第5話 バンジ・バンザブロウ

 臆面もなく、バンジ・バンザブロウだと名乗りを上げた男は、褒賞の品々を受け取ると玉座の間を後にした。

 帰り際、彼は随分とばつの悪そうな顔をしていたが、一体何を思っていたのだろうか。


 その様な事を、今代の竜帝ドラウクス・ヘルヤールはつらつらと考えていた。

 自室に戻った彼女は、お気に入りの椅子にどさりと腰掛けると、その柔らかな背もたれに身を沈めた。

 大きな溜息がひとりでに零れる。

 その時、扉がノックされた。

「入れ」

 ドラウクスの言葉に、一息程度の間をおいて扉が開かれる。

「失礼致します。陛下」

 官服をきっちりと着こなした側近の一人が部屋に入って来る。椅子にもたれるドラウクスへと直ぐに頭を下げた。

「あー、今はそんなにかしこまらんで良いわ。此度の調整、汝には苦労を掛けたなディムロス」

「お心遣い有難う御座います。それで……」

「うん。あの男の事だな」

「ええ。陛下はどう思われますか」

「……何処からともなくやって来て、不思議な力で邪神の眷属を退治した男、か。……まるっきりの英雄物語にある通りのような話だがな」


 太古、竜帝国の始まりの歴史だ。

 かつて、天に住み雲を寝床とした竜帝ドラゴンロードが大地を創造し竜帝国を建てた頃。死の果ての国あるいは世界の外側より邪神がやって来たという。

 竜帝と邪神は国を巡り争った。

 邪神は強く、遂には竜帝ですら危ない状況に追い込まれたらしい。

 そんな時に、竜帝の窮地を助けた一人の英雄がいた。

 それがバンジ・バンザブロウである。

 竜帝国の人間ならば、その名を知らぬ者はいないだろう。

 その名を名乗る事が何を意味するかもだ。


 邪神とその眷属達を、竜帝と共に退治したバンジ・バンザブロウ。

 彼は、最後に予言の様な言葉を残している。

 ――もし、邪神が蘇るような事があっても心配はいらない。その時は、いずれ必ず私もこの世に帰って来て、何度でも邪神を打ち倒そう。今はただ、国に高い砦を築き上げ、あらゆる災厄に備えよ。

 と。


「騎士団からの聞き取りでも確認しましたが、やはり事実のようです」

「まあ、今の竜帝国の状況だ。功名心でわざわざ英雄の名など騙らんじゃろうて」

 まさに今、邪神は蘇り竜帝国は危機に瀕している。

 辺境の村では邪神の眷属達による襲撃が相次ぎ、兵の数もまるで足りない。

 じわりじわりと邪神の魔の手が、城下にも迫っている。

 やがて城は邪神の手に堕ち、竜帝国の心たる竜帝が殺されるのも時間の問題とされてきたのだ。


「バンジ・バンザブロウは……彼は、今のこの国を救うでしょうか。救えるのでしょうか」

 ディムロスは言う。

 復活してしまった邪神の強さが、昔と同じであるとは限らない。

 よしんば同じだとして、今の竜帝国では、バンジ・バンザブロウに対して、かつての、つまりは原初の、竜帝ドラゴンロードと同じ協力が出来るとも思えない。

 本当に物語の中から蘇ったバンジ・バンザブロウだとしても、邪神に勝てる保証はどこにもないではないか。

 それに。

 そう続けた彼は、顔を青くしていた。

 ドラウクスが、側近官吏のそんな顔を見たのは初めてだった。

「災厄に備えよという予言があったにも関わらず、我々は邪神の復活に何も対処することが出来ませんでした。今も邪神の眷属の襲撃に、ただ手をこまねいているだけ。そんな不甲斐ない有様を見てしまってはいかに英雄といえども心変わりされるのではないかと……」

