いつか私は猫と2人で

津尾尋華

いつか私は猫と2人で

 ずいぶん長く生きた。人間に飼われていたこともあるし、気ままに暮らしていたこともある。最近では思うように体が動かなくなってきた。  

 そろそろ私もおしまいかもしれない。


 そんなふうに考え始めた頃、1人の人間にあった。

 どうやら目が見えないらしいそのメスは、住まいの縁側で本を手に持ちながらうつらうつらとしていた。壁にもたれてまどろんでいるその姿が気持ちよさそうで、つい私も縁側に上がってしまった。太陽の光で温まった木材が暖かくて、程なく私も丸くなって寝てしまった。


 縁側の感触のせいか、そばに人がいる気配を感じるせいか、まどろんで、人に飼われていた頃の事を思い出した。


「ご主人、ご飯だご飯」


 眠りながらそんな事を言っていたと思う。

 背中を撫でられている感触で目を覚ました。 


「あら、起きた。食べるかしら」


 目の前にはきゅうりが置かれていた。


 私は好きだが、初対面の猫にあげる餌ではないと思う。こののメスは変わり者だ。シャリポリきゅうりを食べた。時節、背中に触れてくる感触があった。おそるおそる腰から背中をそっと撫でる感触は悪くはなかったが長居は無用だ。縁側から飛び降りてその家から離れた。





 眠る時間が長くなってきた。体もだるい。餌を探しに行くのがしんどい。特に雨の日は特に体に堪える。もうすばしっこく動く獲物は捕まえられなくなってしまった。かと言って人間に餌をもらうには、今の自分は年老いてみすぼらしすぎる。

 

「あー、そろそろ私も限界かねえ」


 嘆息する。まあ、人間に捕まることも飢えて死ぬこともなくここまで生きてきたのだ、充分かもしれない。そんな事を考えていると、後ろから声がした。


「お前、もう少し頑張れば。もっともっと生きられるぜ」


 後ろを向くと、若々しい艶々とした毛並みの真っ黒い猫が、塀の上に立っていた。


「そんなこと言ってももう歳だからねえ」


 ため息をつく。


「まあ、お前の勝手だけど、次の満月くらいまで頑張ってみな」


 そういうと、黒猫はサッと行ってしまった。


 その言葉を信じたわけではないが、なんだか元気付けられた気がして、もう少し頑張ってみようと思った。そうはいっても体力はない。気がつくといつか人間のメスとひなたぼっこした家に来ていた。


 縁側には誰もいない。まあ、雨宿りはできるかと、縁側でぶるぶると水を飛ばして座り込む。寒くて、寒くて、眠りそうになる。まずい気がする。いや、もういいのか。そういえば、この前ここにきた時は、昔飼われていた時のことを思い出したな……。そんな事を考えていたら眠りについていた。




 目が覚めた。暖かい。体が乾いて、ふかふかした布に包まれている。これが、死後の世界ってやつかしら。ああ、でもお腹は空いた。死んでもお腹は減るんだ。

 

