scean3 脱獄の手引き

 クロムが顔を伏せたのを見て、ターヤは顔にひどく歪んだ笑みを浮かべた。だがすぐにその表情は消え、腕で自分の体を抱いた。

 こつこつという足音がする。牢屋ろうやに続く階段の方、人が近づく前触れだった。


牢番ろうばんよ、おしゃべりはやめましょう」


 その足音は、牢の前まで来るとぴたりと止まってしまう。

 そこに立つのは、棍棒こんぼうを持つ小柄な老爺ろうや。いつも二人を怒鳴りつけては、その棍棒で打ち据えてくる。彼にとってはそれが娯楽となっているのだ。常に不快な声で怒鳴っているその老爺がどう言うわけか、妙に静かだ。ターヤは妙な違和を感じた。

 ――牢番はその頬をにやりと歪ませてから、自分のあごのあたりをつかみ、服を脱ぐかのようにしてその皮を剥がした。

 ターヤはそれを見た驚きで、身を震わせた。

 老爺の皮の下から女――少女の顔が現れいでた。快活そうな団栗眼どんぐりまなこ。特徴的なくせの赤毛を、ポニーテールに結い上げている。ターヤより尚小柄であるが、かなり大きな外套を着て、体の線を誤魔化している。動きやすさを優先してか、脚衣ホーズを履いた男装である。脚衣ホーズ当世とうせ流行はやりの、腰が膨らむような形ではなく、ほぼまっすぐで、膝下ひざしたまでの長さであった。

 少女は鍵をクロムに渡し、にっと笑った。


「クロム先生、迎えに来たよ」


「ありがとうリズ。魔術のじょうは、対応してる魔術の鍵がないと決して開かないからね……」


「手に入れるのに骨が折れたよ。あたしは魔術使えないしさ、モニカの術はこういうことに向いてないしさ……牢番たちの見張りの順も把握するのに時間かかって……でもね、しっかり準備したから、今なら逃げる経路に誰もいないはずだよ」


「苦労をかけたね……少し待っていて」


 クロムが何か呟き始め、大きな錠に鍵を差し込む。


「『金の浜に隠し 朽ち果てるままの 貝の口がひらく』」


 それは魔術を発動させる、呪文であった。鍵が光ると、ごとりと音を立て錠前じょうまえが床に転がる。


「行こうよ、モニカとヴァイスが待ってる」


 牢を出て行くリズとクロムを、ターヤは睨む。


脱獄だつごくをするつもり? 貴方だけずるいわね。大声で叫びたくなってきた」


「悪いねターヤ。そちらのかせ魔術錠まじゅつじょうなら、魔術全てを無効に出来る君の力で、すぐにいたのだろうけれどね」


 クロムの頬が酷薄こくはくそうな笑みで歪んだ。


「どうかなターヤ、取引しよう。君は程なく泣く子も黙るヘルメス院の戒律派かいりつはから裁きを受ける。あるいはここを脱獄しても、君の仲間が君の不首尾ふしゅびを許すだろうか?」


「何が言いたいの」


「協力しろ。君はいずれにしろ処刑されるだろう。だけどもしも『魔神』の首、これがあれば?」


「首をくれるって? 貴方はあのを殺すつもりなの?」


 眉をひそめてターヤは問うた。理解不能という表情で。


「救い出すさ。魔神だけを君に渡す」


「私が教義に背くと思うの? ここで舌を噛み、殉教するとは――或いは牢から出された途端に、貴方を殺して逃亡するとは考えてないの?」


「殉教するなら、とっくにやってる。僕を殺すには、魔術を封じるだけでは足りない。膂力の差がある。二対一だしね。そもそも君たち『色付きコローレ』は、元は教会の羊ではないんだろう? 異端出身の外様と聞くから、教義よりむしろ自分の命を重んじるはずだ」


「――よく知ってるのね……それでも私が嫌だと言ったら? ここで大声を出して脱獄を妨害することだってできるのよ」


「ならば、君ののどを潰してから、逃げるだけさ」


 クロムの顔は真剣だった。

 ターヤは少し考えてから肩をすくめた。


「それは困るわね。まぁ……仕方ないわ。乗ってあげるわよ。背に腹を代えることは出来ないし。だけれど精々気をつける事ね、それでもやっぱり、私が貴方に従う理由は、全くないのよ」


 油断をすれば寝首をかくと言わんばかりの、含みを持った嫌らしい笑み。

 そのやり取りに、リズは慌ててクロムの前に立ちふさがって腕を広げた。


「先生ヤバイよ、この人は異端いたん審問官しんもんかんでしょ? 連れ出しちゃったら女王の首とか狙われちゃうかも……」


「それは私の仕事じゃないわ。しょ女王じょおうの首――スペインが獲る獲物でしょうよ。今に沢山艦隊が来るという噂ね?」


「そうだとしても、危ないことに変わりはないよ! だってこの人、フィオナのことを、魔女裁判で火炙ひあぶりにして――」


 止めようとするリズを押しのけ、クロムは牢のじょうを外した。


「私が悪いとでも言いたいわけ? あの子は生来魔眼を使える本物の魔女よ?」


 クロムはそれを聞いた途端に、ターヤの服のえりつかんだ。


「君を許したわけじゃあないぞ。忘れはしない――あの日フィオナは死にかけたんだ!」

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