第8話 提案

 怒りや混乱などのやっかいな感情は、一度リセットするに限る。

 ――バチンッ。

 自身の頬を両の手で引っ叩いた。

 ここで、変に騒いで不信感を与えるのは得策ではあるまい。

 腐っても商人。

 この磐司磐三郎、物事の損得勘定は常に忘れぬたちなのだ。


「バンザブロウ様!? どうかなされましたか?」

 使者が慌てた様子で言った。

 私はそれに、心配いらぬとかぶりを振る。

「いやいや、何でもありませんとも。それで……何でしたか。同行がどうとか」

「……え、ええ。ですから今後は、こちらの同行者をお連れ下さればご自由に遠出なさって頂いて構わないと竜帝陛下からのお許しがございまして」

 これまで、私への警護問題や歓待行事のために、ちょっとした外出もかなり制限されていた。

 それはどうにも不便だろうということで、かの竜帝陛下が心配りをして下さったらしい。

「そうでしたか。いやはや、全くもってありがたい事でございます」

 ところで。

 と、私は続けた。

「そちらのお嬢さん、えーと確か……」

「……クレアゾットです」

 正直な話をすると、あなた、お前、其他種々エトセトラ、と呼べば済むであろう名前については、至極どうでもよいことだった。

「ああ、そうそう。クレアゾットさんね。それで……ええっと、どこかでお会いしたことがある気がするのですが」

「……? 初対面のはずですが」

 仮面で表情は伺えない。

 しらばっくれているということはあるのだろうか。

 ちらりと使者の方を見ると、何とも言えぬ表情で私と仮面女のやり取りを眺めていた。

「そうですか。ま、結構結構。それではどうぞよろしくお願いしますよお嬢さん」

「……お嬢さん」

 仮面女は少し不満げに呟いた。


 そうして、少しばかりの会話の後。

 使者は「では、私はこれで」とだけ言い残し、一人でさっさと部屋を後にした。

 てっきり、仮面女も一緒に帰るのかと思っていたが、彼女はこの場に残っている。

 まさか、今から居座る気なのだろうか。

「……あの、お嬢さんは一緒にお帰りにならなくてよかったので?」

「お側にいるように、とのことでしたので」

「いやいや、ですけどご自身の準備とか……」

「全て済ませてあります」

「……なるほど」

 仮面女はそれだけ言うと、広い部屋の片隅に立ちこちらを凝視している。

 ソファアに腰掛けていた私は、居住まいを正した。

 ひどく、居心地が悪かった。

「私のことは、どうかお気になさらず」

 仮面女はそんなことを言うが、私のプライベートスペースに入り込んだ輩を気にするなという方が無理だ。

 良く知らないというより気味が悪いとさえ思っている人物である。

 そんな者の前でくつろげるはずもない。

「あーっと、そうだ! 私、前々から町を回ってみたいと思っていたのですよ」

 気持ちを切り替えよう。

 居心地の悪さと引き換えに得た、外出の権利でも行使しようではないか。


§


 町に出て、まずは小商店の立ち並ぶ市場へと足を運んだ。

 市場は程良いにぎわいを見せていた。

 大通りに面した立派な店もあれば、広場でテントを張っただけの出店もある。

 私にとっては、とても居心地の良い物だった。

 声を張り上げる小商店主や、談笑する買い物客の姿を見ると、何やら熱くなるものがある。

 商品自体には、特に惹かれるものはなかった。

 ただ、前時代的な商店街を前にし、そこで働く者や行き交う客を眺めただけだ。

 私はそこに、モノクロ写真でしか残っていないような在りし日の「磐司屋」の姿を夢想した。

 ノスタルジックな雰囲気に酔いつつ、私は冷やかしで店を練り歩き、時々は商品を購入したりした。

 出来る事なら、後ろの同行者がいないともっと良かったのだが。

 それは仕方あるまい。


「ドロボー!」

 野太い声が響いた。

 見ると、八百屋の親父が人混みをかき分けながら必死の形相で叫んでいた。

 その先には、ぼろを纏った子供が果物を抱えて逃げている。

「泥棒だ! 誰かその餓鬼捕まえてくれっ!」

