プログラム

「勤勉」について間違ったプログラムを習得してしまった彼らは、日々の中で誤魔化す事の多さに疲れ切っていた。基本的生活規範を「やりすぎない。出しゃばらない。見てみぬふりする。とインプットした筈なのに、実際は「目立ちたがり。落ち込みたがり。突っ込みたがり」で、日本の子供たちの精神はアンバランスで計り知れない。真似しようにも掴みどころがなくてホトホト困っていた。真面目に授業を受けるだけで目立ってしまう。これは任務を果たすためのカモフラージュとはいえ、とうてい相容れないものだった。

 周りが勤勉なら勤勉にしていれば目立たない。しかし、この学校の生徒たちは、日々の授業の中で発言しないし活発ではない。なのに、試験の結果だけは妙に良くて、三人には理解できない不思議な人種だった。


 連絡のために集まる場所が指定されている。隣町の駅前を一本入った目立たないところにあるデザイナーズマンション。大きなリビングに情報機器が持ち込まれ、ここで本部へ最新の日常をレポートして送る。それが唯一の司令だった。

 セキュリティーのしっかりしたマンションに隠れるようにして入る。

「あら、あれ桐原君じゃないかしら。うちの制服に似てたけど…気のせい…」

 指定されたマンションの向かい側のマンションに、あろうことか川園が出入りしていた。川園は学校に内緒で未だに家庭教師をやっている。それがバレるのを恐れてそそくさとマンションの陰に隠れた。

 時間がきて三人が集まる。クラブで遅くなった政嗣とつばさが後からやってきた。

「暑いな〜善治エアコン入れようよ。汗でグッタリだよ」

「そう云う時はグッショリとかダクダクとか言うんだよ。グッタリは疲れたときとか…」

「わかったわかった、もういい、お前の講釈は聞き飽きた」

「なんだよ、ろくに日本語も話せないくせに、ちゃんと聞けよ」

 善治はつばさの危なっかしさが気になる。

「当たり前じゃなくても十分やれるよ。こっち来て驚いただろう、俺みたいな落ちこぼれで十分だよ」

 つばさの言う通り、ちゃんとしてる奴の方が少なかった。

「お前みたいにちゃんとしてると目立つぞ」

 それを言われるとやりきれなくなってゾッとする善治だった。

「まいったね善治。つばさの言う通りかも知れないなんて、勉強熱心な僕達には辛すぎるよね。こんなことならわざわざ優等生の僕らを選ばなくても、ほかに適任な奴たくさんいたのに」

 そうぼやく政嗣を呆れ顔で見ながら善治は、これまでの長い、辛い訓練を思い出していた。


 それは潜入請負機構での事だった。今回の任務が「日本」と聞いて誰もが尻込みしなり手がいない。潜入請負機構といっても成績の良い奴ばかりとは限らない。彼らは任務に忠実にという他は強制される事はなかった。

 個性は有ってもいいが、やることはやるといった意味でのスペシャリスト集団であり、個性の他にもう一つ別な重要なポケットを持っていた。

 日本への人選は、成績優秀な政嗣と善治がまず決まり、残り一人の適任者がいなくてどこでもやれるバイタリティーのあるつばさが苦肉の策で選ばれた。

 それが二ヶ月前のこと…

 彼らは特別クラスで難解な日本語を覚え、最近流行りの音楽や、世界水準をはるかに超えた「漫画」に熱中した。

「日本人は勉強も漫画でするらしい。この漫画見た?良く出来てる。将棋とやらの解説も完璧だよ。あとはパソコンで仕上げだ。

 まったく、どんなものも実に素晴らしいシステムで出来ている。日本人は相当頭がいいな」

 というのがこちらに来る前の善治の感想だった。

 善治は、この手応えのありそうな日本という国に惚れ込み、少しでも日本人に成り切ろうと偉人伝から歴史もの、料理の本、遊びの本、あらゆる本を読み漁って知識を溜め込んだ。

 そのため基本的な知識ばかりに偏り、優秀になりすぎて、口から出る言葉がやけに堅苦しく、初めの何週間は自分をセーブするのに手こずっていた。

 派遣が決まってからの政嗣の生活は、かなりハードだった。請負機構で子供たちの教育に携わる父親を持つ政嗣は子供の頃から、いくつものジオラマな世界に区切られた広大な敷地の中で、何不自由なく育ったサラブレットだった。

 純粋培養、この巨大な鳥籠の中で作り物の世界しか知らずに育った政嗣は、経験が乏しく外の世界が想像しにくいだろうと、ひとまず海外派遣がどんなものか把握するために仮派遣としてアメリカに飛ぶことになっていた。

 成長するにつれて自然に備わった体力と知力に自信のある政嗣にしてみれば、試運転など少々プライドが傷ついたが、そこは逆らわないように訓練されているのが幸いした。

 派遣直前、日本への肩慣らしならアジアの方が良いという意見が出され、急遽韓国へ飛ぶことになった。地図を眺めて日本と韓国の位置を確認する。アジアという海に浮かんだ地域が珍しく、始めての海外旅行を思うとワクワクした。

 韓国での一月は政嗣にとって快適な毎日だった。

 交換留学生として赴任した政嗣は、ここでの毎日に無理に韓国語を使う必要もなく。教室の中もお客さん扱いでマイペースに振る舞うことが出来た。

 教室の生徒は想像通り「勤勉」で皆んな真面目に勉強していた。授業が終わっても学校に残り受験勉強をする。夜10時まで続く熱心な学習に驚いた。小学校から外国へ留学する子供もいるらしく、一人や二人交換留学生が混じっていても目立つこともない。政嗣の神経を逆なですることは何もなかった。

子供に注ぐ親の教育熱に舌を巻いた。「勤勉」と言われている日本ははたしてどんなところだろう。韓国留学を終えて勤勉の実情を知り、期待と不安が倍増した政嗣だった。

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