第2話帰宅
「いや家出って、こ、言葉間違えてないか?」
先程までニコニコしていたアカリはハヤトの言葉を聞いて急に神妙な顔をした。
「ううん、家出って、お家に帰らないって事だよね。アカリ、もうお家に帰りたくないの」
「そりゃ、またなんで急に」
混乱しながらも、なんとかハヤトが尋ねる。
「だって、父様が意地悪言うんだもん。父様なんて嫌い! だからアカリは家出するの!」
「意地悪って、あの親父さんはお前の事すごく可愛がってるじゃんか」
ハヤトはなんとかアカリを説得しようと試みる。一国の姫が家出など、さらにそれに自分が加担するなど冗談ではない。もちろん彼女の護衛が影から見張っているので、成功するはずないのだが。
「でも、父様に兄様のお家に行きたいって言ったら絶対ダメって言うんだもん。何回お願いしてもダメだって。あんな所行っちゃいけないって、兄様のお家なのに」
そこでハヤトは合点がいった。要は何も知らないアカリの我儘が流石に娘を溺愛している皇帝でも認められない物だったのだ。
「あー、まぁ、しょうがねぇよ。俺でも絶対行かせねぇ」
自分の住まいを思い出してそう答える。それがアカリには不満だったようだ。
「どうして? いつも兄様がアカリに会いにお家まで来てくれるのに、どうしてアカリはダメなの?」
「うーん、まぁ、なんだ。危ないというか何と言うか」
ハヤトはアカリをどうすれば説得できるか考える。
「危ないってどういう事? 兄様のお家なんでしょ?」
「あー、その、まぁ、あ、あれだ。お化け、お化けが出るんだよ。それと鬼な。こんなでっかくて角が二本あって、怖い牙が生えてるんだ。アカリなんかペロリと食べられちゃうぞ」
体を使って、どんな鬼なのかを説明してみる。
「う、嘘だよ。だって、兄様はそのお家に帰ってるんでしょ?」
少しだけ怯んだアカリを見て、ハヤトは畳み掛ける。
「この鬼は俺の親父が飼ってるんだ。だから親父の息子である俺は食べられない。でもアカリは違う家の子だから、鬼に見つかったら頭からバリバリ食べられちゃうぞ? それでもいいのか?」
「うぅ、でも兄様のお家に行ってみたい」
べそをかき始めたアカリの頭をぽんぽんとハヤトは優しく叩く。
「いつか、いつか俺の方から招待してやるからさ。だから今日は違う事しよう。ツクヨを探すんだろう?」
「……うん、分かった。絶対兄様のお家に連れてってね?」
「あぁ、それで、今日は何をするつもりなんだ?」
アカリに差し出された小指に自分の小指を絡めて約束してから、ハヤトはそう尋ねた。
「うーん、家出するつもりだったから、何も考えて……じゃあ、いつもみたいにおままごとしよ?」
「またか? 飽きないのか?」
「全然」
「はぁ、マジかぁ。そんで、今日は俺はなんの役をやればいいんだ?」
変な配役がなされないように心の中で強く祈る。
「んー。じゃあ、赤ちゃん」
「は?」
だがアカリは無情だった。
「だから、赤ちゃんの役やって?」
「悪い、俺、ちょっと、しなきゃいけない事、あった」
片言でそう言って、ハヤトは逃げ出そうとする。しかし、そんなハヤトの動きを抑えるようにアカリが彼の腰にしがみついた。
「だめ!」
「は、離せ! それだけは許してくれ!」
「何でもしてくれるんでしょ!」
「そんな事言ってねぇよ!」
だが残念ながらアカリは決してハヤトを離さなかった。結局、ハヤトが折れる事になり、その後合流したツクヨとアカリの前で赤子の演技をする事になった。ただし、ツクヨがどこからか持ってきたおむつを履く事だけは断固拒絶したのだった。
〜〜〜〜〜〜〜
雨が降ってきたのでアカリと別れ、ハヤトは屋敷の門をくぐる。この国唯一の公爵であるため、ハヤトの実父は広大な屋敷を有している。門から本邸まで馬車で10分はかかる。周囲には広々とした庭や林、当主に認められた者だけが扱える訓練場などなど、様々なものが屋敷に辿り着くまでには置かれている。
