第15話

 食堂へ入る前に、近くに蜂須賀さんしかいないことを確かめ、後ろから声をかけた。

「ちなみに、岡元さんがアイツの可能性はないですか?」

 彼はその場で足を止め、「アイツ?」と、こちらを振り返った。一瞬首を傾げたが、すぐに「ああ、アイツね」と言った。

「ないない。ジャケットの上からだけど体格が全然違うし、戦い方のスタイルも全然似てない。そもそもヴェルデは緑だろ? ジャケット自体が合わない」

 僕のささやかな懸念は、即座に一蹴された。体格やスタイルのことは僕にはよく分からないが、色を含めた見た目が丸っ切り異なるのは、彼に指摘されるまでもない。それに、リペイント程度の差異なら、一ヶ月弱の間に犯人として挙げられていただろう。

「それに、ヴェルデのマイナーチェンジ、改修ジャケットだったとしても、レギュレーション違反のあのパワーは、岡元さん一人で何とかなるモノじゃない」

 ヴェルデのチーム内に、岡元さんと密約を交わしているエンジニアがいるようには思えない。レギュレーション違反がバレれば、チーム自体のお取り潰し、スポンサー企業からのペナルティも課せられる。ただの学生が、コソコソ仕込むものではない。

 でも、さっき彼が醸した雰囲気は、あの時のアイツによく似ていた。確たる証拠はないが、身体の底からゾクゾク震え上がるような感覚は、動物的な感覚として間違っているとは思えない。

「分かった、分かった。委員長に掛け合って、二人を探してもらおう」

 僕を見ていた蜂須賀さんは、笑顔で言った。徐々に人がバラけ始めた懇親会の会場に、今大会の委員長がまだいるようだ。さっきの式典で、壇上に上がって挨拶をしていた偉そうなオジさんだ。後ろの方で話を聞いていなかったのも、多分見えていただろう。蜂須賀さんは僕の手を引き、グイグイ偉そうな人たちの集まりへ近付いていく。僕は近付けば近付くほど、密かに心拍数を高めていた。

「白倉委員長、お話中すみません」

 学長や事務のお偉いさんと談笑していた白倉委員長は、真剣な面持ちの蜂須賀さんに向き直った。

「おお、君は確か、ヤマブキの。大会に間に合って何よりだ」

「その件は、また後ほど」

 蜂須賀さんは「失礼します」と委員長に耳打ちした。委員長は、「何、本当か?」と彼に聞き返した。蜂須賀さんは、「間違いありません」と答えた。

「分かった。強力しよう」

 委員長は早速、近くにいたお偉いさん、その他のスタッフさんへ何やら指示を出していた。委員長の指示がどんどん広がっていき、周囲の楽しそうな雰囲気が一気に静まっていく。委員長は、ハンドマイクが置かれている食堂の中央へ移動した。彼はマイクを拾い上げると、スイッチのオンオフを確かめている。周囲の注目が、自然と委員長に集まった。

「何を言ったんですか?」

 僕は声を潜め、蜂須賀さんに尋ねた。彼は「しー。静かに」と人差し指を立て、委員長の方を見ろと、僕の背中を押した。委員長が、「えーっ」と声を出したところだった。

「大事な懇親会の最中、申し訳ない。これから二人一組に分かれ、校内に潜伏していると思われる、例の黒い奴を捜索してもらう」

 委員長の話に、会場がざわつき始める。彼は私語を注意することなく、話を続ける。

「捜索に当たるのは、ジャケットを装着できるプレイヤーのみ。それ以外のスタッフは、自分達のプレイヤーを補佐して欲しい。また、プレイヤー同士は必ず複数人で行動するように。万が一発見した場合も、無理な戦闘や捕縛は行わず、報告を優先して欲しい」

 委員長は、最後に「以上だ」と告げて、こちらに戻ってきた。会場は一気に騒がしくなり、プレイヤー同士による組み分けが始まっているらしい。

「ありがとうございます」

 蜂須賀さんは、深々と頭を下げた。僕もそれに倣って、慌てて頭を下げる。

「いやいや、いいんだ。大会が始まる前に、不当な輩を確保して、安全を担保するのも重要な仕事だ。始まる前だからこそ、な」

 委員長は僕らにウィンクをすると、いつまでも組み分けが決まりそうにない集まりへ、近付いていった。入れ替わるように、「どういうこと?」と缶ビールを持った早苗さんが、不満気に近付いてきた。

