キカのいちばん長い日 5
そのとき、こんな場には似つかわしくない音が不意に聞こえた。
ドン、ドン、ドン。
夏の終わりにふざけて打ち上げた花火のような音。
火薬のにおい。砂色の煙。
煙はすぐに晴れて、私はただ泣きそうな顔でその先の光景を見つめていたと思う。
何もないように見えた中空に足を取られ、姿勢を崩すヘイとイェン。
その二人の足元に振りそそぐパチンコ玉のような小さな鉄球。
そのけたたましい音の中でも、うーっくくくッとノゾミがおかしくてたまらないように笑ったのが、はっきりと聞こえた。
「糸で作動するクレイモアだよ。おまえたちの考えなんかノゾミさんには手に取るようにわかるのさ。そうさ、低能チノの考えることなんか全部! ぜえええんぶ! 御見通しさ! それにしてもこんな簡単なワイヤートラップに引っかかるなんて、おまえたちの神が偽物で焦ったのかい? だとしたら、それもコスマス、おまえのせいだね!」
床に倒れ込んだヘイとイェンの両足からは血がだくだくと流れていた。
早く手当をしないと。
近づこうとした私を振り返り、ヘイが「キカ、逃げて」と言う。
私は首を振る。できるわけがない。
三人を見捨てたら、私は本当に私でなくなってしまう。
「具合はどうだい? チノ? ちなみに、そのクレイモアはベアリングの数をすごーく減らしてあるんだよ。おまえらの足をいっぺんに吹き飛ばして、さっと息の根を止めたってちっとも楽しくないだろう? それはただ肉をグズグズにして、血を吹きださせて、動けなくするだけさ」
ノゾミがクー・ファンの頭から銃の筒先を外す。
やだ。もう人質なんか必要ないって判断したんだ……!
檻の中のチャイニーズたちの声も大きくなる。もどかしい。もどかしい。
私には彼らの訴えがわからない。
「ノゾミさんは劣等人種にも優しいからおまえらが素直にしてれば逃がしてやったのに。そうだよ、おまえらは逃げられたのに。まずはおまえたちをギタギタに痛めつけて殺してやる。コスマスの前でね」
ニンマリとノゾミが笑った。
「ほおら、コスマス、よくごらん。おまえは何も守れない。おまえを守ってくれるダミアヌスももういない。だからこいつらは死ぬんだ。みんな、みいんな、おまえのせいだ。おまえのせいなんだ。体に傷一つないくせに、そこでガタガタ震えてるだけのおまえの、おまえの! せい! なんだ!!」
立ち尽くすダミアヌスの肩に手をかけ、ノゾミは呪文を唱えるように、その耳元に罵声を浴びせる。
それでもダミアヌスは茫然と動かないままだった。
「おいで、金井くん。いちばん楽しいことは二人でしよう」
ノゾミがちょいちょいと手招きをすると、あのからっぽな目のまま、金井もこちらへ歩を進めてきた。
「キカ、逃げて!」
「逃げなきゃダメだ!」
ヘイとイェンは血を流しながらそれでも私を慮ってくれる。
私はいやいやと首を振る。
ごめんなさい。これは私の我儘です。
でももう逃げたくないの。もう、何からも逃げたくないの。
「見事な騎士だねえ。チノにもそんなまともな性根があったのかい。だがいまさらもう無駄だ。無駄なんだよ。おまえたちはすべてのチャンスを逃した。……もう、逃げるところはどこにもない」
ノゾミの顔から笑みが消える。瞳孔の大きく開いた異様な目。
まるで蛇だ。きっとこの女は人間じゃない。
「じゃ、じゃあダミアヌスくんは渡すから!」
「俺たちとキカだけでいいから逃がして!」
「ヘイ、イェン、そんなのダメ!」
私が思わず叫ぶと、イェンも叫び返してくる。
「だってキカ、俺、死ぬのは嫌だ!」
「ふうん。クー・ファンも仲間たちももういらないのかい?」
「い、いらない! お願いだよ! 助けてくれるなら兄貴を殺したっていい!」
「イェン!」
ヘイの声は悲鳴のようだった。私も悲鳴をあげたい。だって、あのヘイとイェンがこんなこと……!
「やっぱり、やっぱりね、腐れチノはどこまでも腐れチノだ。劣等民族だよ。命惜しさに仲間どころか家族まで売るなんてね。絶滅計画を立てた総統は正しかったよ。そうだよ。総統はいつでも正しいんだ」
うくく、とノゾミが体を折って笑う。
でも、その、ほんの少しの隙に、私はヘイとイェンが目線を交わすのを見た。
あ、そうか。もしかして。そうだ。そうに決まってる。
「お願いだ! なんでもします!
「みじめだねえ。ほら、コスマス、おまえの仲間のあのていたらくをごらん。命乞い、仲間殺し、ああ、本当にみじめだ……」
そのとき、ノゾミがはっと顔を上げる。
ひゅっと何かが風を切る音。そして……それがどすっと肉に突き刺さる鈍い音。
チッとノゾミが舌打ちをした。
「まだ……そんな元気があったなんてね……騙されたよ……」
出発前にヘイが自慢していたアイスピック。それはイェンの懇願にノゾミの意識が行ったわずかな瞬間に、見事な速さでノゾミの胸部へと向かっていた。
そして私は、少しでも二人を疑った自分を恥じた。
そうよ。ヘイとイェンが互いを見捨てることなんかあるわけないのに。
「ノゾミ……さん……?」
それと同時に、ひっそりとした声を上げて、まるで、迷子の子供のような顔で金井が床に崩れ落ちた。
からっぽの目は、ノゾミを見る時だけ、まるで親に縋る幼児のような色を浮かべていた。
その胸には、ノゾミの胸に突き立つはずだったアイスピックが刺さっていた。
私は今日、何度目かの吐き気を堪える。
ノゾミは、ヘイが何かを投げたと気づいた瞬間、ためらわずに金井を自分の体の前に引きずり出した。
しかも、金井のその肩の後ろから、私たちを馬鹿にするようにあかんべえをしながら。
「ありがとう、金井くん。おかげで助かったよ。きみは本当にノゾミさんのいい子ちゃんだ」
「俺のことは……売らない……って……」
「売っちゃあいないだろう?ただノゾミさんの役に立ってもらっただけさ」
ヒハッと苦しげな息を金井が立てる。
「あい……して……すき……だ……と……」
「ああ。ノゾミさんはノゾミさんの役に立つ子はみんな好きだし愛してるさ。……もしかしてきみは、自分だけが特別だと思っていたのかい?」
ノゾミがニンマリと笑う。
金井の目尻からは涙らしきものがつたっていて、私は少しだけ彼に同情した。
でも、そもそもこの女は私たちと同じような人間じゃない。
どうしてそんな簡単なこともこの男は見抜けなかったんだろう?
愛してるなんて口にしたとしても、それをどうして信じられたんだろう?
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