キカのいちばん長い日 2
「キカ、もうすぐつくよ」
ヘイに肩を揺すられて、私は眠ってしまっていたことに気付く。
……わ、私の想像していた以上に大きな港だ。
停泊する大きな船もたくさん。そして、歩き回る人もたくさん。
惜しいな。せっかくだから中に入るまでの景色も全部見ておきたかった。
「ジャケット、首まで上げてるね。うん、よし。レディ・スミスはちゃんと持った?」
イェンが心配そうに聞いてくる。こういうときはさすがに、彼らの方が大人に見える。
「持ったわ」
ダミアヌスに渡されたジャケットには、銃を収納する目立たないホルダーがついていた。
何度か取り出す練習もしたから、今では構えることにそれほどもたつくこともない。
ホルダーから財布を出すような仕草で銃を取り出した私に、イェンは嬉しそうに笑う。
「キカ、覚え早い。いい生徒。……しつこいけど安全装置はここ。外さないと撃てないから気を付けて」
「キカに銃なんか撃たせようとするなよ」
眉をしかめたヘイに、めずらしく真面目な顔でイェンが答えた。
「でも、キカが死んじゃうよりはいいよ。俺、キカには生きてて欲しい」
「……そうだな」
間を開けてうなずいたヘイも、私の手の中の銃に指を当てた。
「キカ、人間の指は自分が『動かそう』と考えた時から数秒遅れて動く。新人が早く死ぬのはたいていそのせいなんだ。だからね、ためらわないで。撃とうと考えたりしないで引き金を引いて」
「ヘイ、それ難しくない?」
「でも知らないよりはいいだろ。それに俺、キカならできるかもって思ってるんだ。暁財団の処刑部とやりあった女の子だから、キカは」
「そっか……そうだね」
イェンがにへらっと笑った。いつもの、子犬のような顔だった。
「うん。大丈夫。キカならね。俺たちが保証するよ。キカがイギリスに行かなくてすんで、いつまでもここにいればいいのにな」
「だな。キカは普通の日本人の女の子と違う。どんな風に育ったの? 俺たちみたいに敵がいっぱいいたの?」
その、なんとはないヘイの問いに、私の涙腺が不意に緩んだ。
「え、あ、キカ?!」
「こら、馬鹿兄弟、井原さんに何をした?」
運転席から飛ぶ鋭いダミアヌスの声に、違うの、と私は慌てて首を振る。
「ごめんなさい。大丈夫。二人のせいじゃないです。私の……せい」
涙なんか、もう枯れたと思っていたのに。
「本当にもう大丈夫。ただ少し、思い出してしまったんです。……こうなる前のこと」
自分を励ますために一瞬、唇を噛んで、それからそう言ったら、ダミアヌスはもう何も言わなかった。
「ごめんね、キカ。嫌なこと聞いちゃったね」
「ね?」
ヘイとイェンが心配そうに私を見ている。
「違うの。二人のせいじゃ本当にないの。……私は普通の女の子だったのよ。大学に行って、人より少し偉くなりたかったから頑張ってコネを作って、業界に入って、彼氏もできて……いつか結婚するつもりだった……普通に生きていくはずだった……。でも生きていたかったから、戦うと決めたから、たぶん、ヘイとイェンには私が普通でなく見えるんだと思う」
私はなんとか二人に笑って見せた。
この道は私が選んだこと。誰に強制されたわけでもない。だから泣くなんてふさわしくない。
笑え。笑え、キカ。この戦いが終わるまで。
「キカの言うこと、むずかしー……」
「でもなんとなくわかるよ。そうなったんじゃなくて、そうならなきゃいけなかったんだよね。うん。わかる、俺」
イェンは首をかしげ、ヘイは真摯な目を私に見つけていた。
ああ、そうだ。彼の言うとおりだ。
私は『こうならなければいけなかった』からなったんだ。
なんだか、やっとすべてが腑に落ちた気がした。
