第貳幕:菊の枯れ刻庭園ドッペルゲンガー

1

 人述澱ひとのよどみと言う彼の名前は、きっと偽名だ。だって彼は、私によく似ているから。怪異でもなければ人間でも無い、中途半端で曖昧な存在。


 怪異は、何らかの概念を司って生まれてくる。天使の怪異が、天使の性質を持っているように。鉄道の怪異が、鉄道の性質を持っているように。そんな中で、彼はどうやら人間の怪異らしい。人間の性質を持った怪異。人間よりも人間味のある怪異。何かの思考実験を試されているかのように、彼の正体や本質はようとして知れない。


 一方の私は、人間と怪異の間に生まれた、人と怪異のハーフである。母親は怪異の子を孕める紙燭しそく家の長女。父親は人間に酷く友好的な、猫の怪異だった。そんな二人――いや、一人と一匹の間に生まれた私には、猫の怪異と人間、両方の性質が備わっていた。


 いや、しかし改めて考えてみると、私と彼は寧ろ真逆かもしれない。


 怪異でもなければ人間でもない彼と――怪異でも人間でもある私……。


「お嬢、妾は腹が減った。のう、聞いておるのか?」


 雲海鉄道に揺らされて、車窓をぼーっと眺めていた私は、その雰囲気にあてられて、いつの間にか黄昏れていたようだ。


 雲の上を走る鉄道――雲海鉄道。そんな宮沢賢治の銀河鉄道を彷彿とさせるような列車が、黄昏町には実際に存在している。灰色の煙を上げながら、白い海を突き進む汽車。途中には駅もあって、踏切もある。車窓からの眺めは絶景の一言であり、少し手を外へ出してみると、手が空気を切り裂くような、涼しい感覚がある。


「……あぁ、ごめんなさい、タマモ」

「まだか、まだ着かぬのか。その、なんじゃ、ガッコウ? とやらには」


 タマモは、私の猫の怪異としての側面だ。早い話が、二重人格だろうか。正確さには欠けるけれど、そういった認識でも支障は無い。


 南向きの車窓から注がれる、太陽の光。それによって伸びた私の影は、猫のシルエットをしている。それに向かって、私は声を掛ける。私にしか聞こえない声に、返事をする。


「学校では静かにしなさいね」

「なぜじゃ?」

「私が変な子になっちゃうからよ」

「何を言うておる? お嬢は変な子じゃ」


 この通り、タマモは私の意志とは完全に独立している。


 今まで、高校は通信制に通っていた。小中の経験から、私はどうやら人間関係に適応するのが苦手らしいと学んだからだ。そもそも、影が人の形をしていないという時点で、周りからは奇妙な目で見られる。それに加えて、タマモの言うように、この強気な性格である——人が近寄らないのも無理はない。


 けれど、浪楓堂で働くようになってから、私の考えは変わった。私でも仲良くできる人は——いや、厳密には人ではないのだけれど、ただまあ、他にも彼のような人がいるのではと希望を見出してしまったのだ。これは多分、私の幼い少女としての側面からくる感情だろう。


「そうじゃ、だからお嬢。妾は腹が空いたぞ。何か寄越せ」

「ここには無いわ」

「外に見える綿菓子みたいのは食えんのか」

「雲よそれは。本当、タマモはお莫迦さんね」

「妾は莫迦じゃ無いぞ!」


 私にとってタマモは友達であり、姉妹であり、鏡に映った私自身でもある。だからこそ、相手をするのが面倒なこともある。だから無視した。


 雲海鉄道で向かう先は、私の新たな通学先である、天八咫あまやた高校だ。通学中に、こんな美しい風景を見られるのは酷い贅沢だ。けれど、これもいつしか、当たり前になって、何の感動も無くなるのだと思うと、一抹の寂しさを憶える。


「悲観的じゃな。暗いぞ、お嬢。うぬはニートか」

「タマモは明るすぎるわ。それと、多分あなたが言っているのはニーチェよ」


 皮肉だ。影の方が明るいなんて。もっとも、影の方には皮も肉も無い訳だけれど。


「ん! お嬢、あの外に見える、カンカン五月蝿い奴はなんじゃ!」

「踏切よ。電車くらい、乗ったことあるでしょう」

「忘れたわい、そんなもの。でもあれじゃな、友達になれそうじゃ」


 雲の上の踏切。多くの幻想的な風景を誇る黄昏町の中でも、ここは有名なランドマークである。鎌倉高校前の踏切とは、空と海で対を成すような景色だ。


 踏切が開くのを待っている人影が見えた。ここらの雲は、足で踏み締めることが出来る。私も何度か、雲の上の駅で降りたことがあるけれど、感触としてはクッションのように柔らかい。トランポリンに近いかもしれない。下手をするとバランスを崩してしまう。けれど逆に上手く利用すれば、普段よりも風を切って歩ける。その時は堂主と来ていたので、子供のように燥いでいた彼女が印象的だった。もっとも私の方は、運動音痴が災いして、転倒に転倒を繰り返していたけれど。


「まもなく、天八咫高校前。零番線の到着、お出口は左側です」

「タマモ、そろそろ降りるわよ」

「おー! なんだ、カッコウとやらは、空の上にあるのか?」

「カッコウが空にいるのは普通だけれどね……」


 列車は雲のトンネルに入った。


 光が遮られて、うっすらと車窓に私の顔が映る。死んだ目をしている。虹彩に一切の光が浮かんでいない。これが多分、人を寄せ付けないのである。「氷の姫」とか「溝下の薔薇」とか、散々な二つ名を昔は付けられた。「実は援交しているらしい」なんて、根も葉もない噂を立てられたこともある。


 あぁ、考えないようにしていたけれど、やはり学校に行くのは少し怖い……。


「大丈夫じゃお嬢。お嬢のことを悪く言う奴がおったら、妾が喰ってやる」

「……ふふ、そうね。ありがとう」


 私はいつも、タマモに救われている。人と怪異の間に生まれた私は、人に虐げられて、怪異に救われて生きてきた。そう考えると尚更、人と怪異どちらが悪なのか解らなくなってくる。堂主もそうだけれど、一体どっちが化け物なのか。


 トンネルを抜けて、やがて目的地が見えてきた。それは何というか、島である。空に浮かぶ島。ここらの大地は重力の怪異による重力異常によって、空に浮いているのだ。地上の方には、大きな穴が空いている。


 空中島――菊の枯れ刻庭園。


 世界でただ一つ、空中にある学校――天八咫高校はここにある。

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