ハヤトはそう行ったものに関心を持たず、さっさと歩いて10分ほどした所にある、今にも倒壊しそうなボロ小屋の中に入って行った。中には目を閉じて寝たきりの30歳ほどの女性と15歳ほどの少女がいた。
「ただいま」
「ああ、ハヤト、おかえりなさい」
少女がハヤトに話しかけてくる。目を閉じたままの寝たきりの女性にちょうどご飯を食べさせる所だったようだ。
「ごほっ、ごほっ、今日は何をしたの?」
女性が咳き込みながらハヤトに尋ねる。
「別に、おっちゃんに訓練してもらって、アカリと遊んできただけだよ」
「あんた、またアカリ様をそんな風に呼び捨てて」
少女が呆れた様に言うもハヤトは無視する。しかし女性の方は顔を顰める。
「ねぇ、ハヤト。何度も言ってるけれど、アカリ様に会うのは止めなさい。私達の立場をもっと考えないと」
「ふん、立場って何だよ母さん。なんで俺がそんな事いちいち考えなきゃいけないんだ」
母親の言っている事は十分理解出来る。奴隷の子供が一国の姫と仲良くなるなど、童話の中でしか許されない。それに実父である公爵は、例え姪だとしても不愉快に思えばアカリを殺す事を躊躇わないだろう。だからこそ、アカリと距離を置くべきなのだ。そんな事、ハヤトも理解している。
「ハヤト……」
目の見えないはずの母親が咎めるような顔をしたので、顔を逸らした。彼女はハヤトを妊娠している時に毒を盛られて体を悪くし、それ以来寝たきりな上に失明したのだ。
「あんたももう12なんだし、いつまでもフラフラせずにしっかりとしなさいよ」
「別にいいだろ」
3歳上の姉も眉間に皺を寄せて小言を言ってくる。ふと、ハヤトは姉の動きが不自然である事に気がついた。いつもよりも少し内股気味になり、体の至る所にアザがあった。
「……誰にやられた?」
「え?」
「その怪我、誰にやられた?」
彼の姉は弟である彼も認めるほど美しい。下卑た視線を向けられるのもしばしばだろう。また立ち場も奴隷である為、本来ならば手も出しやすい。奴隷に人権などないのだから。彼女が今までに無事だったのは、単に当主の娘だった為だ。奴隷とはいえ、当主の娘に手を出す愚か者など、この屋敷で勤める者の中にはいない。だからこそ、必然的に対象が絞れてくる。
「1番目か? それとも5? それか8か? あるいは10?」
ハヤトの兄弟の中で最もそういった事をするのはその4人だった。8と言われた所で、姉が肩を震わせた。
「そうか、8……ヤクモか」
女性をモノとしか見ない男だ。ハヤトの姉であるフウカの一つ上で16歳だが既に多くの女性を傷つけ、殺している。
「ち、違……!」
フウカは右手で左の二の腕を押さえながら否定しようとして、涙をこぼした。彼女の啜り泣く声が部屋の中に響き、無理して起き上がった母親のレイカがヨロヨロと手を伸ばしてフウカを抱きしめてその頭を撫でた。
「ごめん、ごめんね。何もしてやれなくて。守ってあげられなくて」
その言葉に、ついにフウカは大声で泣き出した。それを見てハヤトは爪が食い込み血が出るほど強く拳を握る。
「……殺してやる」
そして、心の底から殺意を込めてそう呟くと、ハンゾーから受け取った後、床に隠していた刀を取り出した。
「ハヤト? 何を考えているの?」
その不審な気配を感じてレイカがフウカの頭を撫でながらハヤトに尋ねる。だがハヤトはそれに答えずに今にも壊れそうな扉を力強く開けて、雨の中駆け出した。夕方から降り出した雨はどんどん強くなっていった。
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