると木馬につけられた発動機が動き始め、把手を捻ると、それに合わせて後ろの大きな車輪が動き始める。

 僕は両手で目の前の把手をしっかり握り締め、石畳の往来を行き来する馬なし馬車や人力の二輪車、馬の流れを見極め、事故を起こさないように注意を払って合流する。

 王都、ビフレストが竜の襲撃を受けてからそろそろ三年。街に残る傷跡は徐々に減り、竜や魔物たちが町中にばら撒いた黒い霧のような瘴気も、司祭や修道士たちの手によって、完全に浄化されつつある。

 国中が竜やその眷属によって傷を負い、王宮前の大通りにかつてのような賑やかさはない。国策として優先的に復興された街並みはすっかり元通りだというのに、人気の少なさや物流の衰退までは、どうしようもなかった。

 高価な資材が回ってこない裏通りは、石を積み上げて作られた素朴な家や、材木の風合いをそのまま使った建築物が並んでいた。小さな商店も人や物の出入りがそれなりにあり、モチゴメを蒸すような匂いや、パンを焼き上げるような匂いが、どこからともなく漂ってくる。

 品揃えと店主の態度が悪くて有名なブックマン書房が、斜め前に見えて来た。その二件ほど手前、十字路の角に当たる部分に新たな集合住宅が立とうとしている。建築現場の前で、実際の物件と図面とを見比べながら、何やら言い合いをしている二人の男が見えた。そのうちの一人、ヘルメットを被ってタオルを両肩にかけている方が、こちらを向いた。

「おお、ブレイズ」

 筋骨隆々の大男ドルトンは、相変わらず大きな声で、周りのことなど一切気にすることなく僕の名を叫んだ。隣にいた少々小柄なメガネの男が、耳を塞いで嫌そうな顔を浮かべている。

 僕は木馬から降りて、魔導石と発動機の接続をオフにした。手で押しながら、二人の側へ行く。

「今度は何?」

 僕はドルトンの持つ図面と、案内版に目をやりながら質問した。カーペンター工務店の職人さんたちが立てる音が凄まじく、ドルトンは「なんて言った?」と馬鹿でかい声で言った。彼は耳に手を添えた。

「何が建つのかって」

「寡婦のための、集合住宅だってよ」

 ドルトンの答えを聞きながら、案内板をしっかり見た。ここ以外にも、女性の一人暮らしに向けた同様の施設が建つらしい。出資元は王家であるケリヨト家と、チャルカ教。遺族手当と慈善事業とが半々の仕組みらしい。

 ドルトンは図面を隣の男に手渡し、僕にどこがどうなるかを口頭で丁寧に説明してくれる。図面を渡された男は、その説明にも苦々しそうな表情を浮かべている。

「アレンは何が気に食わないんだよ」

 僕は工事の音に負けじと、大きめの声で隣の小さな男に声を掛けると、彼は僕の声にも「うるさいな」と言わんばかりに眉を潜めた。

 アレンは図面をドルトンに押し返し、僕を少し見上げる。

「お前なら、言わなくても分かるだろ」

 彼は、両手を広げて僕に訴える。周りを見ると、すぐそこの大通り沿いには大きな建物が並び、その裏を通る道に沿うように、長い影が延々と伸びている。

「ただでさえ日差しが少ないのに、こんなもんが建ったらウチの前は真っ暗だって」

 彼は二件先の実家、ブックマン書房を指差した。確かにここに背の高い建造物が建ってしまうと、ブックマン書房は、入り口から完全に日陰の中になる。

「本にはその方がいいんじゃない?」

「バカ言うな。日光対策ぐらい、ちゃんとしてる」

 アレンは僕に小さな苛立ちをぶつけながら、実家の商売がいかに真っ当かを力説している。ブックマン書房自体は、少なくとも彼のおじいさんの代から続いている老舗。お店の中で本をどう守るかぐらい、やってないとおかしいか。

