第2話 長内苺とフルーツケーキ

 ある日、図書委員の仕事終わり。

 蒼依と苺はとある場所に寄り道をしていた。


 そこは通学路から、少し外れたところにあるオシャレなケーキ屋。何やら用事があると言った苺に興味本位でついて来た結果、この場所にたどり着いた。


「うわぁ、どれも美味しそうだね」


「そうね」


 店に入ってすぐのところに置かれたショーケースを、張り付く勢いで眺めていた蒼依。


 色も形も違うケーキたちが、まるで隊列を組んだように並べられている光景は見事で、このまま何時間でも見ていられそうなほど絶景だった。


「ケーキなんてしばらく食べてないなー」


「私も去年の誕生日が最後だったかしら」


 蒼依が目を輝かせていたところ、品出しをする店員の女性とガラス越しに目が合った。その瞬間、女性は用意していたかのように自然な笑みを浮かべる。


「あはは……」


 これはシンプルに気まずいやつだ。

 蒼依は精一杯の笑顔を返して、前かがみになっていた姿勢を起こした。

 そして同じくショーケースを覗いていた苺に尋ねる。


「ケーキを買うってことは、今日は何かお祝い事?」


「ええ、そうね」


 もしかしたら家族の誰かが誕生日なのかもしれない。

 蒼依がそんな予想を立てていると、


「今日は姉の誕生日なのよ」


 質問するよりも先に、苺は言った。


「長内さんってお姉さんがいるんだね」


「ええ」


 苺に姉がいるのは少し意外だった。

 しっかり者の彼女のことだから、てっきり長女なのかと思っていた。


「じゃあお姉さんが喜ぶやつ選ばないとだ」


「そうね。でも実はもう買うケーキは決まっているのよ」


 そう言うと苺は、前かがみだった姿勢を起こしてグイっとつま先立ちになる。そしてショーケースからひょこっと顔を半分ほど出すと、向かいに居た店員の女性に言った。


「すみません。この限定のフルーツケーキを三つください」


「フルーツケーキですね。かしこまりました」


 苺が注文したのは、一日三十個限定と書かれた色どり豊かなフルーツケーキ。

 見たところ残りはちょうど三つ。ギリギリ買えたようでよかった。


「今ご用意いたしますので、少々お待ちくださいね」


「はい」


 普段通りの澄ました表情の苺に対し、女性はというと、小さな子供に向けるような優しい笑みを浮かべていた。


 その様子からして、どうやら彼女は苺のことを少し誤解しているようだ。初めてのおつかいに挑戦する、小さな女の子にでも見えているのかもしれない。


「あ、でも、制服だしそれはないかも」


「何か言ったかしら」


「あ、ううん。何でもないよ、何でも」


 ついつい漏れてしまった独り言を、蒼依は咄嗟に誤魔化す。


「長内さんはやっぱり大人だなぁと思ってさ」


「そう? 別に普通だと思うけれど」


 家族の誕生日にケーキを買うなんて、少なくても蒼依はしたことがない。


「むしろ私は自分を子供だと思うのよね」


 そう言うと苺は、何やら精一杯の背伸びをして見せる。

 するとショーケースと自分を比べて、


「ほら、子供でしょ?」


 と、身長が小さいアピールをしたのだった。

 確かに見た目は小さいが、蒼依が言ったのはそういうことじゃない。


「もう伸びないのかしらね、私の身長」


「どう……だろうね」


「このままだと私、この先もずっと子供のままだわ」


「大丈夫。長内さんはもう十分に大人だから」


 少しずれた苺に、やむなく苦笑いを浮かべる蒼依だった。





「ん?」


 ケーキの箱詰めを待っていると、いつしか苺の視線は明後日の方へと向いていた。


 気になった蒼依がそちらを見れば、そこには困り顔で店員と話す男性客が。


「う、売り切れって……一つも残ってないんですか?」


「申し訳ございません。たった今、全てのフルーツケーキが出てしまいまして……」


