3
古くから、幽霊や怪異など、魑魅魍魎の類は、物語にすることで鎮められると考えられてきた。例えば平家物語は、滅んだ平家の怨霊の祟りを恐れ、それを鎮めるために書き上げられた、平家栄枯盛衰の物語である。
四季ちゃんの万年筆「桃源郷」はこれを利用している。怪異にしろ、その後遺症にしろ、不可思議なものは物語にすることで鎮められる。
僕なんかの説明では解りにくいかもしれないので、四季ちゃんの言葉を引用すれば、「物語は言ってしまえばもう一つの世界だからね、怪異は勘違いしてそっちに行くのさ。より居心地の良い方へ」ということになる。
「いたい……、あしなおしてー」
「無理言わないでください」
足を挫いた四季ちゃんをおんぶしながら、引き続き子供たちの捜索をする。春の園、夏の園と周ったけれど、めぼしい成果は得られなかった。そんな訳で、今は秋の園である。
紅葉の森林であることは述べた通りである。ただ、そこに補足をするとすれば、真っ赤な彼岸花が至る所に咲いていた。戦場の地に突き刺さる剣のように、点々と。或いは墓地のように。
「そういえば、どうして植物はここで生きられるんですかね」
「さぁねー」うなじの辺りに、四季ちゃんの息遣いを感じる。こそばゆい。「怪異の作る景色に、一貫性を求めること自体、間違っているのかもしれないねぇ」
「……そういうものですか」
「うん」
それは酷く納得できることだった。自分を振り返ってみれば、尚更に。
彼岸花がふと目に入って、僕は地獄を連想した。そこから更に、死を連想して、「ここに子供たちがいたとしても、死んでいるのは確実ですよね」と口に出た。
「いやねぇ、それがどうも不思議なんだよ。ここに来ると死にたくなるのは確かなんだ。けれど、だからといって、死体はどこにも転がっていない。ね、矛盾してるでしょ」
「あー、そうですね言われてみれば」
どうして僕はそんなことにも気づかなかったのだろう。全く不甲斐ない。
「だから、子供たちが本当に死んでいるのかは解らない。ボクらがすべきは、この神隠しの謎の解明だよ」
四季ちゃんは改めて目的を確認する。そう、端から救えるなんて思っていない。僕らのこれは、贖罪なのだ。救えなかったことに対する、謝罪なのだ。殴られようと刺されようと、文句は言えない。
「あれ、でもそういえば……」
「どうしたの?」
「僕、見ましたよ、首吊り死体」
「んぇ!?」
素っ頓狂な声が背中から聞こえる。前のめりになったのか、背中に掛かる力も強くなった。だからといって、軽いことに変わりはないのだけれど。
「え、いつ? いつのことじゃそれ! 儂知らんぞ!」
「いや口調……」
例の首つり死体を見たときの状況を詳細に説明する。天使の惨死体に合わせて突如出現した、あの気味悪いてるてる坊主を。
「ボクは見てないよそれ……」
「じゃあ幻覚でしょうか?」
「むー。いとなやましき」
「四季だけに」と付け足す喧しい人は放っておいて、さて、こうなってくると可能性としては二つ考えられる。
一つは天使の惨死体による幻覚という可能性。もう一つは実物という可能性。この場合は、何らかの理由で四季ちゃんは見逃したということになる。一見粗雑だが、あの集中していた状態ならば不自然では無いだろう。
「お巫山戯はこの辺にして、真面目に考えるなら、あの天使がトリガーになっているのはほぼ確実じゃないかなぁ。だってほら、こんなに歩き回っても見つからない訳だし」
「そう、ですね……」
あの景色は、天国の裏側のようだった。見てはいけない深淵。開けてはならない箱。そんな印象を受けた。
園内をさらに進んでいくと、紅葉の森林を抜け、代わりに彼岸花の数が多くなってきた。どうやらここは、彼岸花の花畑という訳らしい。その赤くも毒々しい花々は、否が応でも死を強く連想させる。どこを見ても、彼岸花に彼岸花。宇宙空間に投げ出されたが如く、方向感覚が狂わされる。
あれ、それっておかしくないか。どこを見てもって、おかしいじゃないか。だって少なくとも上を向けば、青い空が広がっているはずで……。
「…………」
その驚きは声にならなかった。
赤い空だった。地平線の彼方まで、彼岸花が咲き乱れる。彼岸花地獄とでも言おうか、彼岸花に覆い尽くされた球体の中へ、閉じ込められたような気分である。一歩踏み外せば、気をやってしまいそうになるほどに、狂気に満ち満ちた景色である。
