2

 夢は叶わない。そして現実にも敵わない。


 否——現実には敵わないから、夢が叶わないのだ。


 私は結局、見事に孤立した。それに悔しいけれど、反省点は自分でも理解している。恐らく引き金となったのは、初日の自己紹介である。やらかしたのだ。珍奇なことを言った訳ではない。ただ、何も言わなさすぎたのだ。「紙燭かがり。よろしく……」としか言わなかった。この時点で、私のとっつきにくさは頂点に達したはずだ。あのタマモにさえ、「お嬢……」と憐憫の情を向けられたくらいである。


 席は窓側の一番後ろの席。隣に人はおらず、私だけがはみ出している形である。もしもこれがテトリスであったならば、蕁麻疹レベルの歪さだ。これにより、尚更私が友達を作るのは難しくなった。


 人述君や堂主にも相談した。どうすれば、人が寄ってきてくれるだろうか——と。人述君には「受動的なのがダメなんじゃないの」と一蹴された。腹が立つ。堂主の方は「もっと笑ったらいいんじゃないのかねぇ、ほらー、かがりちゃん可愛いんだしー」と、それっぽい助言をしてはくれたのだけれど、それを実践できるのであれば、そもそもこんな事にはなっていない。何というジレンマ。


 そんな訳で、転入から一週間が経過した。その間、特に何もなかった。いや、まあ、発見はあった。購買のメロンパンとコーヒー牛乳が美味しいこと。隣にある資料室は名ばかりで、実際は空き教室であること。どうやら今時珍しく、屋上が開放されているらしいこと。大抵空いている穴場のトイレの場所などなど。しかしながら、そのどれもが私が独りで寂しく学内探索をした賜物に過ぎず、そんなものに思いを巡らせても、ただただ虚無感と無力感が募るばかりなのであった。


 可哀想に、私。


「タマモ……」

「…………」

「タマモ!」

「な、なんじゃお嬢」

「どうして無視するのよ!」

「いや、うぬが学校にいる間は黙ってろと……」

「今は独りだからいいのよ。もう少し臨機応変に考えなさい」

「お嬢、今どれだけ妾が理不尽なことを言われていると思う?」


 旧校舎の屋上である。ここは誰もいない、穴場だ。


 気持ちの良い風が吹く。空中庭園なだけあって、ここから見える景色には、筆舌に尽くしがたいものがある。雲の上にあるので、ここから見える大地は、まるで雪でも被っているかのように真っ白だ。あるいは、霧が掛かっているとも取れるだろうか。元々――というのは、地上にあった頃――ここらは洋風浪漫通りと形容されていた程に、異文化を積極的に取り入れていた地域なので、洋風建築が多く見受けられる。それもあって、かつてのロンドンを彷彿とさせるのだ。


 殺人霧に、ジャック・ザ・リッパー。


 ただまあ、所謂有名な「霧の都」というのは、そもそもどうやら霧では無かったらしいのだけれど。


 この学校も例に漏れず、旧校舎は和風な造りであるものの、新校舎の方は洋の造りになっている。私なんかは、普段から着物を着る程に和が好きなので、余り好みでは無いのだけれど、美しいとは思う。救いは、制服が大正浪漫を彷彿とさせる、袴であることだ。普段着と、そこまで大差ない着心地なのが素晴らしい。良く言えば和洋折衷、悪く言えば中途半端――それがこの高校だ。


 残念なことがあるとするならば、今の私には、そんな絶景を堪能する余裕が無いということだ。


「どうせ私はダメなのよ……」

「袖が濡れておるぞ。相変わらずの泣き虫じゃな」

「うっさい」

「うぬのその脆さ弱さを、もっと表に出せば良いと思うのじゃが……」

「そんなこと、出来るはずないわ。舐められたら、人は終わるのよ」

「お嬢の場合は始まってすらいないぞ」


 それにそもそも――とタマモは言う。


「友達が欲しいと言う割には、自ら孤独を選んでいるようにも見えるが? どうしてこんな人気の無い場所で昼餉ひるげを食すのじゃ。なんじゃったか、んー、ほら、あの人がうじゃうじゃいる気味の悪い場所で食ったら良いではないか」

「食堂よ」

「そうそれじゃ、そこで食えばいいんじゃ」

「……ダメよ」

「え?」

「這入れる訳がないじゃない、あんな人の詰め所に。窒息するわ」

「うぬは莫迦じゃ」

「私は莫迦じゃないわ!」


 衝動で立ち上がると、寄りかかっていたフェンスが揺れたらしく、空虚な金属音ばかりが響いた。何をしているのだろう、私は。クソ、今ので少し、飲んでいたコーヒー牛乳も零れてしまった。


 人肌恋しい割に、人が苦手で。人が苦手な割に、人との絆を欲している。カントの言う、非社交的社交性というのは、まさにこれのことだろう。ともすればこれは、私の人としての側面ということになる。


 ぺたんと座り込み、メロンパンを再び囓る。そこまで味はしなかった。


 フェンスの網目模様が影として映っている。そこに混じる大きな猫の影。もしも、これが普通の人の形だったのであれば、私はもっと普通でいられただろうか。そうであるような気もするし、そうじゃない気もする。結局、問題があるのはこの影では無く、私の人間性なのだろう。けれど一方で、この影が人の形をしていたら、そもそもこんな性格にはならなかったという見方もある。人格形成には、環境が大きく関わっていると言うし……。


 はぁ、と深い溜息が零れた。


 と、ちょうどその時だった。鉄製の扉がぎぎっと開く音がした。誰かがやってきたらしいと理解するのに、そう時間は掛からなかった。


 これは、かなりまずい。このままでは、タマモを見られてしまう。一刻も早く、日陰に隠れなければ……。あたりを見回して、貯水タンクの下に影があるのを見つけた。私はそこに滑り込むようにして入った。


 暫くして――とはいえ、それはきっと実時間に換算すれば、酷く短時間だっただろうけれど――扉が完全に開き切り、人の姿が露わになった。


 男の子だった。長めの前髪。その下に覗く、鋭い三白眼。中性的な顔立ちから受けるイメージとは真逆に、左耳には複数のピアスが開いている。紺色の羽織の袖には、手が通っておらず、さながらマントのようにひらひらと風に靡いている。


「オスじゃな」

「タマモ静かに」


 死角なのだろう、彼が私に気付く様子は無い。


 彼は一体、こんな辺鄙な場所に何の用があるのだろうか。私と同じで昼ご飯? いや、どうやら違うらしい。ならば、読書でもしに来たか。しかしそれも違うらしかった。彼は先まで私がいた場所に座り込み——危なかった——何やら懐から、くしゃくしゃの紙とペンを取り出した。暫くそれに何かを書き込んだ後に、彼は立ち上がって、フェンスへと向き合った。次に彼は、下駄を脱ぎ、綺麗に並べたかと思えば、何ということか、フェンスをよじ登り始めたのである。


 ここまでくると、薄々勘付いた。


「お嬢……、あやつ死ぬぞ」


 飛び降り自殺だ。知っている、彼は今間違いなく、その命を絶とうとしているのだ。


 どうしようどうしようどうしようどうしよういやわたしがあせってどうするでもどうすることもできないだってからだがうごかないこわい。


 大きな音もなく、何か特別なこともなかった。


 当たり前のように彼は空へと身を投げ出して——呆気なく、実に呆気なく、死んだ。


 儚いとも思わなかった。


 けれど、人の夢であれとは思った。


 



 




 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る