第5話

「一人で先に帰ったかと思った」

 僕がそう言っても、高岩は微塵も表情を変えず、出口に向かう。僕はそれを追いながら、「高岩って、人見知りするタイプ?」と訊いた。高岩は一瞬足を止め、僕を見た。その目に、特別な感情はなさそうだった。

 高岩は何も言い返さず、再び歩き始める。僕は一歩遅れて後に続いた。

 彼と並んで黙々と歩く。竹内や押川と賑やかに過ごす時間も嫌いではないが、こういう時間の方が、個人的には得意かもしれない。歩いてきたはずの高岩は、わざわざ駐輪場まで着いてきて、僕が自転車を押して歩くのにも付き合ってくれる。

 僕は高岩のために、最寄りの駅へ向けて自転車を押す。

「そう言えば、熱心に見てたビデオはどうだった?」

「別に。大した情報はなかったさ」

 高岩はそっけなく言うが、それにしては長いこと、食い入るように見ていたような気がする。彼は病院を出る頃からズーッと、周囲に目を走らせながら歩いていたが、駅前で人通りが増えて来ると、それをピタリと止めた。目と鼻の先にある階段を上がれば、すぐに改札だ。僕はロータリーのところで自転車に跨った。

「じゃあ、オレはここで」

 僕は軽くペダルを回して、右足で踏み込めるように準備する。さっさと階段を登ればいいのに、高岩は僕が走り出すのを待っているようだった。

「今日は、わざわざ付き合ってくれてありがとう。助かった」

 僕は高岩に「じゃあな」と手を挙げ、勢いをつけてペダルを踏み込んだ。高岩はローテンションで、「ああ」と手を挙げ、僕を見送ってくれた。彼は、僕がロータリーを出ていくまで階段の前にいて、ずっとこちらを見ているようだった。


 僕は帰宅後、夕食を摂ってから竹内、押川に謝罪のメッセージを送った。明日顔を合わせた時、改めて謝ろう。

 今日新たに出た課題、昨日手を付けなかった課題に取り組み、日付が変わる前に一通り片付けた。今夜の試合は、入浴後にベッドの中でハイライトを見ることにする。試合全部を記録したアーカイブは、授業の合間にでも内職代わりに楽しもう。

 五分弱にまとめられたハイライトを見ても、昨日遭遇した黒いジャケットと似た形状のものは見つけられなかった。プレイヤーキルに走る選手もおらず、やりたくても装備やマスクを破壊するほどの出力はやっぱり誰も有していない。

 ジャケットそのものが規格外、競技上のレギュレーション違反。ファイトスタイルも、完全にルール違反。ご法度の塊が、なぜキャンパスに現れたのか。なぜ、僕を狙ったのか。彼が口にしたラヴァンとは一体なんなのか。

 冷静になって考え始めると、どんどん頭が冴えてきた。寝ようと思っても中々寝付けない。蜂須賀さんにバックルを渡された時の重みや感触も、布団の中で鮮明に思い出してしまう。万が一のことがあれば、僕や高岩がヤマブキを引き継ぐ、ヘンシンすることがあるかもしれない。

 その日が来るとしてもまだまだ先だと思っていたのに、可能性だけでも目の前にぶら下げられると、一人で勝手に興奮してしまう。親の反対を押し切ってでも、淀南大学へ進んで良かった。そこら辺の話も、明日具体的に進めたい。竹内、押川には、なんて話そう。自慢にならないように気をつけないと、次もやらかすと絶交間違いなしだ。

 僕は頭の中でグルグルと考え事をしながら、カーテンの隙間から外を眺めた。外は見事な三日月が燦然と輝き、灯りが減りつつある住宅街を煌々と照らしていた。遠くの方で、空中を何かが横切った。それは余りにも小さく、一瞬の出来事のあまり、何が起きたのか分からなかった。

 白っぽい何かと、黒っぽい何かが空中で交差する。少しずつ遠ざかっていく二つの影を見送って、僕は本格的な眠りについた。


 翌朝大学に行くと、僕は早速竹内、押川に昨日のことを謝った。僕が素直に頭を下げると、二人は「オレたちも言い過ぎた」と許してくれた。

「それで、蜂須賀さんはどうだった?」

 竹内の問いに、僕は昨日見てきた様子をそのまま伝えた。

「見舞いは遠慮しろって書いてあったのに、お前は行けたんだな」

 押川の疑問に、竹内も「それな。なんか秘密でもあるのか?」と追従する。僕は秘密にするほどでもないのに、なぜかスッと答えられなかった。僕は曖昧に言葉を濁し、「さあ、なんでだろう?」と答えた。