「そう。ヘイの言うとおり! ほら、こんな話もうやめよう! もうすぐお別れなんだから、楽しくお別れしよ?」
「お別れじゃないよ! 連絡するよ!」
「よー!」
ようやくいつもの調子を取り戻した兄弟に安堵して、私は銃を服に戻し、視線を前に戻す。
目の前にはたくさんのコンテナが周りに置かれた、大きな倉庫の扉があった。
「この中で、あなたと同じ船に乗るほかの同胞たちと落ち合う手筈です。ここまでのところ、奴らの気配はありません。道を読まれていると思ったのは俺の考えすぎかもしれませんが、油断はせずに。ヘイ、イェン、臨戦!」
「「はい!」」
2人の歯切れのいい返事とともに、倉庫の電動シャッターが開いていく。
「……よし。あれは中から開けるものです。あの扉が開いたのなら、中にいるのは俺たちの仲間だけでしょう。よかった。井原さん、多少は力を抜いて結構ですよ」
すこしだけ軽くなった声で話しながら、ダミアヌスが倉庫の中へと車を進めていく。
背後からは今度はシャッターの閉まる音。
それが完全に落ち切ってから、ダミアヌスは車を停めた。そして、ライトを二度ほどパッシングする。
すると、それに答えるように「準備はできています」という男の声が聞こえた。
「あいつの声だ。運び屋のクー・ファンの」
「うん。だね、兄貴」
「大丈夫だよ、ダミアヌスくん。クー・ファンは今回もみんなを運んでくるはずだから」
ほう、とダミアヌスが息をつく。
平気な顔をしていても彼も何かと考えていたんだろう。それはたぶん、安堵の息だった。
「よし、ヘイ、イェン、車から降りろ。間には井原さんを置け。念のため武装もしろ。最後まで油断するなよ」
「わかってますって!」
「てー!」
ワンさんの所にいる時とまるで変わらない、ある意味いつも通りの2人に安心したのか、ダミアヌスがちょっと表情を崩した。
ダミアヌス自身も銃を手に持ち、運転席のドアから外に出る。
そして、倉庫の中に呼びかけた。
「クー・ファン!俺だ!」
けれど、倉庫の中にはしんとした静寂が広がるばかり。
ダミアヌスが眉をしかめる。
ヘイとイェンの体にも力が入った。
「クー・ファン! 俺だ!ダミアヌスだ!」
二度目のダミアヌスの呼びかけに帰ってきたのは拍手。
ダミアヌスが銃を構える。
リュックから素早く銃を引き抜いたヘイとイェンも、私を守るように前後にさっと互いの位置を変え、銃を構えた。
「ふざけるな!クー・ファン! 『龍』に処分されたいのか?」
そのとき、ククっと楽しそうな笑い声が聞こえ、それと一緒に倉庫の中に雑多に積み上げられた荷物の中から長身の女が出て来た。
大きなバストと高い位置にあるウエスト。すらりと伸びたモデルのような長い手足。それに、長い金髪と、日本人離れした大きな目、日本人にはありえない青い虹彩。
すべてが文句がつけようがないほど綺麗なのに、見ているだけでどこか嫌悪感を催す女だった。どうしてだろう。唇が血でも吸ったように真っ赤だから?日本人にしか見えないのに外見の特徴がことごとく外国人だから?
――違う。まるで狂った目をしているからだ――。
そして私はその女の後ろに、水郡線の電車の中で出会った男の姿も見つける。
あいつらだ。あいつらはここまで来たんだ……!
「今の拍手は歓迎の拍手だよ。ノゾミさんはおまえに会えて嬉しい。すごく嬉しいのさ。ずっとこうなることを待ってたんだからね」
女がニンマリと笑う。
「なのにすまないね。クー・ファンはもう喋れないんだよ。ああ、喋れないんだ。だからノゾミさんが代わりに喋ってあげよう。
『助けてください』」
どさり、と音を立てて、血まみれの男の体がその女の前に投げ出された。
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