第6話

 大学の講義がだんだん本格的な内容に切り替わり、イリオンの若葉杯も見え始めた四月下旬、僕は高岩と共に、ヤマブキの運営チームに呼び出されていた。アズールやロッソのチームに出入りし始めた竹内や押川は、土日はバイトがあるからと、構内に彼らの姿は見えなかった。

 過ごしやすかった春の日差しから、徐々に肌を焦がすような初夏の強い日差しに変わりつつある中、僕と高岩は早苗さんに指示された通り、日陰もない駐車場で荷物が来るのを待たされていた。

「まだかな、藤田先輩」

 僕は手持ち無沙汰に、どれだけ暑くても一切表情を変えず、目立つような汗もかいていない高岩に、話しかけた。彼は僕の言葉に、目を少し動かすだけで、それ以上の反応を返さない。

「高岩は、バイトとかサークルとか、大丈夫なの?」

 高岩は無感動に、「ああ」とだけ答え、いつか現れる早苗さんをじっと待ち構えている。そこへ、キャンパスの高低差を活かしてトレーニングに励んでいた岡元さんが、上の方から駆け降りてきた。彼は高岩の前を横切ると、「あれ、博文?」と声をかけた。

 高岩は面倒臭そうな表情で、トレーニングを一時的に中断して絡み始めた岡元さんを、追いやるような仕草をする。岡元さんはそれ以上高岩には絡まず、僕のことも見た。

「君はこの間学食にいた、えーっと……」

「トミナガです」

 僕が名乗ると、岡元さんは「そうだ、そうだ。トミナガくん」と頷いた。彼は全身から噴き出す大量の汗を拭いながら、背中のランニングポーチからボトルを取り出し、口をつけて給水する。

「二人とも、暑いのにこんなところで何を?」

 岡元さんが気さくに声をかけてくれているのに、高岩は投げやりな態度で、「トレーニング中なんだろう? さっさと行けよ」と言う。

「博文は、いつも釣れないなぁ。一応、先輩だぜ?」

 高岩の態度にもっと厳しい言い方をしても良いのに、岡元さんは飽くまでも茶目っ気たっぷりに、茶化すような振る舞いを見せた。それが余計に高岩の機嫌を損ねるらしく、彼のそっけない態度はどんどん強まっていく。

「二人は随分仲がいいんですね。もしかして、幼馴染とか?」

「素晴らしい観察力だな、富永くん。実は、そうなんだよ」

 いくら話しかけても無反応の高岩に絡むのをやめた岡元さんは、話す相手を僕に切り替えたらしい。彼は少しずつにじり寄ってきて、僕の肩に腕を回した。

「なあ、君もヴェルデの一員にならないか? 君さえ良ければ、後任として直接指導してやってもいい」

「あ、いや。えっと」

 岡元さんの勧誘は非常に魅力的だが、すでにヤマブキのチームに片足を突っ込んでしまっている状態だ。複数チームへ所属することのペナルティは特にないが、インサイダーとか、裏切り者と思われるのも望ましくない。

 答えに窮していると、高岩が岡元さんの腕を掴み、僕を解放させた。高岩はそっけない態度で、元の体制に戻るが、岡元さんが纏っていた柔らかい雰囲気はにわかに消える。それまではなかった妙な緊張感が、二人の間に漂い始めた。

 不幸中の幸いか、岡元さんはトレーニングウェアを着用していて、ヴェルデ専用のアンダーウェアは着ていない。だが、鍛え上げたプレイヤーが本気を出せば、ジャケットを装着しなくても十分な戦闘力はある。ましてや、相手は上位ランカー常連の岡元さん。高岩の勝ち目はゼロに等しい。

 独り、心の中で「やばい、やばい」と狼狽えていると、下の方からヤマブキのマークが入った巨大なトラックが近づいてきた。どうやら、チーム専用のジャケット運搬車のようだ。

 それを見た僕と高岩、岡元さんは道を開けた。トラックは荷物を下ろすスペースを十分に取って、駐車場に停められた。それを見ていた岡元さんは、「ほう。なるほどね」と呟いた。

 助手席にいた早苗さんはトラックから降りると、足早に二台の方へ回る。近くにいた岡元さんを一瞥すると、「ヴェルデが何の用だ?」と彼を威嚇した。岡元さんは、「いや、別に」と答え、高岩と僕に「お邪魔したね。じゃ、失礼するよ」と中断していたトレーニングへ戻っていった。

