scean1 氷の魔女


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 この数十年、気温は低下の傾向が続き、欧州各地を寒波が襲った。

 寒さが底まで沈んだこの時期、十六世紀は、相当厳しい冬ばかりだった。

 中世の頃は、特別な気象変化がなければ、大して雪など積もることもない土地柄であったイングランドにも、冬季に至れば天から真白ましろい玉雪が落ちる。

 深い森の中、日陰は昼でも気温が上がらず、下草を覆う白いしもはまだ溶けていなかった。

 木漏こもれ日は時を刻むとゆっくり転がり、微細びさいな結晶を照らし、きらめかせている。

 その白が森を染める中にあり、インクが広がりみ渡る如く、すみいろにじむような場所がある。

 輝きがまるで感じられないが、黒くめられた氷の結晶、そのようにみえる。

 

 その中心には、一人の少女がうずくまっている。

 

 清流のようにすべらかな髪は、少女の肩から腰まで流れる。

 金の髪はそのかんばせを覆い、表情のほどをみ取れはしない。

 ただ、肩は震え、吐息を荒げるその様子からは、絶えず苦しんでいる事が分かる。

 左目をおさえ、震える白くて細い指からは、光がこぼれているように見える。

 黒い光――とは奇妙なことだが、この他にうまい形容はできず。

 

「どうせ私は、どこまでも魔女なんだ!」

 

 凄絶せいぜつに叫ぶ少女の音声おんじょう

 体にまとわり絡みつくような、黒光こくこうの粒子。

 その粒子が身を染め上げるように、少女の姿がすみいろに変わる。

 着古した服は細かく編まれたかごを思わせるレースで飾られ、黒くすべらかな生地のドレスへと。

 防寒のための帽子は獣の角を思わせる不気味な飾りへ。

 毛織の肩掛けケープは奇異な文様もんように飾り立てられた黒いマントへと。

 前に垂らされて眼を隠していた髪は、ひとりでに持ち上がり、編まれ――

 見方によってはに服す者が身に着けるころもさながらに見える。

 ある意味豪奢ごうしゃで、ある意味いびつな、悪魔めいてさえ感じられる姿なり

 少女のそばには数人の男女。揃って『彼女』の姿の変化に驚愕している。

 この内の一人、栗色の髪に黒い外套の青年がすぐに彼女に向かって片手を伸ばした。

 しかしその指は、少女の体に、すんでのところで触れられなかった。

 

 黒光こくこうが眼からこぼれ出すように輝くやいなや、氷が地面の下から飛び出し、青年の指をさえぎってしまう。

 少女は氷に白い指先をそっと近づける。

 ひんやりと指をへだてる氷が、二人をけっしてふれ合わせない。細い指先がふれた部分から、変色してゆく薄氷はくひょうの壁。

 氷全体に黒がみ渡り、彼女の姿は隠されてしまう。

 少女の目からは涙がこぼれた。すみいろの真珠さながらに固くその姿を変え、ころころと落ちる。

 少女が視線を青年から切り、周囲を見回す。視界におさめたその範囲だけが、瞬時に真黒まくろく変色していく。

 草木や大地が黒いしもにより凍りついてゆき、巨大な霜柱コラムが土を押し上げる。

 木々は樹氷に形貌けいぼうを変えて、黒い神殿のごとくそびえ立つ。

 黒氷こくひょうしもの欠片であっても、陽光で溶けることはなく、そして、輝きはまるで観測できない。

 これら一切が、彼女の眼により顕現けんげんしたのだ。

 

「貴方は違うと思っていたのに」

 

 怒りとは違う、いわく言いがたい、複雑な顔で言い放つ少女。

 かっと目を開き、下方――足元を凝視すると、気も狂わんばかりの声で叫び上げ、氷の柱を現出せしめる。柱が押し出す反動を使い、ねるように身を宙へ踊らせた。

 それを繰り返し、空を飛ぶように、少女の姿は青年の視界から消えていった。

 青年は喉が裂けそうな声で、少女の名前を叫び、涙した。

 

「フィオナ!」

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