キカのいちばん長い日 6

「さて。勝負はついたね」


 ノゾミが、爆発の瞬間にヘイとイェンの手から離れていた銃を遠くへ蹴飛ばす。

 そして、倒れたままのイェンの頭部に銃を向けた。


「おまえはまだ何を持ってるかわからないから、ノゾミさんの光栄なる人質にしてあげよう。そっちのチノは動くんじゃないよ。おまえの家族の頭に穴が開く。……まあ、動こうったって動けないだろうけどね!」


 うっくくく、とノゾミがおかしそうに笑った。


「虫みたいだよおまえら。こうやって見下ろすと。モゾモゾ、叩き潰されるのがわかっても無様に動く虫さ。――井原、おまえには依頼人の依頼をすませたあと、無料サービスで地獄を見せてから殺してあげるから少し待つんだよ。なにしろおまえの依頼人様はお優しくて、『あの生意気な顔をズタズタにして』としかおっしゃらなかったからね。ああ、もちろん拷問も殺すのも追加料金無料の破格のサービスさ」


 ……依頼人?

 ああ、そう言えばそうだ。

 こいつらは大金で尾行や処刑の依頼を請け負う。

 じゃあ、私の近くのどこかに、私をこんな風に追い込むよう依頼した人間がいる……。

 ぞくぞくとした悪寒が背筋を這い上がる。

 私はどこでそんな悪意を踏み抜いた?

 私はどこでそんなに憎まれた?


 不意に耳元で、狂ったカオリの甲高い笑い声が聞こえた気がした。


 誰?

 私をこのゲームに巻き込んだのは誰なの?


「ほら、コスマス、こっちを向きな。でないとまず1人目の手を吹っ飛ばすよ。死なないようにじわじわと、体の末端から潰してやるよ。仲間を安らかに死なせてやりたかったらノゾミさんの言うとおりにするんだよ」


 ノゾミが、こちらに背を向けて肩を落としたままのダミアヌスへ、嘲るような声をかけた。

 それでも動かないダミアヌスに「なんだい? 耳まで聞こえなくなったのかい? 腐れチノ! ――見な! 虫二匹! おまえらが崇拝してた神はこの程度のものなんだよ!」とさらに罵声を投げかける。


 きっとあのときのノゾミは勝利を確信してたんだろう。

 だから、ほんの一瞬、目線がぶれた。

 ニンマリと細められた目はダミアヌスに向けられていた。銃の筒先は相変わらずイェンに向かっていてはいても。


『キカ、撃とうとしたら考えないで引き金を引いて』


 ありがとう、ヘイ。あなたのアドバイスは何より役に立った。

 このとき私、なにも考えてなかった。

 ただ、ノゾミを殺したいとだけ。

 気が付いたらレディ・スミスは私の手の中に。そして私の指は「撃った」と自覚する前にもう何回も引き金を引いていた。


「くそっ……井原……!!」


 ノゾミが脇腹を抑える。

 防弾ベストをつけていなかったのだろうか?

 それともダミアヌスが私に警告してくれたように、着弾の衝撃で骨にダメージを与えられたんだろうか?

 それにしても私はフォンファの言うとおりやっぱり素人だ。

 弾切れになってカチカチ言うほど引き金を引いたのに、ノゾミに当たった……ううん、かすめたのは一発? 二発?


 でも、その一発が、ほんのすこしでも、形勢を変えられたようだった。


「キカ、俺の体を持ち上げて!!」


 ノゾミの手から銃をはたき落しながら、イェンが叫ぶ。


「オーケイ!」


 ほんの数歩の距離。

 でも今までで一番長く感じた距離。

 私はそこを駆け抜けて、さっきの連射の衝撃でジンジンする腕でイェンの上体を持ち上げる。


「死ね! クソ女! ……キカ、ジャムったらごめん!」


 イェンの言葉の意味はよくわからなかったけど、私は必死で「いいよ、いいよ」と言い続ける。

 もういちど「ごめん」と言うイェンの声と、タン、タン、と軽快な音。

 足に隠されていた銃は血塗れだったけどちゃんと動いていた。


 あ、やっぱりすごいな。

 肩、胸、胸、きちんと当たる弾。

 揺れるノゾミの体。

 やっぱり防弾ジャケットはつけていたみたいで、血が吹きだしたりはしなかったけれど、それでもこれまで気持ちの悪い笑いを張り付けていたノゾミの顔が苦悶に歪むのは見えた。


「この……!!! もう復讐もなにもどうでもいい……!!! おまえらの目の前でコスマスを殺す!!!」


 ノゾミが驚くほど速い動きで胸元からもう一丁の銃を取り出すのが見えた。

 そして、イェンに撃たれながらもためらわずダミアヌスへと振り向くのも。


「イェン! ダミアヌスくんが!」

「兄貴ごめん! 足が効かないからうまく狙えないんだ!」


 え、これでうまく狙えてないの?

 嘘でしょ?


「頭がぶち抜けない!!!!」


 イェンの絶叫、頭だけ起こして、それでも隠していた銃でノゾミを撃ち始めるヘイ、「死ね!」と言いながらダミアヌスの頭へ狙いをつけるノゾミ……。


 もうおしまい……!

 私は歯を食い縛る。何が起きても目を閉じないように。

 これは、彼が私の為にしてくれた戦いなんだから。


 そう諦めかけたとき、信じられないことが起こった。 

 ダミアヌスが、びっくりするような速度で振り向きざまにノゾミへと銃を突きつけたのだ。


「ダミアヌスくん!」


 イェンの声が歓喜を帯びる。

 そこにいたのは、ノゾミの言葉に茫然とし、光のない目をしたダミアヌスではなく、山の中で初めて出会ったときと同じ、恐ろしく冷たい眼差しのダミアヌスだった。


「ほお……なかなか……根性があるようだね……でも……相討ちするつもりかい? ノゾミさんは自分が死んでもおまえだけは殺すよ……!」

「わかってるさ、キチガイ女。おまえを殺せば俺の復讐も終わる。安心して死ねる。あの世でコスマスに胸を張って会える」

「まだそんなことを言ってるのかい……! おまえがコスマスなんだよ! 腐れチノ……!」


 駄目だ、どうしよう。

 このままじゃノゾミも死ぬけどダミアヌスも死んじゃう!

 あの女が死ぬのは嬉しいけど、そんなのはいやだ……!


「じゃあ、さよならだね、コスマス」

「地獄に落ちろ、キチガイ女」


 2人の銃が同時に互いの頭部を狙う。

 どうしよう、どうしよう。

 イェンとヘイも撃ち続けてるけど、ノゾミに致命傷はまだ与えられてない。

 それにもう、あの女はベストを突き破られて血が流れても、足を撃ちぬかれても動かなかった。

 ただ、執念だけが死にかけの体に確固たる生を与えているように見えた。


「兄貴! もっと! こっちは弾切れだ!」

「俺ももうアモがない!」

「でも、だって、ダミアヌスくんが……!!」


 死んじゃう、と言おうとしたのだろうイェンの言葉は途中で途切れた。

 まるで抱きしめるように、ノゾミの体が後ろから羽交い絞めにされたからだ。

 もちろん、銃を構えていた腕も一緒に。

 ノゾミが信じられないものを見るような顔で自分の背後を見る。


「金井くん……」


 ノゾミの動きを止めたのは、背からアイスピックの切っ先を突きださせている、あのからっぽな目の男、金井だった。

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