雨が降り始めた。赤色の雨。言うまでもなく、それは明らかに血である。鉄臭い。肌に染みていくそれは、妙に熱を帯びていて、どうしようもない不快感がある。赤色の地面に吸われて消えて、また降って吸われて消える。
と、その真紅の雫たちに混じって、天空から一本の白い糸が垂れてきた。咄嗟に糸と形容してしまうことからも察せられる通り、それは長細かったのである。その糸が地面にまで降りてきたかと思えば、次の瞬間、その周辺が段々と赤く滲み始めた。
いや、どうだろう、それは注がれたと表現すべきかもしれない。
透明の容器に色のついた液体を注いでいくと、段々とその色の嵩が増えていくように、徐々に徐々に、下から上へと色に彩られていくのである。やがて、その形がはっきりと見えてくる。赤が段々と段々と落ちて、別の色になっていく。
冬の枯れ枝のように、しな垂れている。夏の紫陽花のように紫。春の舞い散る桜の花びらのように、肌の鱗片が宙を舞う。それは間違いなく、死体であった。首吊りの死体。天空からの白い糸にぶら下がる蓑虫のようなそれは、人の形をしていた。
しかし一瞬、僕はそれをさっき見たものと同じであると断定することに躊躇した。なぜか。最初に見たものは、遠くからであったので、ここまでしっかりと観察できなかった。だから、俄には信じられなかったのである。こんなにも凄惨な有様で、こんなにも惨憺たる死に様で、顔の上半分は爛れて原型をとどめていないにもかかわらず、しかしその辛うじて残っている口元は、確実に笑みを浮かべているのだから。
そしてあぁ、どうしてだろう。どうしてここまで、世界というのは無情で、残酷で、非道なのだろう。もしも世界に、もう少しの人情があれば、こんなことにはならないだろうに。
「子供だね……」
「えぇ」
子供なのだ。先の首つり死体は大人のものだった。けれど、今回は違う。子供だ。まだ世界の汚れなんて、一切知らないのが普通であろう年齢――なのにどうして、こんな無残な姿に成り果てたのだろう。いや、そんな言い回しは止めよう。もう解っているはずだ、一体これが何なのか。知っているはずだ。天使のからくりを。
「君が前に見た首吊り死体は――」
「男も女も年齢も問わず、バラバラでしたよ」
「……よくわかったね、ボクの言いたいこと」
「デュパンで無くとも、それくらいは解るんでしょう?」
これだけ揃えば、名探偵でなくとも、推理は容易である。
失踪した人間。老若男女を問わない神隠し。これと首吊り死体を結びつけるのは、至極当然の帰結である。それに、天使の惨死体。あれは、首回りが輪っかを描くように、紫色へ変色していた。今ならそれが何だったのか解る。あれはきっと、首吊りの際の縄で締め付けられた痕である。
だから、この楽園公園神隠しの全容はこうである。
失踪した人間たちは、みんな僕らがそうであったように、希死念慮に駆られて、首吊りを敢行する。その後、幾ばくかの時間を掛けて、あの天使の惨死体へと変貌するのだ。
けれど、依然として解けない謎もある。
それは、首吊り死体にも天使の惨死体にも見られた、全身の青痣である。あれは首吊りをしただけでは、絶対に付かない傷だ。それから、死体が笑っていたこと。
「……まあ、うん、君の言うとおりだろうね」
四季ちゃんに僕の推理を明かすと、そんな風に返ってきた。そして、こう続けた。
「君の言う謎には、ある程度の憶測が立てられるよ。まず死体が笑っていたこと。これに関して考え得る状況は一つしかない。死に喜びを感じているんだ。死に喜んでいるんだよ。でなきゃ、窒息の苦しみに悶絶の表情を浮かべない訳がない。そして、ここからあの青痣についても考察できる。まあ、考察というか連想かな。あれは虐待だろうね。日常的に暴力を受けていないと、できない傷だ」
なるほど。もしも四季ちゃんの言葉が正しければ、やはり救うなんて、出来すぎた真似だったのである。何せ彼らはもう、救われていた。死は救済というように、彼らは天使の怪異によって、救われていたのである。
僕らはもしかすると、いい加減知るべきなのかもしれない。
世の中には、死んだ方が、よっぽど幸せな人間もいるのだと。
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