「そんなぁ……」


 会話を聞く限り、どうやらこの男性客は限定のフルーツケーキを買いに来たらしい。


 でもそれは今さっき、苺が残りを全て買い占めてしまったのでもうない。

 あと数分学校を出るのが遅くなっていたら、おそらくケーキは売り切れだった。


「よかったね。ギリギリ買えたみたいで」


 蒼依はホッとした気持ちでそう言った。

 しかし苺は、なぜかパッとしない表情でその男性客を眺めている。


「長内さん?」


 無事に買えて安堵しているかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。


 この感じ、もしや自分が買い占めてしまったことに、罪悪感を覚えているのだろうか。


「あの、すみません」


 やがて何かを決心したかのように、つま先立ちになった苺。箱詰め作業をしていた店員の女性を呼ぶと、一切の躊躇いなく言った。


「今から注文を変えることはできますか」


「えっ」


 突然のことに、女性は驚いたように目を丸くする。


「可能ですが……」


「じゃあフルーツケーキの代わりに、このショートケーキを三つお願いします」


 どうやら蒼依が想像した通りだったらしい。

 苺は注文の変更を申し出ると、目の前にあったショートケーキを指さした。


「か、かしこまりました」


 その行動の意図は、どうやら店員の女性にも伝わったようで。あまりにも人がいい気遣いに戸惑ったのか、女性は意味もなくその場でクルッと一回転していた。


「しょ、少々お待ちください」


 そして、慌てた様子で男性客の対応をしていた店員の元へ。

 耳元で何かを伝えているからして、おそらくはここまでの流れの説明だろう。


 やがて事情を知ったであろうその店員は、男性客にもそれを受け継いだ。

 全員が事情を把握したところで、みんなが揃って苺に頭を下げたのだった。


「お待たせしました。こちらショートケーキ三つです」


「ありがとうございます」


「お気遣い頂き本当にありがとうございました」


 それから会計を済ませ、箱詰めされたケーキを受け取った苺。一時も笑顔を崩さないその姿には、流石はしっかり者の大人だと、感心せざるを得ない蒼依だった。


 しかし、こうも思った。

 少しお人よしが過ぎるんじゃないかと。



 * * *



「本当によかったの?」


 お店を出るなり、蒼依は苺に尋ねた。


「フルーツケーキ、お姉さんの好物なんじゃないの?」


「そうね。確かに姉はフルーツケーキが好きね」


「譲っちゃってよかったの?」


 苺が思いやりに溢れる人なのは知っている。

 でもわざわざ知らない人の為にまで、その良心を使う必要はあったのだろうか。


「いいのよ。きっと姉は許してくれるわ」


「でも、せっかく買えたのに」


「こうした方が、あの人にとっても私にとってもいい結果になるはずよ」


 そう言うと苺は、得意げに人差し指を立てた。


「あの男性、花束を持っていたでしょ」


「花束? ああ、確かに持ってたかも」


「それに服装もかなり気を遣ったものだったわ」


 花束と服装がケーキを譲ったことに何の関係があるのか。

 蒼依は苺から出た言葉を頭の中で反芻して――ふと気づいた。


「もしかして」


「ええ。そのもしかしてがあったからこそ、私はケーキを譲ることを決めたのよ」


 ここまで言われて蒼依はようやく理解した。

 どうして苺がケーキを譲ったのか。そこに至るまでの過程を。


「プロポーズの予定でもあったのかな」


「さあ、そこまでは私にもわからないけれど」


 先ほどフルーツケーキを買おうとしていたあの男性客は、明らかに普通とは言えない様相だった。大きな花束を抱えていて、服装もかなり高級そうな紳士服。それでいて何度も繰り返していた。一つでもいいですから、と。


