第2話 実家

「京ちゃん帰ってきた!お母さん!」


 玄関を開けるなり、けたたましい声で二歳上の姉珠美たまみが叫ぶ。母によく似た面長で、すっきりとした美貌の持ち主だ。同級生から「お前の姉ちゃん美人だな」と羨望の言葉を投げられる度に、嫌な気持ちになった。今も地元の銀行で働いているはずだ。いつも「仕事辞めたい」と譫言のように言っていたが、他に働く場所も無い。銀行勤めは地元に残った若者の中では出世頭と言って良い。もっとも、残った者は数える程だが。


「お帰り、京介きょうすけ

 母がパタパタと足音を立てて玄関口にやってくる。その顔色の良さに呆気にとられる。


「癌、じゃ、なかったっけ」


 弱っている事を期待していた訳ではないが、思わず問いかけてしまった。母はペロリと舌を出す。


「癌だよ。腸に小さいのが出来てね、内視鏡で取ってもらったのさ」

「え、もう、手術終わってるの?」


 珠美は肩を竦めた。髪が背中まで伸びている。ロングヘアーの姉を見るのは初めてだ。


「手術って言っても、日帰りよ。本当に大袈裟なんだから」

「だって、そうでもしないと帰って来ないから、この子は」


 図星を指されて、俯く。玄関のタイルは相変わらず綺麗に磨かれていた。他人様を迎える所だから綺麗にしていないと。それが母の口癖だった。


「入って、お茶飲もう。お昼ご飯、まだでしょう。皆で食べましょう」

 のばされてきた母の手を避けてしまった。反射的に。気まずくて逸らした視線の先に、壁に飾られた絵があった。日本海の水面は絵の中でも沼のように黒い。兄の描いた風景画は、人柄そのままに誠実に景色を切り取っていた。


 姉の朗らかさは母譲り。兄の誠実さは父譲り。

 自分は陰気くさくて、いい加減な人間だった。


琢郎たくろう君がさ、京ちゃんに会いたがってたよ。話したいことがあるんだってさ。会ってきなよ。ついでにお刺身買ってきて。今日ボタン海老と本マグロが入っていると思うよ」


 珠美が長財布を取り出したので、手で制す。


「分かった。俺、買ってくる。何も手土産持って来てないから」

「手土産なんて、水臭い」


 母の声に背を向けて、逃げるように玄関から遠ざかる。意識的に遠ざけていたことを見透かされていたのだと思うと、居たたまれない気持ちになる。

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