ふたり 1

「クー・ファン、目以外に内臓はやられてないか?」


 ダミアヌスがクー・ファンに尋ねると、クー・ファンはこくりとうなずいた。


「まあ殺さずに痛みを与えるなら表皮をやるのがいちばんいいからな。なら、悪いがすこし待っててくれ。あ、人質の連中も。すぐに戻る」


 クー・ファンがまたうなずいた。それを確認してダミアヌスはヘイとイェンの元に走り寄る。


「大丈夫か」

「だいじょうぶー」

「ぶー」


 ヘイとイェンが床に横たわったままにまっと笑う。


「馬鹿。こんなときには強がるんじゃない」


 ダミアヌスの手がざっと二人の両足を撫でていく。


「骨は完全にはイってないな。出血も見た目ほどじゃない。あの腐れ女、火薬とベアリングをギリギリまで減らして、意識を失うこともできないおまえらを拷問する気だったんだろう。 ……血止めの用意はあるな?」

「リュックの中に」

「にー」

「わかった」


 ダミアヌスが、体を起こせないせいでうまく取り外せないリュックを二人の前に置いて中身を探り出す。

 ようやく意識が現実に追いついてきた私は、はっとダミアヌスに声をかけた。


「あの、何か手伝えることは」


 ヘイとイェンの傍らにかがみこんでいたダミアヌスが私を見上げる。いつもとは逆の構図だ。


「では、バンの鍵を渡しますので、荷物の中から青いクーラーボックスを持ってきてくれますか? 釣り道具に見えるように竿やルアーの箱がそばにあるのですぐにわかると思います」


 てきぱきとヘイとイェンの大腿部を縛り、血止めの処置をしていたダミアヌスが私に鍵を渡す。


「は、はいっ」


 バンに向かって駆け出す私の背中に「痛いよダミアヌスくん! 縛るの手加減して!」「手加減してもいいが、大腿動脈が出血したら死ぬぞ。どうする?」「やっぱりしないでー!」「でー!」と、いつものやり取りが聞こえてきて私はちょっとだけ笑った。


 そして、このとき、私は勝てたんだと、やっと思えた。


                  ※※※


 クーラーボックスを見つけてダミアヌスの所へ向かおうとしたとき、その辺にあった段ボールの上に足を乗せ、壁に背を預けて座っているヘイとイェンと目があった。

 ふたりの足には血止めの結索以外に、添え木を固定する包帯も痛々しいくらいぎっちりと巻かれていた。


「キカ!」


 とても痛いだろうに、イェンが嬉しそうに笑う。


「俺のお願い聞いてくれてありがとう。すげえかっこよかったよ!」


 でもそれはヘイもそうだった。表情と上半身だけなら、まるでいつも通りのふたり。

 やっぱり、すごいな。ダミアヌスが選んだだけある。子供みたいなのに子供じゃない。


「あの女を撃ったとき、ララ・クラフトみたいだった! 知ってる? トゥームレイダーのヒロイン。あ、俺、トゥームレイダーすげえ好きなの! ゲームなんだけどね、キカやったことある? なかったら貸すからやってみて!」

「俺はイェンが呼んだとき、ソッコー来てくれたのにマジ惚れした! 普通だったら怖くてたまんないだろうにさ、迷ったり全然しなかったよね。先に俺が呼んどきゃよかったって超後悔したー」

「へへー、いいだろー、兄貴。あんときのキカすごかったんだよ。足に隠してた銃はクレイモアにやられてるかもしれないから、ジャムったらごめんって言っても『いいよ、いいよ』って言ってくれたんだ! だから俺、安心して背中預けて撃てた」