 そこから考えられる可能性はいくつかあった。

 でも一貫して言えたのは、あの男性は自分ではない誰かの為に、フルーツケーキを買おうとしていた可能性が高いということ。


 苺だって確証があってそうしたわけじゃないのだろう。

 ただ『服装に気を遣った男性が花束を抱えていた』という僅かな情報から得た可能性を考慮し、ケーキを譲るという行動に移したのだ。


「買えなかったのは残念だけど、絶対にフルーツケーキじゃないとダメなわけでもないの」


 平然とそう語る苺に、蒼依は驚きを超えて絶句した。


 同級生でここまで気を回せる人がいる。

 しかもその子は、見た目がお人形のような女の子である。


 それは、もうすでに慣れた事実のはずだった。

 でもその見た目とのギャップは、一体どれほどの差異があるのだろう。


 自分だけは、長内苺という人間を知っているつもりだった。

 でも先ほどのことで、またしても彼女の底が見えなくなってしまった。


「やっぱり大人だね、長内さんは……」


 蒼依は自然と込み上げてきた言葉をそのまま口にする。

 すると苺は小さく微笑み、どこか遠くを見るようにして呟いた。


「そんなことないわよ」



 * * *



「今日は付き合わせてしまってごめんなさい」


 少しの沈黙を挟んだ後、蒼依の隣を歩く苺は言った。


「全然大丈夫だよ。僕の方こそ勝手についてきちゃってごめんね」


「いいえ、むしろ水城くんが居てくれてよかったわ」


「よかった?」


 蒼依が首を傾げると、苺は恥じらうように顔を背ける。


「ここだけの話、私結構な人見知りなのよ」


「そうなの?」


「だから水城くんが居なかったら、ケーキを譲ることも無かったかもしれない」


 それはとても意外な話だった。

 まさか苺が人見知りだったとは。

 しっかり者の彼女からは想像もできない一面だ。


「もし見て見ぬふりをしていたら、きっと後悔していたと思う」


「でも、長内さんなら、僕がいるいない関係なくケーキを譲ってたと思うよ?」


「さあ、どうかしらね」


 すると苺は、どこか遠くを見ながら語る。


「それが善だと理解していても、実際に行動に移すのは案外難しいものよ」


 そこまで言うと、不意に人差し指を立てた。


「電車の座席とかが良い例ね」


「確かに……あれって譲るの結構勇気いるんだよね」


 得意げな笑みで語られたそれに、蒼依はうんと頷いた。


 相手が座席を必要としているか否か。

 それを判断するのは自分であり、決断して声を掛けるのも自分。


 周りに人が居るのなら猶のこと。

 誰かに任せればそれでいいと、そう思って行動しない人はたくさんいると思う。


 仮にも座席を譲ったとして、それがもし相手にとって余計なお節介だったとしたら。善と思って行動したはずが、結果的に相手の迷惑になってしまったとしたら。


「水城くんが居てくれたから、私は勇気を出してケーキを譲れたのよ」


 様々な可能性が在り得る中、一人で決断するのは勇気がいる。


 でも、二人なら頑張れる。

 苺が語ったそれは、蒼依にとって共感しかなかった。


「でも、実際に勇気を出してケーキを譲ったのは長内さんだから」


 とはいえ、事実として彼女は、自らの意志でケーキを譲った。それはとても凄いことだし、その勇気に対する賞賛は、彼女だけに向けられるべきだと思う。


「あの人も喜んでたみたいだし、やっぱり凄いよ、長内さんは」


「そんなに褒めても何も出ないわよ?」


 そんなやり取りを最後に、会話は一度途切れた。

 このまま沈黙になるのもどうかと思い、蒼依は気になっていたことを尋ねる。


「そういえば、長内さんはどのケーキが一番美味しそうだと思った?」

「そうね。どのケーキも魅力的だったけれど」


 蒼依の問いに、一度は考えるようなしぐさを見せた苺だったが、


「水城くんはどのケーキが一番美味しそうだと思ったのかしら」


 応えは口にせず、蒼依に対して同じ質問を繰り返した。


「僕は断然ショートケーキかな。大きなイチゴも美味しそうだったし」


「そう」


 短く言った苺は、曲がり角の手前で歩く足をピタリと止める。

 そしてそれ以上何かを言うわけでもなく、蒼依を残して先を行った。


「私の家こっちだから」


「あ、うん。僕はこっち」


「ならここでさよならね」


 もしや、あまりされたくない質問だったのだろうか。

 だとしたら悪いことをしたな。

 蒼依がそんなことを考えていると、


「さっきの質問だけど」


 先を行ったと思われた苺が不意に立ち止まった。

 おもむろに振り返った彼女が浮かべたのは笑み。

 それは夕日と重なって、少し眩しい。


「私はフルーツケーキが一番だと思ったわ」


 やがて呟かれたのは、譲ったはずのケーキの名だった。姉の好物で尚且つ自分も好きとなれば、譲るにも少し思うところがあっただろうに。


「それじゃあ、今日はありがとう、水城くん」


「またね、長内さん」


 やはり苺はお人よしだと、改めてそう感じた蒼依だった。


 夕日に向かって進む彼女の背中は小さい。

 でもその器は、太陽と同じくらいに大きい。

 今日はそれがよりハッキリとした一日だったように思う。


「ケーキ、喜んでもらえるといいね」


 どうしてか、無意識に笑みがこぼれた。

 去り行くその小さな背中に向けて語りかけたが、どうやら声は届いていないらしい。


「やっぱり変わってるよな、長内さんって」


 良い意味で紡いだそんな言葉を残し、蒼依は夕日を背に一歩を踏み出した。

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