第7話
最後に記録された破損状態のジャケットを、ベストなデータと重ね合わせる。自動で認識できていない破損箇所を指摘し、修復箇所を足し引きしていく。神経のように張り巡らされているセンサーも、破断箇所と繋ぐべき線を確認し、間違いがないかをチェックする。
一通りのデータ入力、作業指示の修正を行えば、後は機械が自動的に修復してくれる。新たな指示書に基づいて、図面の最適化、素材の配分をやり直し始めた。
マスクの方も同様に作業を施し、後は機械任せで完了だと思いきや、手が空いた早苗さんは、僕と高岩を立ち上がらせ、横に並ばせた。その場でグルグル回らされ、背中合わせの状態で巻尺を垂らされた。
高岩の方が、僕より僅かに背が高い。腰の位置も高く、顔の大きさ自体はさほど変わらないが、体格を加味すれば、彼の方がプロポーションが良い。
「ちょっと、ごめんね」
早苗さんは一言断ると、服の上から身体を触り始めた。彼女は、「ふ〜ん、なるほど」などと時々声を漏らしながら、胸の厚さや腕、腿の太さなどを確かめている。衆人環視の中とは言え、異性の先輩に身体を触られるのは何となくこそばゆい。僕は変な声を漏らしそうになったが、高岩は最初から最後まで平然とした面持ちで、リアクション一つなくボディチェックを終えた。
早苗先輩はメモを見ながら、他の先輩たちと何か打ち合わせを始めた。僕はそれを尻目に、半ば尊敬、半ば理解不能の眼差しで高岩をジッと見た。彼は、僕に「なんだ?」と呟くが、僕は「何でもない」としか返せなかった。
話し合いを終えた早苗先輩は、横の棚から山積みになっていたバックルを一つ取り出した。蜂須賀先輩が持っていたものと比べると、少し造りが雑というか、ちゃちく見える。早苗さんは僕らの前に立ち、高岩に指を差した。
「無愛想な君は、高岩くんだっけ。富永くんには悪いんだけど、君の方が蜂須賀に近いかな」
早苗さんは高岩を手招きして、隣の部屋へ彼を連れて行った。隣の様子がよく分かるよう、仕切りはガラスかアクリルを使った透明な素材で作られていた。早苗先輩は、高岩の腰にバックルを着け、ベルトを出現させた。隣の部屋から早苗さんだけが戻ってくる。
高岩に部屋の中央へ移動するように指示を出し、彼は素直に従った。
僕はワクワク半分、悔しさ半分で高岩の身に起こることを眺めていた。
「今から強制的にジャケットを送信するよ。ユーコピー?」
早苗さんの投げかけに、高岩は一拍遅れて「アイコピー」と返した。早苗さんはそれに頷くと、例の装置のスイッチを入れた。大気中の膨大なナノマシンが高岩のバックルを中心に動き始め、彼の身体にヤマブキのジャケットを形成していく。あくまでも蜂須賀さんのサイズに設定された、修復データを元にしたヤマブキが出来上がる。ただし、首から上のマスクはない。
高岩は手首のボタンを操作して、余計な隙間をアジャストさせる。僕より近いとは言え、微妙に蜂須賀さんと背格好が違うからか、マスクがないからか、以前見たヤマブキとはかなり違う気がする。
「やっぱり、データ、シミュレーションは良くても、全然ダメだね」
早苗さんは明るく笑うと、高岩にその場でゆっくり回るように指示を出した。彼は言われた通り、横を向き、しっかり間を取って後ろを向いた。前後左右、四方がどうなっているか、先輩たちにちゃんと見せつける。先輩たちは、修復が間に合っていない箇所を細かく記録した。
「彼、本当に初めてなんですよね?」
まだ名前を聞いていないオペレーターっぽい先輩が、早苗さんを見上げた。早苗さんは両腕を組み、高岩をジッと見て、「そのはずだけどね」と楽しそうに言った。高岩のことを誇らしく思う反面、彼を妬ましく思う気持ちも感じている。
「じゃあ、マスクも行ってみようか」
早苗さんはさっきと同様に、高岩と指示の確認を行い、小さい方の機械を操作した。ジャケット同様、瞬く間に高岩の顔が見えなくなり、ヤマブキのマスクが生成された。マスクの方は、大きな問題はなさそうだった。高岩は、早苗さんの指示に従い、もう一度その場でグルリと回る。割れていた部分の、違う素材の合わせ目っぽいところが修復が甘いようだった。
「着けてみた感じは、どう?」
