第2話 備えあれば憂いなし

 開け放った扉の先は、ひどくまぶしく感じた。

 次元の歪みからの帰還を果たしたに違いないと、私は喜び勇んで飛び出した。

「私は帰って来たぞおおお……おおんんっ!?」

 辺りは広々としたくさぱら

 そこで対峙する二つの集団が目に飛び込んでくる。

 一方は、時代遅れを通り過ぎ、いささか古風クラシックすぎる武装の人間達。

 もう一方は、怪物と呼ぶほかない者達だった。節足動物のようにウゾウゾとうごめく触角や手足を持った巨大生物の集団である。

 彼らは、退引のっぴきならない様子で睨み合っていたようだった。

 ただ、今では全員が動きを止め、私という闖入者ちんにゅうしゃを凝視している。

 一瞬、映画の撮影現場かと思ったが、どうもそんな雰囲気でもない。

 私は海外情勢に明るくはないが、目的地はハワイに設定していたはずだし、いつの間にやら、観光地として名高かったハワイもすこぶる危険な場所に様変わりしたのかもしれぬ。

「…………」

「あっ、これはどうも失礼」

 それだけ言うと、私はポッドの扉を閉めた。

 直後、怒声と扉を強く叩く音が聞こえる。

 これは、非常に不味い事態だ。

 兎にも角にも、この場から急いで離れなくてはならない気がする。

 我が「磐司屋」が、天下にとどろく大雑貨店として不動の地位を築けたのは、代々の先祖が商売上の危機を素早く察知し、上手く回避してきたからである。

 そんな先祖達の血が流れ、商家の後継ぎとして幼いころから揉まれている私の研ぎ澄まされた第六感が告げている。

 もたもたしていると命が危ないと。


 私は――ハワイ旅行の為に準備していた――荷物の入った巨大リュックサックを急いで背負った。

 散らかったポッド内を見回し、何か武器になりそうなものはないかと探す。

 生憎と手頃なものは何もない。

 精々、崩れた段ボールの残骸から、細長いスプレー缶が幾つも転がっているくらいだ。

「……これは、虫除けスプレーか」

 ハワイ旅行で、南国デング熱持ちの蚊に刺されてはたまらんと大量に買い込んだものだった。

 外にいた怪物達も節足動物のような姿をしていたが、もしや、スプレーの成分が効いたりなどということはあるまいか。

「いや。仮に怪物達に効果があっても、武装した人間には意味がないか……どうしよう」

 ドカンという酷い破裂音に振り返る。

 ひしゃげた扉は弾き飛ばされ、怪物がこちらを覗き込んでいた。

「キエエエエエエイ!」

 悲鳴とも奇声ともつかぬ声が出た。

 手に持っていた虫除けスプレーを、思わず怪物目掛けて吹きかける。

 白い霧のようなものが勢い良く噴射されると、怪物は少しだけ怯んだように見えた。


 しかし、それだけだった。

 もはや、私は生きた心地がしなかった。死を覚悟したと言っても良い。

 捨て身の攻撃でもしようかという胸中にすら至ったが、私の命運は未だ尽きてはいなかったらしい。

 少しの間があって、怪物は突如苦しみだした。

 バタバタと壊れたブリキ玩具のように暴れ続け、最後は糸の切れた操り人形のようにパッタリと倒れてしまう。

 思っていたよりも強烈な虫除けスプレーの香りが辺りには漂っていた。

「……やったのか?」

 お約束のようなセリフを吐いてしまう。

 パニック映画なら怪物が復活する流れになりそうな場面だが、目の前の怪物は全く起き上がってくる様子はなかった。


 やってやったぞという喜びが沸き上がるが、現状ただ喜んでいるわけにもいかない。

 外は人間達と怪物達が、激しく争っているようだった。

 両者の軍勢を合わせれば、数十はあろうかという規模での争いである。

 広がった混乱の中を抜けるのは、一筋縄ではいかなそうだ。ただ、その混乱のおかげもあって、こちらに注意を向ける者が少ないのも事実。

 今の内になるべく、虫除けスプレーをかき集めて脱出するのが吉だろう。

 怪物には効果があることが分かったし、顔面に吹きかければ人間の兵士相手でも視界を奪うくらいは出来るに違いない。

 ハワイ旅行の準備をきっちりしていた自分を褒めてやりたいと思った。

 備えあれば憂いなしとはこのことだ。

 リュックの小ポケットに二本。

 ズボンのポケットにねじ込んだ二本。

 最後は、両の手に二本。

 虫除けスプレーで完全武装した私は、ポッドの外へと出ようと顔を上げた。


 そこでようやく、扉の前に誰かが立っていることにようやく気が付いた。

 怪物ではない。

 しかし、外で戦っている人間の兵士の仲間という感じでもない。

 ローブに身を包む怪しい人影は、腰に下げた長い刀を静かに抜いた。

「……貴様は一体何だ?」

 そう問う者に向けられた剣先の鋭さに、思わず体が震えてしまう。

 人影は長身痩躯の男のようだった。

 フードで覆われていて表情は伺えない。

 ただ、ローブの上からでも彼の体躯が良く鍛えられていることは察することが出来た。


 簡単にどうこう出来る相手ではなさそうだが、慌ててはいけない。

 こんな時こそ、「こちらにも奥の手があるんだぞ!」というハッタリをかまして余裕を見せつけねばならない。

 相手に気付かれないくらい小さく息を吸い込む。

「こっちが聞きたいくらいだ。……あのムカデの失敗作のような化け物はなんだ? 着ぐるみにしては出来過ぎだが」

「……フン」

 私の言葉を、ローブの男は鼻で笑った。

「神の威光を前にその不遜な態度、万死に値する。蜈蚣ごこう神が眷属長アドラクスが、手ずから誅を下してやろう」

「神の威光? ゴコウシンだか何だか知らないが、生憎と私の家は代々商売繁盛の恵比寿神を敬っているものでね」

「疾く滅びよ」

 ビュンと風を切り、アドラクスと名乗った男はこちらに迫ってきた。

 早いが真正面一直線の動きだ。

 私は迫りくる彼へ目掛けて、虫除けスプレーを思いきり噴射してやった。


「っ! なんっ……だ? これは! うえっ」

 アドラクスは視界を奪われたようで立ち止まる。

 正面からまともに虫除けスプレーの霧を浴びては、どんな人間――それが仮に、武術の達人であろうと――流石に怯むだろうという私の考えは正しかったようだ。

 何の成分が理由なのかは分からないが、あれはかなり鼻にツーンと来る。

「うっ……ごほっ、げほっ」

 未だ、虫除けスプレーの一撃から立ち直れていないアドラクスに、追撃で虫除けスプレーを喰らわせる。

 滅茶苦茶に霧を噴射しながら、私は備え付けられた「次元転送装置」の操作盤を押して外へと飛び出した。

 私が外に転げ出るのと同時に、起動した装置はポッド内に残されたアドラクス諸共この場から消え去ってしまうのだった。

 装置を失うのは痛いが、目の前の危機に対処するので一杯一杯だったのだから仕方あるまい。

 最大の危機は去ったという事で良しとしよう。


「あっ」

 我ながら間の抜けた声が出た。

 ハワイ旅行のついでに、海外コレクターに高値で売りつけてやろうと持ってきていた日本の骨董品を救出するのを忘れていたのだ。

「あああああっ~」

 八つ当たりをするよう周囲の怪物達に虫よけスプレーを出鱈目に噴射する。

 怒りとやるせなさがない交ぜになったような気分だった。

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