第14話

 中庭に出ると、幾つか無造作に設置されているベンチに高岩が腰掛けていた。彼にしては珍しく、警戒が緩んでいるようだった。

 僕が近づくと、手足を投げ出すように座ったまま、顔をこちらに向けた。

「懇親会は、終わったのか?」

 高岩は大して旨くも無さそうに、手に持っていた缶コーヒーを口元に運ぶ。僕は空いている場所へ腰を下ろし、「まだ終わってねぇよ」と言った。

「お前がいないから、呼びに来たんだろ?」

 僕は、目の前に広がる景色をぼんやり眺めながら言った。彼は「そうか」と呟いた。

「こんなところで、何してたんだ?」

 僕はつい、「こんなところ」と評したが、景色の抜けがよく、空も広く見える割には周りの建物と太陽の位置関係が絶妙で、見事な日陰になっている。彼は「何も」と答えた。「こんなところ」で何もしていないなら、食堂で懇親会に参加するべきだろう。あとは卒業するだけの最上級生ならまだしも、チームに入りたての新人なら尚更。

 ただ、人が沢山いて賑やかな場所に身を置くよりは、風や陽の光が心地いいここで、スズメや鳩、時折草むらを彷徨くネコでも眺めている方が、幾らかマシな気もしてくる。僕も高岩ほどの人嫌いではないが、彼が好むものも、嫌いではない。

 横目で高岩の様子を伺うと、彼は優しい目で目の前の木々を見つめている。僕がどれだけ複雑な感情を彼に抱いているか、彼はきっと知らないだろうし、知ったところでなんとも思わないのだろう。その達観した姿勢に、僕は甘えてしまっている。

 己の未熟さを、文句を言わない誰かになすりつけている。その醜さも自分なんだよな。しっかり向き合って、受け止めよう。僕は大きく息を吸って、口からゆっくり長く、息と嫌な思いを吐き出した。隣でそれを見ていた高岩が、「いい顔になったな」と笑ってくれた。

「お友達と随分楽しそうじゃないか、博文」

 高岩は声が聞こえてきた方を、キッと睨んだ。彼の視線を辿ると、岡元さんが立っていた。そういえば彼も、懇親会の会場で見かけなかった気がする。いつの間に抜け出してきたのだろう?

 岡元さんは一歩一歩踏みしめながら、こちらに近づいてくる。

「標的自身に戦う力を授けるとは、やるじゃないか」

 岡元さんが何を言いたいのか、全く理解できない。ただ、いつも以上に怪しい雰囲気を漂わせている。高岩は僕に小声で「立て」と言った。僕が聞き返すと、「いいから、早く立て」と繰り返し、僕を無理やり立ち上がらせた。自分も一緒に立ち上がると、僕の背中を強く押し出した。

 彼は岡元さんと向き合いながら、僕にも目配せする。

「会場へ戻れ。早く」

「戻るけど、お前も一緒に」

 高岩の視線がこちらに向けられた瞬間、岡元さんの腕が僕に伸びてきた。彼の腕が僕の胸ぐらを掴む前に、高岩は間に割って入った。岡元さんは高岩を力尽くで跳ね除ける。

「中途半端は良くないなぁ。かえって潰したくなる」

 岡元さんはいつものように優しい表情、穏やかな口調でこちらに迫ってくる。全身から放たれる威圧感は、身に覚えがあった。ジリジリと距離を詰めてくる岡元さんに、高岩は後ろから身体をぶつける。

「とにかく走れ。さっさと会場へ行け」

 高岩の叫びに、僕は頷いた。彼が岡元さんを足止めしている間に、食堂へ辿り着かねば。僕は後ろを顧みず、とにかく全力で懇親会の会場へ戻った。中は先ほどと大差なく、和やかな雰囲気で立食パーティが行われていた。

 僕が会場の隅で息を切らしていると、蜂須賀さんが「どうした?」と声をかけてきた。僕は彼に飲み物をもらって息を整えると、「外で、高岩と岡元さんが」と彼に伝えた。

「高岩と岡元さん?」

 蜂須賀さんは顔を上げ、会場を見回した。

「そう言えば、岡元さんもいないな」

 蜂須賀さんは近くを通りかかった上級生に、「ヴェルデのチームはあそこだよな?」と食堂の一角、緑のシャツを着た人だかりを指した。上級生は、「ええ、そうですよ」と頷いた。ヴェルデのチームは一箇所へ集まっているのに、岡元さんの不在を気にしていないらしい。

