第6話 生まれ変わりってあると思う?

 留萌駅の待合で海鮮丼を食べる。


 構内は醤油の匂いに満ちていた。小さな立ち食いそば屋があり、横のテーブルで4人家族がうどんを啜っている。にしんそばが有名な立ち食いそば屋の賑わいは、寂れた駅に不釣り合いだ。小さな子供は美味しそうにうどんを啜り、両親が愛情一杯の笑顔で子供達を見つめている。絵に描いたような幸福は却って白々しく見えた。


 琢郎がくれた海鮮丼には、秋の味覚のサーモンとイクラだけではなく、ブリとマグロ、ウニまで乗っていた。どれも新鮮で弾力のある歯ごたえで美味かった。マグロはともかくこれほど新鮮なブリの刺身を食べたのは初めてだ。脂の旨味を噛みしめているとだんだんと塩味を感じるようになった。


 自分の、涙の味だった。


 加代が死んでしまったという現実を受け入れられないまま、殴られたような痛みが胸や腹に押し寄せてくる。


 加代の事は小学生の時から知っていた。快闊で目立つ存在だったから、相手が自分を知らなくても加代のことは皆知っていた。だけど、幼なじみと呼べるほど仲が良かったわけではない。仲良くなったのは高校三年生で同じクラスになってからだ。偶然隣の席になり、言葉を交わすようになった。加代は美人で明るくて友達が沢山いた。自分は人と群れるのが苦手で、腐れ縁の琢郎くらいしか友達がいない。陰気な性格が「里子」という特殊な事情から来ていることを皆知っていたから、誰も好き好んで関わってこようとしない。それが却ってありがたかった。


 それなのに、加代は何かと声を掛けてきた。家がわりと近いと分かると、「一緒に帰ろう」と誘ってくるようになった。いつの間にか自分と加代と琢郎の三人で行動することが多くなった。


『高校卒業したら、どうするの?』

『札幌で就職する』

『ふーん。じゃあ、私もそうしよう』


 じゃあ私もって、どういう事だよ。初夏の日差しに負けないくらいキラキラした笑顔に面食らった。こんな眩しい人を好きになるはずがなかった。だけど、札幌に行けば。都会で働く男になれば。もしかしたら。


 でも、二学期の終業式の帰り道、加代はこう言った。


『やっぱ、札幌行くのやめたんだ』


 海からの風が雪を吹雪かせていた。そんなもんだよな。諦めることなんて慣れていたはずなのに、胸がぎゅーっと痛んだ。


 卒業式の帰り道、もう二度と会うことはないと自分に言い聞かせていた。

 会わないはずは、ないのだとどこかで思いながら。


 だって、町に帰ればそこに加代がいるのだから。だから、いつかまた会う。どこかで。


 そう、思っていたのに。


 イクラが絡んだ白米を口に放り込む。プチプチとはじけるイクラの塩気と米の旨味が舌の上で絡まるけれど、美味いと感じることが出来なかった。


 その時ズボンの裾を何かが引っ張った。この感触、さっきと同じだ。視線を下に向けると、案の定先ほどの黒い子猫がじっと自分を見上げていた。


 いつの間にか、付いて来ていたのだろうか。


 黒猫は片手をあげてから、ズボンの裾をクイクイとひき、緑色の瞳をじっとこちらに向ける。何かを期待しているようだ。


「腹減ってんの?」


 京介はマグロを一切れ、黒猫のそばに置いた。猫はニャーと嬉しそうに鳴き、マグロに齧り付く。


「本マグロだぜ、それ。贅沢な猫な」


 そう言いながら、思わず笑みを浮かべた。マグロは子猫には少し大きすぎたようだ。しかし、顔を左右に振って身を引きちぎり首を上下させながら咀嚼する姿が愛らしかった。


「可愛いな」

『可愛いね』


 思わず呟いた言葉に、いつかの加代の声が重なる。


 いつか、こんな寒い秋の日に、加代と黒い子猫を見たことがあった。首輪が付いていたので、誰かの飼い猫だと分かった。毛並みもよく、手入れが行き届いていた。愛されている猫なのだろう。人懐っこい猫で、差し出した加代の手の平に自分の首をなすりつけていた。


『生まれ変わりって、あると思う?』


 猫を撫でながら、加代が問いかけてきた。


『あるかどうか知らないけど、別にいらないかな』

 もう一回生きたいと思えるほど、この世界は楽しくなかった。ふーん、と加代は小さな声で応じた。


『私は、猫が良いな。こんな、黒い猫』

『黒猫って、悪魔の使いとか言わない?』

『それでもいいの。黒猫って、綺麗』


 鮮烈な光の瞬きのように、瞬時に現われて消えた映像に目眩を覚えた。


「まさかな」

 まじまじと子猫を見る。子猫はじっとこちらを見上げ、ニャーと高らかに鳴いた。


「そんな事って、無いよな」


 子猫は首を傾げる。意味深なような、何の意味もなさないようなその仕草は一瞬で消え、再び猫の興味はマグロへ移った。

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