 ――今のこの国は救うに値しない。

 などと言われては全てが終わりだった。

 ただでさえ竜帝国はギリギリの現状。

 彼と最初に接触したのが騎士団という関係上、噂は既に兵達の間に広まり始めている。そんな状況で、英雄に見捨てられたとなれば、兵の士気が落ち込むのは避けられない。

 後に待っているのは崩壊だけだ。


「そう思い詰めるなよ、ディムロス。それに不甲斐ないとか簡単に言ってくれるが、今の国を治めている我への嫌味かそれは。まあまあ不敬だぞ」

「いえ、陛下に不満があるわけではなく……申し訳ございません」

「あー良い良い。ただの軽口だ。はっきりとした汝の物言いは、むしろ気に入っているとも」

 ドラウクスは、羽虫を払うようにくうで手をひらひらと振った。


「大体、先代竜帝の小僧が早死にするのが悪い。おかげで隠居中の我が引っ張り出される羽目になったわ」

 先代の竜帝は、その治世の末期に起きた邪神復活の動乱への対応に追われ、最後は無理がたたって没していた。

 いかに強大な竜の血を引いているとはいえ、長い年月が経ち既に竜帝と人の子に大した違いはない。

 角も生えていなければ翼もない、ただの人だ。

 竜のように長生きするでもなく、死ぬ時は呆気なく死ぬ。

「大長寿とは言えませんが、よわい五十を数え、先竜帝も御歳を召しておられました。陛下にとっては幼子と変わらないかもしれませんが」

 ただ、時折、先祖返りする者も生まれることがある。

 竜の特徴を備え持つ、例外中の例外だ。

 ドラウクス・ヘルヤールはそういった例外の一人だった。

 彼女は、つまらなそうに己の羽を撫でる。

「息子がまだ幼いというのに、無茶しおってからに」

「先竜帝は長らく御子がなく、ようやく生まれた御子はまだ六歳になったばかり。無理もありますまい」

 なんとか、お世継ぎ様が即位するまでに、邪神の問題を片付けたかったのでしょうね。とディムロスは付け加えた。

「……それで死んでしまっては、元も子もないではないか」

 ドラウクスの呟きは、静まり返った部屋に良く響いた。

 

 彼女はパチンと膝を打つ。

 重苦しくなった空気を変えるように、ドラウクスは言った。

「ま、何事もこんを詰めすぎるのは良くないという事だな。汝も気を付けるように」

「畏まりました」

「で、バンジ・バンザブロウの事についてだが……彼が本物ならば、予言の通り邪神を打ち倒す事を信じるしかあるまい。無論、我々も全力で協力する。偽物ならば……というか、偽物でも大した違いはなかろう? 邪神を倒せる人材であればそれで良い」

 あの男は確かに、神具と言われても頷けるような奇妙な道具を持ち、邪神の眷属を実際に打倒しているのだから。

 ドラウクスは、竜のように獰猛な笑みを浮かべた。

「少し周りの者は騒ぎ過ぎではあったがな」

「無理もありません。邪神関連で明るい話題というのは初めてのことですし。……英雄の帰還ともなれば、多少の不自然さは目をつむっても、信じたくなるというものでしょう」

 己が側近の言葉に彼女は驚いた。

「……意外だな。汝がそのような物言いをするとは。『予言? 英雄の復活? 馬鹿馬鹿しい』と冷血漢のように切って捨てるかと思っていたが」

「……私を何だと思っているのですか。とにかく褒賞の件で彼を囲い込むきっかけは作れました。後は彼への見張りですが……」

「間諜でも使うのか?」

「ええ、まあ。……ただ、こそこそ探らせるよりは、思い切って同行者という形で彼の側に堂々と置いておいた方が良いかもしれません」

 最悪の事態は、彼が邪神方の手に渡ることだ。

 それだけは絶対に阻止せねばならない。

「しかし、生半なまなかな者では邪神共への牽制にもなるまい?」

「はい。ですので協力者に依頼しようかと」

「協力者?」

 ドラウクスには思い当たる人物がいなかった。


「……邪神復活の際、真っ先に被害を受けた場所は御存じかと思います。英雄の眠る地に建てられた神殿。その守り手である一族。彼らは英雄バンジ・バンザブロウの末裔ですよ」

「あ、あー。そう言えばそんな連中もったな。……しかしなぁ、邪神に神殿諸共滅ぼされたとかいう話ではなかったか?」

「幼い娘が一人だけ生き残りとして確認されています」

 今ではその娘も、年頃に成長している。何より邪神を憎んでいるというのが良いとディムロスは言った。

「彼の者の同行者としては最適ではないでしょうか」

 もちろん城の間諜も使いますけどね。と、竜帝の側近は疲れた様子で付け加えた。

 ドラウクスは、彼に休暇を与えてやるべきか悩んだ。

 しかし、結局は彼の休暇中の事態を想像し――彼の仕事が自分に回ってくることを恐れて――押し黙ってしまった。 

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