気づかれたくない才能
川園の目下の悩みは、バイトで家庭教師をしている担当児童の進学に対する意識の低さだった。名門中学に入れたいと願う親から、有名中学出身を見込まれて引き受けた川園だったが、子供を勉強に向かわせる指導力がないらしい。子供の気持ちはわからないし、上手く会話できない。子供は川園が何を言っても反応せず心を開くことがなかった。
いったい学習意欲は何処から湧いてくるのか「中学受験なんて楽勝!」と引き受けたバイトだったが思うように進まなくて悩んでいた。
そこへ教頭から押し付けられた後期生徒会の顧問。表面はにこやかに橋口の相手をしながら、気持ちはかなりナーバスになっていた。しかも内緒のバイトのため誰にも相談することも出来ない。
何度か相手をする中で、時たま放つクレバーな発言から学習能力が低いとは思えなかった。ただ、親が願う名門中学進学には何の興味もないと態度が物語っていた。頭が良いだけにその理由がわからない。
毎週その日が来る度に自分の力の無さを痛感し、家庭教師に向かう足取りも重かった。
「あ〜断ってしまおうかな。これ以上通っても効果は期待できないし、私もそろそろ教師として本気出さないと」
窓越しに下を眺める政嗣がふと目を落として、
「あれ、川園先生じゃない」と、指を指した。
「どれどれ、ホントだ。隣のマンションに入って行くよ。あんな高級マンションに住んでるのか」
「家族と…」
「それ以外。まさかな…」
「まさかだよな」
「なにそれ」
「いや、誰と住んでるのかなと思って」
二人は沈黙しながら、川園が入って行ったマンションの入り口にある大理石の彫像の設えられたレンガ造りの噴水を眺めていた。
「顔見知り?」
香椎友則が聞く。
「学校の物理の先生だよ。あそこに住んでるとなるとかなり金持ちだな」
「そうなの、まさかとは思うけど、恋人のところにでも通ってるんじゃないかな…」
「まさか、どんな発想だ」
「そんなことより、今までのようにのんきに表玄関からこのビルに出入りできないね。見つかったらややこしい」
「ややこしいって、遂にあのエレベーターの出番だな」
得意そうにつばさがそう言った。
「エレベーター?」
首を傾げる政嗣に友則が説明する。
「あれだよ、あのエレベーターを使って一階まで降りると下がジーンズショップになってる。そこから出入りすれば目立たなくここへ来れるって算段」
「へ〜そんな仕掛けがあるなんて知らなかったな」
「何があるかわからないからね。このビルには部外に知られてはいけない機密情報が詰まっている」
「おい、善治にメールしよう。表から来るなって」
「電話の方が良い。一刻を争うよ!」
「海道さんにも僕の方からメールしておく。万が一ってこともあるからね」
つばさが活き活きしながら携帯を取り出した。
「店に行けって電話もらったけど何かあったの」
「ああ、善治。お前の学校の先生が前のマンションに出入りしてるらしい。用心に越したことは無いからね」
「へ〜あんな高級なマンションに、いったい誰だろう」
忙しく雑用をこなしながら海道が手も止めず低い声で話した。
「じゃ、上に行くよ。このエレベーターが活躍するとはな…て、店長!この子誰!」
善治はカーテンの隙間に隠れた少年を見つけた。
「寝てるのかな。ヤバいんじゃない。こんなところで…」
二人は動かない小さな訪問者を見下ろして考え込んだ。
「とにかくお前は早くいけ。出来るだけ人には会わないほうが良い」
「ああ、上がって事情を聞いてみるよ」
そうやってコソコソやっているうちに、子供が目を覚ましてジッと二人を見上げていた。
「おいおい起きたよ」
「やあ、君此処で何をしているの?」
優しく聞いたつもりだったが、海道の声はドスが聞いていて子供を少々怯えさせた。
「もう少し此処にいちゃあいけない。今見つかると困るんだ」
そんな状況の中、少年は冷静に二人に助けを求めるようにすがった目をした。
「あんな目で見られちゃお前の顔もすっかり記憶に焼き付いたってもんだな」
「まずいよね。近所の子だろ。まさか小学生が遠路はるばるこの店で昼寝しないし」
「子供だからって安心できないご時世だ‥今後のこともあるから、お前が毎週此処に来る理由を作れば良い。まあ、心配せずに」
「僕、此処にいて良い?」
返事をしない二人にもう一度少年が聞いた。
「なんで此処にいないといけないの?」
善治のほうがいく分子供受けすると見えて、少年がボソボソ話した。
「僕の家に会いたくない人が来るんだ。親の言いつけで会わないといけない。なにか苦痛なんだよね。その時間」
「はは、苦痛って…それで此処にいる。でも、探してるだろうお母さん?まさか、俺たち誘拐犯になったりしてないよね」
「確かにそう疑われる可能性はあるよね」
二人の心配をよそに、ケロリとした顔で、
「大丈夫だよ。僕にも作戦があるから。おじさんたちに迷惑はかけないよ」
「おじさん…」
「君の家はこの辺りなの?参考に聞かせてもらってもいいかな」
「それはやめたほうが良いよ。これ以上僕に関わらないほうが良いと思うんだ。今なら僕の単独犯だからね」
海道はありったけの優しい声で、
「じゃ、次は此処に隠れるのは止めてね。僕達に疑いがかからないように協力してくれないと」
「うん、なるべく」
少年はそれはちょっと難しいと言う顔をして目を伏せた。
海道曰くかなり知能の高い子だ。ただもんじゃないね。という評価だった。
「僕達は知らない顔をしていれば良いんだね」
善治がそう言うと、
「そうしていただければ助かります」
と、深々と頭を下げた。
「お前、週に一度うちでバイトしないか?」
「え、うちは進学校だよ。バイトは禁止」
「融通の効かない鈍さだなあ。じゃあ英会話でも教えてくれよ。もちろんタダで、バイトじゃなきゃ良いだろう。適当でいいからさ。なんでも此処に来る理由があればそれで良いんだ」
「あれ、いないよ」
「子供だからな。気まぐれなんだよ」
たいして気にもせずそのままにすれば良いかと思いながらも、海道の言った知能の高さと言う言葉が気になった。冷静に大人とやり合える勘の良さに善治の自己防衛本能が反応していた。
「なんか気になるな〜あの子。まあ、いつまでも僕達のことを覚えてたりしないだろうけれど」
「急いで上がれよ」
「はい。じゃあ今度はテキスト持ってきます」
「はいはい」
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