「岡元さんと高岩がなんだって?」

 蜂須賀さんは改めて状況を確かめるように、僕に尋ねた。僕は、彼を巻き込んだ前の事件を思い出し、どう伝えるか、何を伝えるか一瞬迷ったが、「とにかく、外に来てください」と、彼の腕を掴んで中庭に出た。近くで話を聞いていたロッソの前田さん、アズールの横山さんまで、一緒に来てくれた。

 再び中庭に出てみると、岡元さんどころか、高岩の姿も見えなかった。念の為、三人の先輩が手分けして辺りを確認してくれたが、高岩も岡元さんも、どこにも見当たらない。蜂須賀さんは付き合ってくれた二人にお礼を伝え、僕を隣に立たせ、「お騒がせして、すみませんでした」と一緒に頭を下げた。

「いやいや、良いよ」

「そうだ、そうだ。気にすんな」

 二人は気持ちのいい笑顔で、頭を上げろと言ってくれた。

「君らの事件は、オレらも気になってるからな」

「黒のヤロウもとっちめたいし、お前がもう一回病院送りになるのも見たくないしな」

 前田さんも、横山さんも、どうやらいい人らしい。彼らと蜂須賀さんが笑顔で感謝や握手を交わす様は、見ている側の心も洗われる。日曜日を挟んだ次の月曜日から、彼らが激しくぶつかり合う大会が、三日間に渡って開催されるとはとても思えない。

「高岩も、岡元さんも、どこ行ったんだ?」

 食堂の外に出た我々は、もう一度建物の中へ戻った。岡元さんが不在なのもよろしくないし、高岩が無断で帰ったのなら、ヤマブキのチームとしていいことではない。会場にまだいたヴェルデのチームに、蜂須賀さんと共に声を掛けた。

「え、その辺にいませんか?」

 ヴェルデのメカニック代表っぽい先輩は、気のない様子で言った。チームの重要人物だろうに、普段からどこにいるか、あまり関心を持たれていないらしい。

「いっつもフラッといなくなるんですよね」

「練習とか、トレーニングの時は?」

「それも、先輩主導というか、お互いに勝手にやってるというか」

 その回答に、思わず蜂須賀さんと顔を見合わせた。チームごとにそれぞれの事情はあると思うが、上位チームであるはずのヴェルデがそんな運営方法だったとは思いも寄らなかった。良く言えば適当、悪く言えば杜撰。それでも勝ち続けているから、文句はつけられない。

 この様子では、チームの誰に話を聞いても大した情報は得られまい。僕と蜂須賀さんは彼らに礼を伝え、その場を離れた。

「高岩の連絡先は? ケータイに電話してみるとか」

 蜂須賀さんは、僕の顔を見た。僕が首を振ると、「え〜、今どき?」と蜂須賀さんは驚いていた。

「何々? 二人で楽しそうじゃん」

 缶ビールを片手に顔を赤らめている早苗さんが、後ろからぶつかって来た。短い時間に相当飲んだらしく、若干酒臭い。酔うとさらに距離感が縮まるらしく、その近さにドギマギしていると、蜂須賀さんが「期待の新人が行方不明でね」と彼女に答えた。

「期待の新人? ああ、君のトレーナーな。そう言えばいないな」

 彼女は持っていたビールを飲み干すと、缶を握り潰した。

「私に断りもなく、酒席を抜け出すとは」

 彼女は食堂の片隅に設けられていた荷物置き場から、自分の白衣を取ってくるとそれを羽織った。ポケットに両手を突っ込み、蜂須賀さんと僕に、「行くぞ」と声を掛けた。

「行くぞって、どこに?」

「そこの、第二職員室」

 早苗さんは先頭で風を切りながら、食堂横の職員室へ足を踏み入れた。彼女の姿を認めた職員は、「立ち入り禁止」を見ないふりして中へ招き入れてくれた。普段は入れないカウンター内へ入ると、さらにその奥の部屋へ職員と共に進んでいく。

 ドアの奥は、監視カメラの映像が見られる部屋になっていた。各校舎の映像から、キャンパス内へ入るための全出入口を抑えたモノまで、全部が揃っている。目の前のモニターで今の映像を確かめると、どこにも高岩、岡元さんの姿は確認できない。

 映らない場所や死角も沢山あるが、学生が立ち入りそうな場所は概ね抑えてある。早苗さんは巨大な器材の前に座ると、過去の映像を確かめるべく、僕には良く分からないボタンを操作しまくった。

「絶対に見つけてやるからね」

 酔いも相まって可愛らしく、艶っぽく宣言したのに、高岩の姿も、岡元さんの姿も見つけられなかった。裏を返せば、二人ともキャンパス内には残っているはず。「あれ〜、おかしいな」と首を傾げる早苗さんを連れて、僕と蜂須賀さんは食堂へ戻った。

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