28日目(木曜日)薪ストーブの部屋の午後「記憶なき過去」③




「なんと… スミエさんが私の妻で、若いお嬢さんが私の娘と…」


「おとうさん…」


 今度は、若い娘の方の両目一杯にためた涙がこぼれた。


「このお二人には、大作さんが水曜日だと思っていた日、実は日曜日だったんですが、毎週、この病院に来てもらって清掃員としての役割を演じていただきながらお見舞いしていただきました。ちなみに、私がこの部屋に検診に来ていたのは今日もですが、毎週木曜日でした」


「そうだったんですか…  え~ 黒井さん… いや、松嶋先生、なぜ、私がそんな自殺をしようとしていたのか教えていただけませんか?」


「奥さん、じゃあ、私の方からお話してもよろしいですか?」と松嶋先生がスミエさんの方を向いていった。


「ええ、先生から仰っていただいた方が、主人も落ち着いて聞けると思います。よろしくお願いします」とスミエさんが言った。主人とは、どうやら、私のことだ。


「大作さん、そう、あなたのお名前は、藤澤大作さんといいます。大きく作る、と書いて大作です。ですから、私はあなたのことをDと名付けました」


「はあ…」


「大作さんは、脱サラをしてラーメン店を開きました。“おいしいものを安く提供したい”という信念のもと、あなたは、澄江さんと共に店を切り盛りして、それでも、開店当初から良い評判のラーメンを提供していたようです。ところが、開店から3ヵ月ほど経ったある日の夜、澄江さんが悲しそうにスマートフォンを大作さんのところに持っていったそうです。大作さんが画面を見ると、あるSNSのレビュー画面に、大作さんの作ったラーメンの写真があって、平均レベルにまったく達していない。行く価値がない店、など、店を罵倒する内容が長文で書き込まれていたそうです。どうやら、そんなひどい書き込みをした人は、近隣のラーメン店を訪れては酷い投稿をすることで有名な人だったらしいです。大作さんは、初めは『俺は気にならないよ』と言っていたそうですし、傷つけられる内容の投稿はごく一部で、その何倍も、店を褒める内容の投稿があったそうですが、大作さんは段々、店に立っていても、批判されることに神経質になり、SNSのレビューに何かネガティブなことが書かれていないか気になって探すようになってきたそうです。どうです?ここまでお話して、何か思い出したことはありますか?」


「いいえ、まったく覚えはありません。しかし、そんな酷いことを書かれたら、そりゃ、神経が病むかもしれませんね」と私は正直な気持ちで言った。


「大作さんが仰る通り、かなり気に病んだことで、診断はされていませんが鬱病みたいになったそうです。お店で仕事するどころか、自宅に引きこもって、先程申した通りに、自殺未遂に至る自傷行為が始まり、そして、ついには、マンションから飛び降りた、ということです」


「なるほど… そんなことがあったんですか… スミエさん、それから、ええっと、サトコさん、その節は苦労を掛けて申し訳なかったです」私は二人に頭を下げた。


「何言ってるの、おとうさん。そんな風に謝らないで。記憶が無くなったとはいえ、こうやって、元気になってくれて、本当に良かったと思ってるのよ」とサトコさんが言った。


「お二人には、大作さんに刺激を与えないように、愛想の無い清掃員を演じてもらいながら面会していただきましたが、先日の餃子の餡は、大作さんが作ったレシピを基に、澄江さんと聡子さんが仕込みをした餡だったんです」と松嶋先生が言った。


「思いもかけず、おとうさんに餃子をふるまってもらって、とっても嬉しかったの。それで、今回は、試しに、おとうさんが作ったレシピを基にしてラーメンのスープを仕込んで小さな寸胴ずんどうに入れて持ってきたんだけど、おとうさんが作ったラーメンは、以前のまま、とっても美味しかったわ」とスミエさんが言った。


「どうですか、大作さん。完全に記憶が元に戻ったわけではありませんが、退院してご自宅に戻ってみませんか?」と松嶋先生が言った。






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