第3話 猫と海鮮丼-1

 家は駅の裏だから、車は駅の駐車場に止めていた。JR留萌駅はまだ辛うじて息をしている。増毛への往来は既に途絶え、深川へのルートを日に六回結ぶ。留萌市は既にこの駅を見捨て、存続を議論する場からも下りてしまったらしい。留萌本線を存続させるのであれば、留萌市は年間3億円を負担しなければならないのだから、当たり前のことかも知れない。電車は生活の足としての役目はもう果たしておらず、利用しているのは鉄道マニアだけだと言って良い。そのマニア達が年に3億円もの金を落としていく筈がない。


 留萌の空気はいつも湿った潮の匂いがする。町は今も昭和のまま、時が止まっているようだ。


 道ばたに「ラーメン」と書いた赤い幟がたっているが、昼食時なのにシャッターが閉まっている。


 駅の駐車場から細い道を隔てた自由市場に足を踏み入れると、奇妙なほど人でごった返していた。琢郎の家族が営む鮮魚店は札幌からわざわざ足を運ぶ客がいるほどの有名店だ。上質な魚が驚くほどの安価で手に入るのだから無理も無い。その客を、髪を後ろで結った小柄な女性が捌いていく。あれは琢郎の姉だ。6歳上だからもう二十代も後半にさしかかっている。店の奥で白衣を着た男が魚を捌いていた。高い鼻をマスクから出し、鮭を刻んでいるのが琢郎だ。琢郎は立派な魚屋の男になっていた。


 自由市場と言うが、市場というには余りにも狭く、魚屋の他には人気の無い果物屋と、魚を求める客のおこぼれを狙うかまぼこ屋しか店はない。狭い通路にあふれかえる客を見ていると息苦しくなって、一度店の外に出た。


 アスファルトの駐車場は鮮魚店専用で、六台ほどのスペースにはひっきりなしに車が出入りしていた。


「あら、京ちゃんじゃないの。久しぶり。札幌にいるんだってね」

 不意に声を掛けられて顔を上げる。どこかで見たような中年女性が笑顔で手を振っていた。同級生の親だったかも知れないし、アルバイトをしていたコンビニの客だったかも知れない。


「あれかい?線香上げに来たのかい?残念だったよね、若いのに」


 眉を寄せて悲しそうな顔をするが、話の内容がよく分からない。曖昧に頷いて愛想笑いを返すと女性は手を振って去って行った。


 こういうのが、嫌なんだ。


 どこへ行っても自分の事を知っている人がいる。田舎の町は家の壁さえ半透明なのかと思うくらい、何でも瞬く間に噂になる。自分が知らない人でさえその噂を知っていて、勝手な人物像が出来上がる。町のあちこちに自分のクローンが歩き回っているみたいで、気味が悪い。


『線香を上げに来たのかい?残念だったよね、若いのに』


 彼女は確かそう言った。同級生の誰かが死んだのだろうか。ついこの前同窓会があったけれど、案内の葉書はすぐに捨てた。


『今年こそ絶対来てよ!』


 そう丸い文字で書いてあった。オレンジ色の水性ペンだったと思う。その文字から鮮明に浮かび上がる笑顔を見るのが嫌で、ゴミ箱に投げ捨てた。


 多分誰が死んでいてもそれほど心は動かない。琢郎がしたい話はもしかしたらこの事だろうか。


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