 小さな泥棒は、丁度こちらへと走って来ていた。

 同じ商人あきんどとして見過ごせぬ。

 私にしては珍しく純粋な善意から、こちらに迫る子供へと手を伸ばした。

「おっ! あれえっ!?」

 しかし、私の緩慢な動作はあっさりとかわされてしまう。

 思った以上に、下手人は俊敏であったのだ。

 そのまま逃げられてしまうところだったが、私の同行者がそれは見事に泥棒を取っ捕まえたので、胸を撫で下ろす。

「このっ……離せ!」

「…………」

 しかし、いくら相手は痩せぎすの子供だといっても、彼女がそれを片手で宙吊りにできるというのは驚きである。

 一体どんな腕力をしているんだと思わずにはいられない。

 地面に転がり落ちた商品を、私はゆっくりと拾い集めた。


「あ、ありがてえ!」

 しばらくして、ドスドスと重量のある足音を鳴らしながら八百屋の親父が追い付いた。

 体格も良く腕っぷしも強そうだが、走りは苦手なのか、既にぜえぜえと息が上がっている。

 同行者の彼女が捕まえていなければ、十中八九に逃げられていたに違いない。

 捕まえた子供を、八百屋の親父に引き渡した。

「へへ。感謝しますぜ旦那方。この餓鬼一度や二度じゃないんですぜ。いつも、ちょこまかと逃げられちまってたんだ」

 うちばっかり狙いやがってと、彼は子供の頭に拳骨をお見舞いした。

「痛いっ! このぉ、離せえっ!」

「この野郎っ、暴れるな! 少しは反省しやがれってんだ!」

 あの鈍足じゃ、そりゃ狙われるだろうよとは言わないでおく。

「いやあ、それは災難なことで。ところでその子供はどうなさるので?」

「そりゃ町の兵に引き渡して、豚箱にぶち込んでもらいますよ」

 八百屋の親父の言葉に、子供は青い顔で黙り込む。

 流石に観念したらしかった。

「なるほど、なるほど」

 瘦せ細った子供の腕や足を見ると、何故にこんな行動をしたのか察することができ、少しばかり哀れに思えてくる。

 貧すれば鈍する。

 衣食が足らないで礼節を知るというのは難しかろう。

 私は背後の同行者にそっと耳打ちした。

「どんな罰が下されるんですか?」

「そうですね……果物の窃盗ですから、罰金刑か禁固刑だと思います。お金はないでしょうからこの場合だと本来は禁固のはずですが」

「本来は?」

 私の問いに彼女は少しばかり言いにくそうな様子で言葉を紡ぐ。

「……近頃は、兵の質の低下もあり、憂さ晴らしで暴行され裏道に捨て置かれるという場合も少なくはありません」

 深く首を突っ込む気はさらさらないが、流石に心配になって苦言を呈した。

「ええ……奉行所がそんな状況って、お宅の国本当に大丈夫なんですかい?」

「五年前の邪神復活の影響です。どこも人手不足なのですよ」

 おー嫌だ嫌だと、私は首をすくめる。

 話を続けても一文の得にもならなそうだと、彼女との会話を打ち切った。


「ところで親父さん。この果物一体おいくらですかな? せっかくですし私が買い取りましょう」

 えっ、と驚いたような顔の店主は勢い良く首を左右に振る。

「いやっ、恩人の旦那に落ちたもんなんか売れませんぜ。せっかくですしうちの店に来てくださいよ。お礼しますぜ」

 お礼と聞いて心の中でほくそ笑む。

 強面だが人の良さそうな男だ。

 打てば響くような、都合の良い会話に満足する。

「おーそれはそれは……なんだか申し訳ないが、せっかくのご厚意だ。無駄には出来ませんな」

 子供の首根っこを捕まえた八百屋の親父についていく形で、彼の店へと向かう。

 大した距離ではないので、立派な青物が並べられた彼の店はすぐに見えてくる。

「ところで……」

 私は、八百屋の親父の背中を追うような形で声をかける。

「その子供、お宅の従業員として雇ってはどうかね」

「は?」

 私の言葉に、彼は思わずといった形で振り返った。

 思った通り、その顔は驚きと困惑の混ざった間抜けなものだった。

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