「新人の隠れんぼが上手すぎるってことさ。ほらほら、サポート頼んだ」

 蜂須賀さんの言葉に、まだ疑問符が沢山浮かんでいるようだった。彼は、コミュニケーションの齟齬をそのままに、僕に「行くぞ」と告げた。僕は思わず、「えっ?」と聞き返すと、彼は「オレたち二人で、探しに行くぞ」と言った。

 早苗さんはまだ事情が飲み込めないらしく、「ちょっと」と呼び止めるが、蜂須賀さんは既に外へ向かって走り出していた。僕は後ろ髪を引かれながら、先に走り出した先輩を追いかけた。


 山の形状と元々の自然を生かしたキャンパス内は、建物の影や草むらの奥など、身を潜めるには丁度いい場所が意外とそこら中にあった。隣接する団地や民家との間なども組み合わせれば、無限と言ってもよさそうな充実具合。

 監視カメラの映像からすると、恐らく建物の中ではない。中庭や購買の前を通って正門やバスロータリーへ向かう道も、土曜日とはいえ比較的人目につきやすい。そうなると、物理的には下ではなく、上が有力か。

 先輩は迷い猫でも探すように、高岩と岡元さんの名前を呼びながら、校舎脇の階段を登って上のグラウンドへ抜けた。硬式野球の試合もできるというグラウンドと、その向こうには陸上向けのトラックも見えるが、抜けの良い視界に、高岩や岡元さんらしき姿は見当たらない。

 左手のテニスコートや、その奥に聳える新校舎の周りにも、それらしい人影はなさそうに思えた。

「向こうの駐車場と、あっちの公園の方と、どっちだと思う?」

 蜂須賀さんは、テニスコートの奥と、向こうのグラウンドの更に奥を順番に指差した。向こうの駐車場なら、いの一番に出てきた僕らでなくても、そろそろ手が回るはず。僕は公園の方を選び、蜂須賀さんと共にそちらへ駆け出した。

 距離としては大したことはないが、午前、午後の練習による疲労の蓄積や、階段を駆け登ってきた影響が徐々に出てきた。足取りは重くなり、蜂須賀さんとの距離はどんどん開いていく。自分のワガママで先輩を振り回しているのに、なんだかとても情けない。

 一足先に第二グラウンドへ辿り着いていた蜂須賀さんは、周囲を念入りに警戒し、高岩、岡元さんの名前を呼び続けていた。僕は彼の側へ何とか駆け寄り、「遅れてすみません」と両膝に手をついて息を整えた。

「いや、大丈夫だ。気にするな。それより、この奥も外れな気がするぞ」

 蜂須賀さんは、敷地の境目から奥の公園を見に行った。僕もゆっくり歩いて、そちらへ身を寄せる。彼はついていくのに必死な僕へ、視線を向けた。

「他の人とペアを組んだ方が良かったんじゃないですか? そもそも、僕はプレイヤーじゃないし」

「一秒でも早く、ライバルに追いつきたいんだろ? 少しぐらい無茶して、実戦が一番早いと思ってね。拙かったかな?」

 彼の配慮はありがたいが、万が一の際、僕では戦力として不十分だ。早く高岩が見つかれば良いと思うと同時に、僕らの前で何も起こらなければ良いとも思ってしまう。蜂須賀さんの笑顔に気を取られていると、視界の端から何かが飛び込んで来た。白と黒の塊は、隣にある霊園の方から突っ込んで来たようだ。

 強い衝撃と大きな音に振り返った蜂須賀さんは、「準備できてるな? 早苗ちゃん」とヘッドセットから伸びるマイクに向かって叫んだ。彼は返事を待たず、「ヘンシン」と駆け出した。ヤマブキとなって走り出した先には、地面に横たわる白い奴と、それを見下ろす黒いアイツの姿があった。

 僕も慌てて駆け寄るが、ヤマブキが応援を呼んでいる間に、黒い方は素早くどこかへ跳んでいく。白い方はそれを追いかけるべく立ちあがろうとするが、途中で力尽きた。

「そっちは頼んだ」

 蜂須賀さんは、応援がまだ駆けつけていないのに、一人で黒い奴の後を追った。僕は心配でそちらを目で追いかけたが、あっという間に見えなくなった。よそ見をしていると、足元で白い光がフワリと舞った。白いジャケットの下から姿を現したのは、傷だらけの高岩だった。

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