「マジ?!」

「まじー」

「はー、キカすげー……。本当にずっとここにいてくれたらいいのに。キカだったら『龍』の幹部にもなれそうだよ」


 ヘイの目が、いつものいたずら好きの子犬のような目から、学校の先生を見るような目に変わる。

 ……言えない。ジャムの意味が甘いジャムしかわからないから、とりあえず『いいよ』って言ったなんて。

 うん。これはこれからもずっと内緒にしよう。別に『龍』の幹部にはなりたくないけど、二人の夢は壊したくない。


「そんなことより、痛くないの?大丈夫?」

「うん!」

「ん!」

「ちゃんとリュックの中にはこういうときのために応急手当セットが入ってます! もちろん、含む痛み止め!」

「めー!」

「あとは『龍』が普段使ってる病院に行けばいいし、たぶんこのくらいならしばらくリハビリすれば大丈夫だよ」

「骨も腱も本格的にはやられてないからねー。それより筋肉やられたからめんどくさいリハビリをやらされるかと思うと、俺、倒れそう」

「あー俺もー」


 うむー、と二人がうつむく。

 銃も地雷も死も怖くないようなのにリハビリは怖いなんて、やっぱりこのふたりは可愛い。


「とにかく無事でよかった。私、ダミアヌスに頼まれてることがあるから行くわね」

「はーい!」

「いー!」


 ひらひらとふたりが手を振る。

 それに応じて、私も手を振る。

 心の重石が一つとれる。


 ふたりが生きていてくれてよかった。心からそう思った。



                       ※※※



「ダミアヌスさん」

「ああ、ありがとうございます」


 クー・ファンの手当をしていたダミアヌスが立ち上がり、クーラーボックスを受け取る。


「ク・フーァン、悪いがすこし待てるか?これは急がなきゃいけない」

「こちらはもう大丈夫です。あとは自分でなんとかできますよ。それより急ぎの仕事と」


 クー・ファンがちらりと背後を振り返った。


「あいつらを早く自由にしてやってください」

「悪いな」

「いいえ。あなたは今回も誰も死なせず勝ちました。やはり『龍』の棟梁だと尊敬しているところです」

「別に。そんな大したものじゃない」


 クー・ファンにそう返事をしてから、ダミアヌスは金井とノゾミの死体へと近寄っていく。


「何をするんですか?」

「コスマスを取り戻します」


 ダミアヌスの手がクーラーボックスの蓋を開ける。

 そこには消毒薬やたくさんの氷、それに大小様々なジップロックやビニール袋が詰まっていた。

 ダミアヌスがノゾミの服をまくり上げた。彼女の心臓の上にあるタトゥーがはっきりと見える。

 撃ち抜かれたせいで無惨に赤くはじけ、ところどころ黒く焦げたそれ。

 私は思わず目をそらしたけれど、ダミアヌスの表情はもう変わらなかった。

 ダミアヌスの指先にひらりと薄刃のナイフがきらめく。

 そしてそれは躊躇なくノゾミの胸の皮膚を剥ぎ取っていく。


「井原さん、申し訳ありませんがジップロックを取ってくれませんか? 中型で大丈夫だと思います」

「あ、はい」


 クーラーボックスから取り出した何かの液体の入ったジップロックを手渡すと、ダミアヌスはその中にノゾミの胸から剥ぎ取った皮膚を入れた。とても、大事そうに。


「死んですぐの人間から取り出したパーツは、適切に保管すれば移植が可能です。雑菌に晒さず、生理食塩水の中でよく冷やしておけば。俺はコスマスを自分の体につけるつもりです」

「それで、これを準備したんですね」

「あ、これはいつも準備してますよ。戦闘で手足がふっとんだ奴がいても、こうやって保管してすぐに病院に行けば、たいていは元通りにつきますからね。それが今回は偶然役に立っただけです」

「でも、あの、よく骨髄バンクの宣伝とかで言ってますけど、拒絶反応とかは大丈夫なんですか……? やっぱり双子だから……?」

「いいえ。双子だろうと我が子だろうと皮膚の移植はもっとも免疫反応を抑えるのが難しい分野です。一卵性の双子ならばうまくいく可能性も高いそうですが……。ただ、最近、それを克服する技術が発見されたんですよ。きっとあの女もそれを利用したんでしょう。コストも手間もかかりますが……技術的には『龍』の傘下の病院なら可能だと思います。もし不可能ならば、技術を確立した医師に土下座をしてでも頼みこみます。コスマスを取り戻すためならば、俺はなんでもしますよ」


 そう言って、ダミアヌスは今日はじめての晴れやかな笑顔を浮かべた。


「おかえり、コスマス」


 そうジップロック越しに皮膚にいとおしそうに話しかけ、氷の上に大切そうにそれを置く。

 なんて優しい眼差しなんだろう。

 クーラーボックスの中にあるのはただの一枚の皮膚のはずなのに、そこに、ダミアヌスによく似た穏やかな目の青年が立っているのが見えた気がした。

 だからこそ、私は知りたかった。

 これから何度ダミアヌスに会っても、知ることができるのはきっと今しかないという予感があった。

 私がそれについて聞く勇気があるのも、きっと今だけだということも。


「……聞いてもいいですか? 嫌だったら答えてくださらなくて結構ですから……」

「なんですか? 井原さんのようなお客様のご質問なら喜んでお答えしますよ」


「じゃあ……あの……あなたは……本当はどちらなんですか……?」

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