「おまけに、ヤマブキの引き継ぎの話までしたんだ。なんか、ズルくない?」

 竹内と押川は、声を揃えて「なんで、お前だけ」と羨望の眼差しを僕に向ける。僕は二人を必死に押し留めながら、「た、高岩も誘われたから」と言った。

「高岩? そんな奴いたっけ」

 竹内は首を傾げた。押川も、名前だけではピンと来ていないようだ。

「高岩だよ。同学年の」

 僕は「ほら、そこに」と指差すべく教室中を見回したが、肝心の高岩を見つけられなかった。同学年にも名前を覚えられていないし、パッと見つけられない影の薄さも、本当にどうかしてる。

「兎にも角にも、お前はヤマブキ所属で決まりってことだよな」

 竹内の言葉に、「オレはどーすっかなー」と押川がぼやいた。

「お前はやっぱり、アズールじゃないの?」

 竹内は、手で銃を作って打つ真似をした。

「そしたらお前は、ロッソのところで剣振るか、岩田さんのところで変態スーツとか?」

 押川は空中で素振りをして竹内を斬り、両腕を力強く掲げ、ボディビルのダブルバイセップスみたいな構えを取る。

「全員バラバラ、ライバルか」

 僕は二人が楽しそうにやり合うのを眺め、所属チームがバラけること、一緒に研究室を覗いて回る時間が終わってしまったことを、こっそり嘆いた。ただ、FPSも上手い押川は青いジャケットの銃撃手がしっくり来るし、背中が逞しく、鍛え上げた立派な腕を持つ竹内には、赤い剣士か、銀と紫のパワーファイターが似合うとも思う。

 僕も僕で、所属するならヤマブキか、岡元さんのところのヴェルデだと思っていた。全員が全員、同じところに行くよりも、競い合う方が楽しいかもしれない。

「授業はまだまだ一緒だろ? テストとか、お互い連携しようぜ」

 竹内は僕の肩に腕を回し、下心ありありな笑顔を見せた。連携といえば聞こえはいいが、真面目にノートを取る僕をあてにしているのだろう。僕は僕で、押川の力を頼りにすることもある。

 競技でバチバチすることがあっても、それはそれ。授業は授業、テストはテストで手を取り合う方が賢明だろう。いつ見ても一人の高岩は、大変なんだろうなぁ。

 もう一度、一年生で埋め尽くされている教室を右から左に眺めてみた。次の講義も、必修科目。同じ教室だから、合間に出入りすることはあっても、どこかには座っているはずだけど、やっぱり高岩は見当たらない。

 一回外へ休憩に出たのか、人に埋もれて見えないのか。背は低くなかった気がするけど……。

 チャイムが鳴り、席を立っていた学生が時間差で自分の席へ移動する。先生が教卓の前まで行き、講義の準備を始めた。ほぼ全員が座ったところでもう一度見回してみると、最後尾の出入り口付近に、高岩がポツンと座っているのが見えた。

 かなり詰めて座っているのに、彼の周りだけ左右に一席ずつ空けてある。

 ものの見事に孤立している。前から出席を取るための紙片が回されても、彼に直接手渡す人はいなかった。彼も彼で、積極的に交わるつもりはないようだ。彼にしては珍しく、のっそり動いて紙片を取り、自分の学籍番号と名前とを書き込んでいた。

 マイクを持って喋り始めた先生も、講義もそっちのけで、高岩の動きをじっと見ていると、視線がかち合った。僕は片手を上げ、離れているなりの挨拶をしてみたが、彼は何もリアクションせず、すぐに視線を前に戻した。

 昨日の今日でちょっとは気心知れたつもりだったのに、それは僕の思い上がりだったようだ。竹内が横から小声で、「おい、ちゃんとノート取れよ」と僕に耳打ちした。僕は「自分でも取れって」と言いながら気持ちを切り替え、前を見た。画面が変わる前に、必要事項をノートに書き込んだ。

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