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 浪楓堂は、黄昏町の一角に店を構える古書店である。


 最早裏路地とも取れるような寂れた場所にあるので、人通りは少ない。かなり年季の入った佇まいである。浪風堂と手書きで書かれた木製の看板は傷んでいて、今にも朽ちて腐ってしまいそうである。大きさは一般的な民家と同じ程だけれど、その風貌は一風変わっている。


 構造としては二階建てなのだけれど、何というかその見た目が、家を二つ重ねているように見えるのだ。上空から見てみれば、きっと×の形になっていることだろう。堂主の変人さ加減を象徴しているようにも思われる。


 雅な雰囲気のある引き戸を開いて中に入ってみれば、誰もが腰を抜かすことだろう。部屋の区切りが曖昧になってしまうほどに、この古書店は本で溢れているのだから。一応本棚は備え付けられているのだけれど、最早その中には収まらないのである。ここに居候する僕は、本の上で寝ているし、本の上で食事をしている。


 さて、そんな珍妙な古書店にて。


「天使の怪異は、その人たちからしてみれば、実際に天使だったってことかしらね」


 紙燭しそくかがりは、本の上で独特な座り方をしながら――所謂女の子座りである――僕の語った本件の顛末を簡潔に纏めた。彼女は、この古書店唯一の従業員――というか、バイトの少女である。


 彼女を一言で表すのであれば、「崩した大和撫子」である。例えば髪の毛は癖が一切無い、艶やかな黒髪なのだけれど、水色のインナーカラーが入っている。例えば普段から高級そうな着物を召しているのだけれど、いつも片方の白い肩が露出している。例えば淑やかそうな雰囲気があるのだけど、意外と行儀が悪い。


 しかしまあ、そのちぐはぐさ加減は、この浪風堂にはよく似合っている。


 彼女は剥いた蜜柑の皮を、ポイッと屑箱に向かって投げ捨てて――本ばかりとはいえ、流石に屑箱くらいはある――もぐもぐと食べながら続けた。


「もももんももんも………」

「まず呑み込んで。何言ってるか全然解らないから」


 ごくんと呑み込むと、「この蜜柑まだちょっと熟してないわね……。にっがい」と不平を垂れた。まだ旬の季節では無いので、仕方なかろうに。


「人には出来ない救い方ね。人間は自殺の幇助を罪とするけれど、やっぱりそれって、少なからず綺麗事なのよ。幸せに生を謳歌できる人間は、認めることが出来ないんだわ。死にたい人間がいるということを。死んだ方が幸せな人間がいるということを」


 憂うような目で、彼女はさながら独白のように言う。全てに肯くことはできないけれど、概ね僕も、彼女の意見には同意である。怪異が人間を救った――とするのは、いささか都合の良い解釈かもしれないけれど、しかし結果だけ見れば、そこへ至る過程が単なる利害の一致だったにしろ、同じ事である。


「まあ、天国とか天使とかいう概念が、そもそも悲観的な人間の幻想由来のものなのかもしれないね」

 

 死んだら救われる。死んだら苦しみから逃れられる。そんな考えが、きっと根底にある。だから、天使という概念を司る怪異によって生み出されたあの楽園が、そういったある種の人助けの性質を備えていたと解釈しても、何らおかしく無いのだ。


「『天使のからくり』ってそんなものなのかもしれないわね。天使が救うのではなく、使――というか。もしかするとそれは、ただ救われた気になっているだけかもしれない。けれど、救われた気になっている人間は、救えないものよ。だってその人にとっては間違いなく、救われているのだから」


 宗教も同じ原理よ――と付け足すように言う紙燭。


 彼女は本の山の中から一冊を手に取った。白い表紙に、金色の文字で「天使のからくり」と書かれている。


「……また一冊増えたわね。堂主のコレクション。何冊目よ」

「もう数えられないよ。ここにあるの、全部そうだし」


 この本の山は、四季ちゃんの万年筆によって鎮められた怪異たちに他ならない。この一冊一冊に、その怪異についての物語が事細かにしたためられている。


「あなたの言う天使の惨死体って、結局怪異なのか人間なのかどっちなの?」

「元は人間だったよ。でも、怪異化してしまった。だからあれは怪異だよ。意外とあるんだよ、人が怪異になってしまうことって」

「ふーん。なんかあれね、ゾンビみたい」 


 屍という点では、あながち的を外していない比喩だった。


 あの惨死体が怪異であったのは間違いないのである。四季ちゃんの万年筆「桃源郷」は、怪異にのみ効力を発揮する代物なのだから。人をあれで斬り付けても、血が出るだけだ。


 しかし同時に、あの惨死体が元は人間であったことも紛れの無い事実である。それは、「天使のからくり」を読めば解ることであった。あの本の中身は、の物語だった。


「意外と読み物としても面白いわね、これ」

「まあ、ちゃんと小説になってるからね」

「どちらかといえば、伝記に近い気もするけれど」


 あぁ、そっか――と普通の反応を返してしまった。


「結局じゃあ、張り紙を出していた人たちは、未来永劫探し続けるってことなのかしらね、死人を」

「そうだね……。そうなるね」

「虐待してた癖に、どうして捜すのかしら」


 四季ちゃんの推理は、殆ど正解だった。これは後に「天使のからくり」を読み、更に聞き込みをしたり、噂や風説を掻き集めたりして達した結論である。因みにこの事後調査は、僕の好奇心からなので、四季ちゃんは関わっていない。


「んー。愛情はあったってことなんじゃないの」

「じゃあどうして傷つけるのよ。愛があるのに」

「さぁ……。愛があるから?」

「なによそれ。人間って、怪異以上に不可解ね」


 死体芸術家の件にしても、人の方が不可解だし、怖い。


「私の父親は、ちゃんと私を愛情込めて育ててくれたわよ。怪異なのに。怪異の方がよっぽど人間的よ」

「……そうかもしれない」

「じゃあ、怪異と人の差って何よ」

「……解らない」


 時たま思うのだ。


 果たして怪異を皆殺しにしたのは、正しかったのだろうかと。


 暫しの沈黙。


 玄関の引き戸が開かれると共に、「ただいまりもー」という可愛らしい声がした。


「……私たちには解らないことなのかしらね」

「そうかもしれない」


 怪異と人の間に生まれた半人半霊の少女、紙燭かがり。


 彼女と僕は、よく似ている。

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