「何だったんだ、アイツ?」

 早苗さんは荷卸しの装置を操作しながら、岡元さんが走り去った方を見やった。

 僕は早苗さんの作業をフォローし、高岩は荷台から下ろされる荷物を受け取る側に回った。かなり立派で複雑そうな機材が、ゆっくりと高岩の目の前に降りていく。

「どうも、高岩が知り合いらしくて」

「へー、君が?」

 早苗さんは作業に注意を払いながら、高岩の顔を見る。高岩はそれどころではないといった様子で、機材を乗せた台車を押していた。僕も彼の隣に移り、校舎前のスロープをどうにか登り切るべく、助けに入る。

「それで、新勧の声かけってところか。なるほどね〜」

 台車がスロープを登り切ると、早苗さんはそれを研究室前まで持っていくよう、高岩に指示を出し、まだ残っている機材を取りに、僕を伴って荷台へ戻った。もう一台の台車を出し、先ほどのものよりはひとまわり小さな機材を、同じようにゆっくり台車へ下ろしていく。

 僕は新しい荷物が台車に乗ったのを確かめると、早苗さんの指示に従って、高岩の後を追いかけた。早苗さんは荷台に忘れ物がないかチェックすると、扉を閉めて助手席へ移動した。トラックを正規の場所へ停めに行くらしい。

 僕は一人で何とかスロープを登り、校舎に入ってからは、エレベーターを使って研究室の前まで移動した。先に到着していたはずの高岩は、研究室にいた先輩たちに招き入れられ、すでに部屋の中へ入っているようだ。

 僕も開いている扉の前まで行き、ドアをノックして先輩が出てくるのを待った。誰がやってくるか待っていたら、少し息の上がった高岩がやってきて、僕が押していた荷台を中へアテンドしてくれた。

 二人で必死に運んできた機材は、大きい方はジャケットの製造、メンテナンス、小さい方はマスクの製造、修理に使うものらしい。ようやく破損したヤマブキの修理が始められる。

 大会本部のお墨付きも得て、一旦、元のヤマブキを再現することを目指し、若葉杯は追加の改修、研究はなしで挑むことになるようだ。

「それじゃあ、厳しいですよね」

 僕が気落ちした声で言うと、後ろから研究室に入ってきた早苗さんが「君のせいだが、気にするな」と言った。

「どうせ、他のチームも代替わりでガッタガタだからな。若葉杯はトラブってなんぼよ」

 早苗さんは豪快に笑い飛ばし、「さ、ここからが本番だ」と言い添えた。

「来るなって注意書きしてたのに、わざわざ見舞いに来ちゃった君らの手も借りて、さっさとジャケットとマスクを修繕するよ。蜂須賀も必死にリハビリしてるんだから、復帰に間に合わせるぞ」

 早苗さんの掛け声に、周りの先輩も「おー」と呼応した。僕も小さな声でそれに追随するが、高岩は相変わらず空気を読まず、淡々と自分ができそうな作業を探し始めた。

「本当は今頃、ジャケットも蜂須賀さんも無事で、大会本番まで調整というか、トレーニングしてたんですよね」

 僕は早苗さんに割り振られた作業をこなしながら、一ヶ月弱の戦力強化、積み増しができないこと、その原因が自分にあることを悔やんだ。若葉杯と言いながら、次の大会でメインプレイヤーに変更はなく、バックアップチームの入れ替わりがある程度。本校所属のほぼ全てのチームが、従来通りの戦力、特徴を磨く形で試合に出てくる。

 無事にジャケットが復旧できて、蜂須賀さんのリハビリも間に合ったとしても、新造や修繕部位のフィッティングが完璧になるとは限らない。

「君は、ヤマブキのファンらしいけど、蜂須賀のファンではなさそうだね」

 早苗さんが、横からボソッと言った。

「蜂須賀は、こんなトラブルで簡単に負けるような男じゃない。今のヤマブキも、そういうジャケットに仕上げてある」

 早苗さんは僕に笑顔を見せ、「だから、君は自分の仕事をキッチリやり遂げなさい」と軽く僕の肩を叩いた。僕はその笑顔に何かがぐらつきながら、上擦った声で「は、はい」と答えた。

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