ヤマブキどころか、EVAジャケットすら初めて着けたはずの高岩に、装着に関する真っ当な感想など、出るはずもない。高岩はマスクもつけた状態で、軽く右手の動きを確かめている。頭を大きく動かして、周囲をゆっくり見回す。
「外部カメラのセンシングが若干甘い。それと、操作に対するジャケットの反応も微妙に鈍い。末端は逆に過敏で、バランスが悪い」
高岩のフィードバックを元に、オペレーターチームがデータを確かめる。彼らは高岩の指摘が真っ当なことを確認し、早苗さんに視線を送った。早苗さんは高岩に「ありがとう。もう、解除していいわ」と指示を出した。高岩は、バックルの上についていたボタンを押し、ジャケットとマスクを脱ぎ去った。
早苗さんはペットボトルを持って、隣の部屋に足を踏み入れた。高岩からバックルを受け取りながら、彼にペットボトルを差し出すが、高岩はそれを受け取るだけで、開けたり、口をつける様子はなかった。
高岩が早苗さんと共に、こちらの部屋へ戻ってくると、彼はオペレーターチームに取り囲まれ、英雄のようにチヤホヤされた。彼はそれが微塵も嬉しくないようで、困惑した表情を浮かべていた。残念ながら僕は、素直にそこへ加わることができなかった。
そんな僕の側まで来た早苗さんは、修復データを新たに調整しながら、「すごいね、君の友達」と僕に呟いた。
「装着も初めてだろうに、汗の一つもかいてない」
彼女の言葉に、僕は改めて高岩の様子を確かめた。初めての体験に興奮することも緊張することもなく、指示以上の動きをやってみせた。おまけに、大きな機材があって強めに冷房が効いたこちらの部屋ならまだしも、隣の部屋は特別な調整はされていない。快適とは言い難いEVAジャケットを着ておいて、汗もかかないというのは異常とも言える。
それ以前に、高岩と僕は友達なのか? 正直、微妙な気がしてきた。今は、自分の嫉妬心に気付かされたのが悔しくて、だんだん嫌いになりつつもある。
「今は修復が最優先。アナタもそのうち、着れるからそんな顔しない」
早苗さんに指摘されるまでもなく、ただの適材適所というのは頭では理解している。ただ、気持ちが追いついていない。できるだけ高岩の方を見ないようにしながら、深呼吸で気持ちを切り替える。
「初着用であれだけ動けるなら、動作チェックも彼で行けそうですね」
オペレーターの先輩が、早苗さんに話しかけた。彼女は高岩の方を見ながら、頷いた。
「新しい蜂須賀の記録って、どれだっけ?」
早苗さんは、ハッと何かを思いついたように近くの引き出しを開けた。中には何枚も映像用のディスク型メディアが並んでいる。オペレーターの先輩も立ち上がり、早苗さんの隣で目当てのディスクを探している。
「ああ、多分コレですよ。先月の春大会の」
オペレーターの先輩が、ケースごと取り出し早苗さんに見せた。タイトルと日付を確認し、彼女は頷いた。彼女は「あとは、コレね」ともう一つのディスクを取り出した。日付は去年の夏頃になっている。
彼女はディスクを二枚持ち、高岩の側へ移動した。彼にそれを差し出した。僕は隣にいたオペレーターの先輩に、アレは何かを尋ねた。
「試合の公式記録と、夏合宿の記録映像。試合中の映像だけだと、全容が掴めないからね」
先輩の話を聞きながら高岩の方を見ていると、早苗さんは彼に、自宅に再生環境があるかどうかも確かめていた。やはり、蜂須賀さんが復帰するまでのテスターは、高岩のようだ。高岩なら、蜂須賀さんのクセやプレイスタイルも踏まえて、不具合のチェックを完遂するような気もする。
「修復が終わったら、君もテストするからね」
ボーッと高岩のことを見ていた僕に、早苗さんがビシッと言った。
「オペレーター偏重のうちに入ってきた、貴重なメンズのプレイヤー。アナタも一人前になってもらうから、覚悟しておいて」
早苗さんは、EVAジャケットの取扱説明書を僕に差し出した。この小冊子なら、僕も何度も読んでいる。
「さ、新人くんは帰った、帰った。作業の邪魔よ」
早苗さんは両手を叩いて、僕と高岩を追い出しにかかった。僕らは二人で廊下に追いやられ、カバンを拾って外に出るのが精一杯だった。
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