「誰かいませんかー、神様? 幽霊?」


 声をあげているとあの時の人間のメスがやってきた。死んではなかったようだ。人間が家に入れてくれたのか。


『起きた? よかった生きてたわね。ほら、ご飯食べる?』


 今度はきゅうりではなかった。何やらうまそうな匂いがしている。皿に盛られたご飯をムシャムシャと食べる。


『葵ーっ、猫ちゃん生きてたよ』


『ああ、よかったわね。ほら、ミルクも。びっくりしたわよこんな雨の日に急に連絡がくるから』


『だって、縁側に何かあると思ったらぐったりしてるんだもん』


『お人よしもいいけど。あなたも他人の面倒見れるほど余裕ないでしょ、どうするの?』


『とりあえず、元気になるまでは部屋に置いて、元気になったら……、里親とか探せるかな?』


『その子結構な歳だから難しいと思うよ。倒れてたのも寿命かもしれないし』


『そっか』


『まあ、しばらくは私も手伝うけど、ずっとは無理だからね』


『ありがとう。いつもごめんね』


 葵とかいう知らない方の人間のメスは帰って行った。目の見えない人間のメスと2人になる。人間のメスは、近くによって頭を撫でてきた。


『よかったねえ。しばらくは私と一緒に生活しようねえ。私は真白って言うんだ。あなたは?』


「呼びたいように呼べばいい」


『この間もナーコナーコ鳴いてたから、ナーコにしよっか。よろしくね。ナーコ』


 名前が決まった。ここにいる間はナーコという名前になるようだ。私はオスだが命の恩人の命名だ。甘んじて受け入れよう。






 二日もすると、体力は回復した、そうはいっても歳なのでそう元気いっぱいには動けないがここにきた時よりはましだ。


 真白というメスと、ひなたぼっこをしたり、撫でられてやったりしながら過ごす。夜、寝る頃になると、真白は『ナーコ、ナーコ』と私を呼ぶ。宿を借りてる身としては宿主の願いは叶えなければならない。辛いところだ。


 真白はいつも私を抱きしめて撫でながら、眠りにつく。

『ナーコ、あったかいねえ』

『ナーコ、明日はお散歩しようか』

『ナーコ、今日のカリカリはいつもと違うのだったけど美味しかった?』

『ナーコ、ナーコがいると楽しいねえ』

『ナーコ、ナーコ、君のうちはここだからね』


 人間の事情はよくわからないが、真白が寂しいことは伝わった。全く、明日のカリカリは倍くれないと割に合わないぞ、と思いながら真白の指を舐めてやる。


『くすぐったいよ』


 そんなふうに言いながら、真白はとても嬉しそうだ。


 目が見えない真白は、時々、家具にぶつかりそうになったり、雑貨を踏みそうになる。そんな時、私は仕方ないなあと「ナーコ」とないて注意してやる。同居人の世話を焼いてあげるのも私の日課になった。


 しばらくそうやって暮らしていると、ある時、庭に見知った猫が現れた。いつぞやあった黒猫だ。あちらも目をぱちくりしてびっくりしている。


「お前、生きてたのか。てっきり死んだと思ってたんだけどなあ」


「失礼な事を言う。死にかけたけどしっかり生きてるよ」


 縁側でひなたぼっこ、私の大好きな場所でくつろぎながら、返事を返す。


「そりゃ運が良かったな。ダメだと思ってたから伝えなかったけど、お前、次か次の満月まで生きれば、猫又になれるぞ」


「猫又?」


 知らない言葉に首を傾げる。


「素質持つ18年生きた猫が、存分に月の光を浴びるとな、不思議な力を持った妖に生まれ変わるんだ。最近じゃあ滅多に見ないけどな。お前、素質がある」


「なんだかわからんけど猫又になるといいことがあるのか?」


「死なないし、先のことがわかったり、傷を治したり、物を動かしたりできるようになる。大体のとこ飢えなくてすむし、敵にやられることもなくなる」


「へえ、そりゃ凄いな」


「だろ、俺は猫又のハル。仲間になろうぜ。素質があっても死にかけてたり、18まで生きられなかったりで、なかなか仲間がいないんだ。俺はずっと猫又の仲間を探して旅してた。お前なんてんだ?」


 ハルは額をすりつけんばかりに前のめりになってはなしかけてくる。


「今はナーコだ。キジトラのナーコ」


「ナーコか。教えといてやる。満月が近づくと不思議な力が湧いてくる。それを使わずに貯めとくんだ。体いっぱいにその力を溜めて月の光を浴びれば猫又にかわる。いろんなことができそうに思えるはずだ。その力を溜めるんだ。覚えときな」


 ハルは、親切にいくつか注意をしてくれた。何やら用があるらしく、しばらくいなくなるけれど、次の満月には戻ってくるから、猫又になったら一緒に日本を旅しようと誘われた。

 

 ハルから聞いた旅の話はとても面白かった。仲間たちが沢山いる猫の島。釣りをする人間が集まって、お裾分けがもらえる港。虫が沢山いて取り放題の公園。気分の良くなるまたたびという草の沢山生えているところ。

 聞いてるだけで楽しかった。雪ってどんな触り心地なんだろう? 見渡す限りの草原で追いかけっこをやるのは楽しそうだ。海ってしょっぱい水たまりは? 


