旅立ち

「正嗣くんはうちの学童を手伝ってくれていると聞いた気がするが、その正嗣くんなのかな」

「はい、安川のように何でも楽しむという訳にはいきませんが勉強になっています」

「なんに対しても学びを見出だせるのは良い素質だな。有り難いことです。留学の話。美波の未来の話だな。一度ゆっくり考えてみよう。長いこと私の横で仕事ばかりさせて、楽しんでると言ってもそれが全てではあるまい。

 自分の気持ちを正直に打ち明けてくれるといいなあ。と、思うけれど…」

 二人は自分たちの国に貢献してくれていたらしい老いた社長に深く頭を下げ、応接室を退出した。踊り場まで戻ってようやく大きな息をした。正嗣は慌ただしく携帯を取り出し、

「もしもし善治、来た甲斐があったよ。思ったのとは違ったけどハンドルネームの秘密も解けたし。じいさんが安川と話してみるって、まんざらでもない感じだった。僕たちのことは何か感づいた気配はあったけど、見逃して飲み込んでくれたって感じかな」

 と、報告した。三人で行くのはこっちの手の内を全部見せるようで能がないと、人当たりの良いつばさと行けと善治が今回の人選をした。

「つばさありがとう。いろいろ」

 善治が言うと、

「でっかい『ソフィアの翼』って壁画があったぞ。お前にも見せてやりたかった」

「『ソフィアの翼?』今度見せてもらうよ。壁画なら当分そこにあんだろう」

 と、善治が笑った。

 一仕事終えて爽快な顔で階段を飛び降りるつばさに正嗣が話しかける。

「お前、小学校の頃縦割り学習で時々世話になったマーガレットを覚えてる。この頃会ってないから印象はボンヤリしてるだろうけど、はっきりした意見を言う時、目の下をこうする癖があった。それをこの頃思い出すんだ」

「なにそれ?」

『こう』目の下をこすって見せる。

「あ!…姉貴の友達だった」

「だろ、多分そうだと思う」

「あの、マーガレットが茜に変身して僕たちの前に現れたってことか」

「闇結社ピーズの離れ業だな」

 久しぶりに難問が解けて正嗣が得意そうな顔をした。

「なんで…何きっかけで思い出したの」

 つばさが食い下がった。


 その日は皆んな朝からソワソワしていた。茜はこれで終わりなのかこの先も続くのかわからないまま、ようやく見慣れた茶髪の前髪をなでて鏡の中の茜に挨拶をした。

 つばさは朝食もそこそこに家を飛び出し、正嗣の家に向かっていた。隠してある横断幕ならぬガーランドを持ち出して空港に向かうことになっている。寂しさはあるけれどこれは旅立ちだ。割り切るつもりでいた正嗣が少し落ち込んでいた。

 好敵手…それはいなくなると寂しいものだ。安川の存在は冷静に眺めながらも今も何処かで勝手に張り合っている。自分を鼓舞し、負けたくないと磨きあった相手だから。

 こどもの城は安川が不在の間、正嗣が顔を出すことにした。高校生になるし責任ある仕事も任されてみようと思った。照れ屋の正嗣が俺に任せろとは言わないが、心に秘めた決意はあった。

 晴れた日散歩をした。子供たちを連れて…

 こどもの城の小高い丘に二人の天使の像が建っている。階段の踊り場で見たソフィアの翼を彷彿とさせる。この記念碑には題目となるプレートが無い。『ソフィアの像』と名付けるにはまだ傷が癒えていなかったのか…老社長の思いを込めてこの場所から元気に走り回る安川を見守るように建てられた。

 ここに眠る安川の両親が、当時、頻繁に通っていたサファナ国との商談の帰りに航空事故にあったことを突き止めた正嗣は、胸が傷んでしばらく話をしなくなった。ホームシックになるくらい家族との絆の強い正嗣には、その事実が耐えられなかった。その思いと安川への恋心と全てまとめて記念碑に手を合わせた。

「すみません。安川のことしばらくお預かりじゃないけど…僕代わりに来ます。此処にも…」

 と、小さな花束を添えた。広大な雑木林から林に飛び移る雉が見たくて目を凝らしてもそう簡単に姿を見せてはくれなかった。


「そーれ!」

 一斉に広げたガーランドは端を川園と橋口が、もう一方の端を海道が担当した。珍しく穴ぐらから這い出して空港に来ていた。安川社長にも一言挨拶したかった。伝説のプレジデント安川が生きてるとは思っても見なかった。香椎はあくまで裏方に徹して明るい場所には出てこなかった。

「安川頑張れよ!茜も元気でな」

「こどもの森は此処にいる皆んなで守ります」

 正嗣の胸に秘めた、安川に伝えたかった宣言を覚が言ってしまった。多くの子供達に混じって柚菜が恥ずかしそうに持ち前の大人びた表情を封印して混じっていた。この中なら柚菜だって虚勢を貼る必要もない。覚のキラキラした顔がそう言っていた。

「なんか寂しい感じ」

「せっかく良い先生に出会えたのに」  

 覚が残念そうに呟く。

「お前には先生だけど僕たちには掛替えのない同士なんだぞ。悲しみの桁が違う」

「ソフィアとはこれからもサイコスでやり合える」

 善治が最後にボソッとそう言った。


「今度は隣町の中学校へ転勤が決まったんです。此処で三年過ごして新任でもなくなりましたしね。次は1年の担任。昨日まで6年の子供たち。新鮮です。可愛いだろうな」

「甘く見てるとビックリしますよ。子供って凄いんですから」

 川園が爽やかな顔でそう言った。

  皆んなで大きく手を降って…しばしの別れをした。

                                了

                               

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スクールヴィルス @wakumo

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