ファイナルベット

「ねー、キカ」

「なに?」


 後部座席に座っているヘイに声をかけられ、私はナビに目を向けたまま返事をする。

 ヘイとイェンは運転席と助手席のヘッドレストに足をかけた、ひどく行儀の悪い恰好で座っている。

 でもこれは、傷口を少しでも心臓から上にあげて出血を抑えるためにしているので、仕方ないんだそうだ。


 そんなことを知らない私は数分前に「お行儀が悪い!」と二人の頭にチョップしてしまい、唇を尖らせた2人から事情を説明されたあと、「ぼーりょくに訴えるなんていけないんだよ!」「最初はちゃんと相手の話を聞くんだよ!」と、銃を乱射したイェンと、アイスピックを投げて人間を仕留めたヘイにだけは言われたくないお説教をされていた。


「キカ、行かなくて本当にいいの?」


 ヘイがひどく真剣な声で聞いた。


「命の恩人になに言ってるんだよ、兄貴。キカはもう俺たちの朋友だろ? だからずっと一緒なんだ。あのときだって……」


 まだ続きそうなイェンの言葉を遮るように、私はヘイの質問に答えた。


「いいの。自分でよく考えたから」

「銃を撃つのと同じで、考えちゃいけないときもある。俺はあのときキカは……船に乗るべきだったと思う」

「兄貴!」


 イェンがヘイを制した。

 それにはかまわずヘイは言葉を続ける。


「戦ってるときとか、一緒に来てくれるって言ったときは本当に嬉しかったよ? キカが俺たちを選んでくれて。それは嘘じゃない。でも、いま、ちょっとずつ頭が冷えてきて……キカが欲しいのが普通の幸せなんだったら、俺たちはキカがいるのを喜んじゃいけないんじゃないかって……」

「えー……うん……そう……だね。……兄貴の言う通りかもしれない……」


 イェンの声がじわじわと暗く沈むのが運転席にいても聞こえた。

 クー・ファンはそのあたりの事情を知らないのか、身じろぎひとつせずに静かに座ったままだ。


「違う」


 だから私は、できるだけきっぱりとした声でそう告げた。


「したいからしたの。あのとき船に乗った方がずっと後悔したに決まってる。ヘイとイェンは無事かな、クー・ファンさんが痛い腕で運転して事故を起こしたりしないかなって、きっと、ずっと、死ぬまで。それに比べたらそばで見ている方がずっとましよ。あとはね、すこし怖かったの。みんなと離れるの。いろんなこと覚悟したつもりだったけど……本当はそんなのちゃんとできてなかった。二人が思うより弱虫なの、私」


 車内がしん、と静まった。

 ただ、アクセルを踏んだときにエンジンの回転数が上がる鈍い音だけが聞こえていた。

 バックミラーには悲しげに眉を寄せたヘイとイェンの顔が映っている。

 それを振り払うように、私はできるだけ明るく話しかける。


「ほら、もうすぐ病院よ。ナビによるとあと十分位でつくみたいだけど、行き慣れてる二人の意見は?」


 ヘイとイェンが顔を見合わせたあと、いつもの子犬のような明るいものとは違う、無理やり作ったような笑顔を見せた。


「この辺りは意外と渋滞するから十五分かな」 

「俺も兄貴に賛成」

「じゃあ、あと十五分だけ我慢して。……ね、今までダミアヌスが失敗したことがあった?」

「ない……よ」

「……うん」

「じゃあそういうこと。私は私のチップを全部ダミアヌスに賭ける。だけど、それでもし破産したとしてもそれはダミアヌスのせいじゃない。自分の意思で賭けた私のせい。そう思って」


 後部座席の二人には見えないだろうけど、私の顔は笑っていた。


 これから何が起きるかはわからない。

 きっと平坦な道じゃない。私を鬼ごっこに追い詰めた人間もまだ誰かわからない。

 私を殺したいほど憎んでいる人間がこの国のどこかには絶対にいる。

 それを考えるのは怖い。


 でも、そんなことばかり考えて、私を助けてくれた人たちへ取り返しのつかない後悔をし続けるよりはずっとずっとましだから。


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