 ハルと旅に行きたいと思った。




 数日が過ぎた。

 満月の日が近い。体に力は入らないが、何かが体に満ちてきているのがわかる。妙に勘も鋭くなっている。なんとなくだが今までできなかったことができるような気がしている。ハルの言ってた不思議な力とやらなのだろう。


 まだ生きられる。旅にも出られる。そう考えると、ワクワクして生きる気力が湧いてくるようだった。ああ、旅に行きたい。でもそうすると真白が1人になってしまう。世話のやける宿主だから、しばらくは一緒にいてあげようか、猫又の寿命が長いなら、ハルも待ってくれるかもしれない。真白が大丈夫そうだったら、時々旅に出て、また帰ってくるのもいいかもしれない。


 その日、真白が外から帰ってきて、靴を脱ぐのももどかしいかのように部屋に駆け込むと、私を探して抱き上げた。


「聞いて! 聞いて! ナーコ! 私、目が見えるようになるかもしれない! 凄い凄い! もう諦めてたのに。まだ、わからないけど、来月入院して、手術したら治るかもしれないんだって!」

 

 余程嬉しいんだろう。いつものんびりした口調の真白が、ベッドに倒れ込んで、早口でまくしたてる。


「ああ、見てみたい。ねえ、ナーコはどんな見た目をしてるの? 私ね! 月を見てみたい。本で読むだけだったから、月がどんなに綺麗なのか。ナーコと一緒に月を見たいなあ」


「あ、他にも花も、雪も、海も、滝も、見たいものがいっぱいあるの!」


 そう嬉しそうに話す真白の事を見ながら、私は胸がザワザワするのを感じた。なにか、悪い予感がする。満月が近くなって体に満ちてきた力が、何かを教えようとしているようだった。


 己の体の中に満ちた力に集中する。視界に真白、その体に黒い靄のようなものが見える。更に集中する。黒い靄が目の奥に微かに輝く細い光にからみついている。本能的にわかった。光が失われれば目は見えなくなる。そして、この黒い靄が光を消そうとしている。だめだ。今これを取り除かないと、真白の目は見えるようにはならない。胸に満ちた力を集める。やり方はわかる、これを使えば、黒い靄は消せる。


 力を込めようとした時、頭の中にハルの声が響いた。


「やめろ、力を使うな。人間なんかほおっておけ。ほんの何日か一緒に過ごしただけだろう? そこまでの恩があるのか? 力を使わなければお前はずっと生きられるんだ」


 ハルが私を止めようとする。

 自分でもわからない。猫又になってハルと旅をする。楽しそうだと思う。


 でも、止まらない。力を集める。


「やめろって言ってるだろ! そのメスが傷ついたって、いずれは傷は癒える。今だけ我慢しろ!」


 頭の中に声が響く。わかる、言ってることはわかるんだ。でもダメだ。黒い靄に集中する。


「なあ、やめてくれよ。俺、猫又になってから100年は経つ。どこに旅しても猫又の仲間はいないんだ。やっと見つけた仲間なんだ。死なないでくれよ。俺と一緒に日本中旅しようよ」


 泣きそうな声のハルに、本当にすまないと思って返事をする。


「ごめんな、ハル。私も、お前と旅したかったよ」


 黒い靄に力をぶつかる。靄がきえた。同時に、力が抜けていくのがわかる。ああ、これは、終わりだ。わかる。力と一緒に命が抜けていくのが。


「馬鹿、馬鹿、ナーコの馬鹿」


 ハルの鳴き声が頭に響く。ごめんな。でも、どうしても、嫌だったんだ。真白が悲しい思いをするのが、本当に嫌だったんだ。


 真白の声が頭にこだまする。


『私ね。目が見えるようになったら、ナーコと月見をするんだよ。楽しみだなあ』


 ハルの声が聞こえてくる。


「そりゃあ、世の中にはいろんなものがあるんだぜ。俺と一緒に旅をしよう」


「ごめんなあ。真白、ハル。ありがとなあ。私はお前たちと会えて本当に嬉しかったんだ。真白、月が見れなくて……ごめん……、ハル、旅に……行けなくて……ごめん……よ……」


 そして、何もかもが聞こえなくなった。体から、力が、命が抜けていく。ああ、お別れだ。



────────────


 しばらくした後の夜、満月は恐ろしいほど荘厳に輝いて、あたりを照らしていた。



 ハルは月を見て、フンッと鼻を鳴らして、それから少し首をたれて歩いていく。



 真白は探す、小さな同居人を。


「ナーコ、ナーコ、月を見ようよ、怖いくらい綺麗だよ。ナーコ、ナーコ、どこに行っちゃったのかな。またもどってくるよね」

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