「それ以上に、うるさくて堪らん」

「そいつはスマンな。社会貢献だと思って、諦めてくれ」

 ドルトンは相変わらずデカい声で、アレンに笑いかけた。アレンは「何が、社会貢献だ」と地団駄を踏む。

「寡婦なんか増えたって、ウチの利益には繋がらん」

 アレンはどんどん目を吊り上げ、ドルトンに文句をぶつけまくる。彼の言い分が最もかどうかは僕にはよく分からないが、騒音で彼の趣味や実験に滞りが出るのは好ましくない。

「兄さん。兄さん!」

 ブックマン書房から、若い女性が出て来た。彼女は僕を見ると、軽く頭を下げて会釈をした。僕もそれに合わせて会釈を返す。アレンは、隣に来た女性に「なんだ、エマ。急用か?」と訊いた。

 エマちゃんは、「別に、急じゃないけど」と前置きする。

「そろそろ王宮へ行く時間じゃないのかって、お母さんが」

「何っ。母さんが?」

 アレンはエマちゃんと何度かやり取りすると、ブックマン書房へ入って行った。エマちゃんは、僕が押している木馬に軽く触れた。

「この子、どうですか?」

 エマちゃんは工事の音にかき消されそうな声で、僕に尋ねた。この木馬は、元々はアレンから彼女に受け継がれたロッキングチェアで、もう使わなくなったものを土台に、アレンが発動機やら車輪やらを付けた一点物。

 改造すると告げられた時は、猛反対したというのも、後でアレンから聞いた。それぐらい大事にしていた木馬を、僕は時々ぞんざいに扱っている。

「凄く良いよ。大事に使わせてもらってる」

「それは良かった」

 エマちゃんはホッとした表情を浮かべ、胸元で両手をモジモジさせ始めた。

「また、ウチにいらっしゃいませんか? お父様もご一緒に夕食でも」

 エマちゃんは上目遣いで、胸元をいじりながら僕を見つめる。僕は、工事の音で半分ぐらい聞こえないフリをしながら、「ああ、うん。また今度ね」と適当に返した。エマちゃんはまだ何か話したかったようだが、ブックマン書房から顔を出したおじさんに呼ばれ、お店の方へ戻っていった。途中、何度かこちらを振り返りながら、僕に手を振ってくれた。

「あ〜あ。罪な男だねぇ」

 工事に勤しんでいたはずのドルトンは、僕の隣で顔の汗を拭いながら、ボソッとつぶやいた。僕が無言で彼を見上げると、彼は「しゃんとしろ、しゃんと」と僕の背中を強く叩く。

「そろそろ時間だろ。さっさと行けよ」

「お前が呼び止めたんだろ?」

 ドルトンは、肩をすくめて知らんフリをする。僕は道の端で魔導石と発動機の接続を再びオンに切り替え、発動機が動き出すのを待って木馬に跨った。

「また後でな」

 僕が木馬を走らせると、ドルトンは大きな声で言った。大きな手を何度か振ると、彼は再び作業に戻っていった。


 王宮、グランド・ノーツの前まで来ると、霧のような小雨が降り出していた。二輪車で走る分には、路面状態はそれほど悪くないが、顔や腕と言った部分はすっかり濡れて、冷たくなっている。

 大きな堀と城壁で囲まれた王宮には、堀を渡る橋とそこに通じる城門を抜けて行かないと、中には入れない。大型の荷馬車等は無申告でも入れるが、僕ら如きの登城では城門の警備部、詰所で身元確認、入城申請が必要になる。

 僕は木馬を城門横の二輪車置き場に入れ、魔導石を外した。雨に濡れながら、詰所の窓口をノックする。僕は王宮から届けられた書類を、そのまま係員に差し出した。

「ブレイズ・フラムさんね」

 窓口の彼は、何やら声に出しながら、手元の資料と僕の書類を指でなぞりながら確かめる。壁の時計を確かめ、書類に記載された時間も確認する。

「ちょっと早いけど、まぁ良いでしょう」

 彼は僕の書類にハンコを押し、それを回収して代わりに青いプレートを差し出した。

「城内では、常にそのプレートを身につけて下さい。って、ご存知ですよね?」

 彼は僕の顔を見ながら、言った。歩行者用の通用口を、窓から乗り出して手で示した。僕は小さなプレートをひっくり返し、安全ピンに気をつけながら服にそれを付ける。

「どうぞ、お入り下さい」

 彼は、こちらに近づいて来た別の案内係に僕を預け、僕が係の先導に従って歩き始めると、勢いよく窓を閉めた。

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