林間学校

 橋口の心配をよそに、学校中にベタベタ貼られた後期生徒会役員立候補者募集のポスターだが、その効果も無く、一人の立候補者もないまま学は夏休みに突入した。

 30度を超えるうだるような暑さの中、林間学校の顧問も兼ねる橋口は、指をくわえたまま何も出来ず自分の実力の無さを痛感していた。

 ところがここに来てとてつもなく大きな変化が起こった。

「生徒会って何?」と悩み続けた美波は、理解し難いか悩んだ挙げ句、林間学校の実行委員に立候補した。橋口のまいた種は小さな目を育んだ。


「こんなに暑いんじゃ涼しい時間に家を出て冷房の行き届いた学校にいた方が過ごしやすくないか?」

「俺の家は30度を超えてもエコだとか温暖化だとか言ってエアコン入れてくれないし、午前中のクラブが終わっても、あの家に帰りたいとは思わないよ」

「バスケ部は体育館だからな…あそこは涼しい」

 つばさの悩みを聞いていた政嗣が、

「安川さんが林間学校の実行委員を手伝って欲しいと言っていたよ。午後からも学校にいられる口実になる」

「林間学校の実行委員だって…この俺が…似合わない」

「安川ってあの真面目そうな?」

「そう、バスケ部だ。この時期やめないとこ見ると成績良さそうだな」

「やめない?」

「そろそろ、そういう時期だろ。日本じゃ夏休み前にクラブをやめて受験体制に突入するって聞いてる」

「そうか、成績いいとクラブも好きなだけやれるってわけだ」

「そろそろやめなきゃいけないなんて悲劇だ〜俺の唯一の息抜きの場所なのに〜」

 つばさは頭を掻きむしって残念がった。

「その代わりの保険みたいなもんだな、良い子ぶって学校に残るのも考えもんだけど時間つぶしには良いと思わないか」

 三人の中で一番良い子が似合わないつばさがこの話に乗るべきか、聞き流すべきか本気で悩んでいた。

 あの家には帰りたくない。一秒でも長く学校にいたい…そんな不純な動機が勝ってつばさは次の日、安川を目で追っていた。


 政嗣とつばさが安川の動向に惑わされる中、美波は小気味よく朝練を終え、夏期集中講座の教室に入って来た。教室は今来たばかりの連中や宿題の追い込みに励む者たちの悲壮感でざわつき、裏口から静かに入って来た美波を誰も気に留めなかった。

 美波はスポーツバックをロッカーにしまうと机に戻り鞄を開けて色とりどりのカバーのかかったノートを机の上に並べた。カバーには『SOFIA』と丁寧に書かれ名前とも思われない文字が見える。その文字に心当たりがあるかのように政嗣とつばさが目を合わせた。

「ソフィアだって、あの名前見たことあるけど、まさかな…」

「ソフィア…あのハンドルネーム?彼女は相当な頭脳の持ち主だよ。まるで安川みたいな…まさか、どうなってる…」

 二人は顔を見合わせた。

 ピーズの運営する辞典サイト「サイコス」に常に登場するハンドルネームソフィアはその書き込みの充実さと完璧さで群を抜いていた。

「とにかくどんなことにも博識で、その情報量の多さといったら右に出る者がいないほどだぜ。俺は一度やり合ったことがあるけど、負けたけど…」

「ソフィアに負けたって我が国の恥にはならないよ。それくらい確かな情報量だからね」

「あ、この前歴史のレポートもらったよ。僕がちょっと質問したら次の日にはちょっとしたレポートになって持ってきてくれたんだ。何事も放って置けない性格なんだなきっと」

 三人の顔が凍りつく。まさか…彼女はソフィアなんだろうか…と。

「確かにこの日本だ。そんな人材もいてくれないと俺たちがあんなにムキになって勉強した甲斐もない。安川がソフィアであるとしたって可笑しくないよ。ただ、安川がソフィアってなんか複雑だな…」

 善治が冷静にそう言った。いよいよ日本の本質に触れられるんじゃないかと期待して。

「なに…」

「もしそうなら…俺付き合って欲しいと申し込もうかな。ずっと憧れてたんだ」

「ソフィアに…つばさが、まあ、まずは確かめるべきだね。それと何となく頂けない動機だね。どっちにしても」

「なんで?」

「だから何となくって言ってる。上手く表現できないけど」

 善治の煮えきらない様子に政嗣が笑った。

「俺、実行委員やるよ!この国じゃ何したって目立つことも無いってちょっと自信ついてるし」

 変な自信がついたものだ。そう言ってつばさが決心を固めた。

 つばさの態度は、善治から見ればお調子者のように、美波に近づくためにはなんでもやってしまいそうな危なっかしさを感じた。

「いいよ、どっちにしろかなりな天才だ、俺好み」

 天才が俺好みとは…益々眉間にシワを寄せる善治だった。

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