龍頭
薄汚れた白いバンに荷物が積みこまれていくのを、私は少し離れたところから見ていた。
手伝いますか、と申し出たけれど、見ない方がいいものがたくさんあるので、とダミアヌスに断られたので、素直にその指示に従うことにする。
私を慮るように、ダミアヌスは隣に立ってくれている。
彼はこれまでと変わらず、恐らくフルオーダーだろう三つ揃いのスーツを着ていた。
ベストだけは防弾仕様なので馴染みが悪いと苦い顔をしているのが彼らしい。
「意外と普通の車なんですね」
「黒いバンだと、色々と目を付けられますので」
ダミアヌスが苦笑した。
「あ、だから『龍沢工務店』なんてプリントされてるんですね」
「絵にならないこと甚だしいのはわかっていますが、これなら角材や鉄の部品を乗せても不審を抱かれませんし、ああいう馬鹿兄弟が乗っていても誰も気にしませんから」
「ダミアヌスくん、馬鹿兄弟はやめてよー」
荷物を運んでいたイェンが頬を膨らませた。
まあ、確かに。
見た目よりはずっと有能そうな彼らにその呼び名はかわいそうだ。
……と、思ったら。
「俺は馬鹿じゃないから馬鹿兄貴にして」
そんなかなり斜め上の主張をして、イェンはヘイに鉄板で頭を殴られていた。
ちょっと、ダミアヌスの気持ちもわかった気がする。
「ダミアヌスくん」
すっとダミアヌスの横に立ったワンさんが、穏やかな声で彼を呼んだ。
「ワン」
「いつものように?」
問いかけるワンさんの口には穏やかな微笑み。
でも、それはどうしてか、悲しそうに見えた。
「ああ」
そう答えて、ダミアヌスが首から下げていた何かをワンさんに渡す。
見た目は黒い革紐で繋がれた、細長い革の袋。中に何が入っているか、見当もつかない。
「いつものように。俺が戻らなければおまえが『龍』の頭になる」
「何度も言いますが、わたしは料理人です。あなたの代わりにはなれません。いいえ、あなたの代わりはどこにもいない」
「必要なのは力じゃない。同胞を束ねる腕だ。殺すことなんか下の奴らに任せばいい。だが、それを異論なく動かせる人間は限られてる」
ダミアヌスが言葉を切った。
そして、私の視線をを気にするようにこちらをちらりと見てから、もう一度ワンさんに目線を戻し、困ったように頭を振る。
綺麗にセットされたスジ髪がかすかに揺れた。
「悪いとは思ってるんだ、これでも」
「ならば必ず戻って来てください。わたしはあなたを信じて待っていますから、約束をください」
「善処する」
「あなたはいつもそうです。約束をしてくれたことがありません」
「守れないかもしれない約束はしない。嘘をつくのは嫌いだ」
私は二人のやり取りに何も口を挟むことができず、ただ会話を聞いていた。
けれどそのとき不意に、私にはダミアヌスが小さな子供に見えた。幼くして戴冠した王のような、強くて孤独な子供。
ああ、確かに彼にはコスマスが必要だ。
大人になれば約束を守れないことも勿論ある。私はそれは仕方ないことだと思っている。
コーヒーにミルクを入れれば茶色く濁り元に戻せなくなるように、年を取れば取るほど善と悪はきっぱりと別れなくなる。正義感なんて、世界には通じなくなる。
きっとワンさんもそうだ。
ワンさんはただ、真偽なんてどうでもいいから、ダミアヌスの『大丈夫だ』『約束する』の言葉が欲しいだけ。
でもダミアヌスはきっとそれすらも許せない。彼はコスマスのことを清廉すぎると評していたけれど、私からすれば、彼も充分清らかすぎる。
「嘘でもいい時もあるんですよ。金貨ならばチョコレートでもいい時が。そうすればわたしはそれを頼りにやっていけます」
「俺はそうじゃない。金貨に歯を立てて偽物だとわかったら、それを渡した奴を殺す。いつも言ってるだろう?」
「あなたとはどうにもこの件ではわかりあえないようです」
ワンさんが、かすかに笑った。
「ああ。……何度経験してもこの手の話は、気分のいいものじゃないな」
ダミアヌスの手がワンさんの頭の上に乗る。
「俺はいつも戻ってきた。今回もそうできるようにする。これが、今の俺に言える最善の言葉だ」
そして、その手が、もしコスマスがいたらこんな風にするのかな、というように、くちゃくちゃとワンさんの髪をかき回した。
ワンさんがくすぐったそうに目を細める。
ダミアヌスが、それを見てかすかに微笑んだ。
本当に、優しい目だった。
「はい。わかりました。『龍頭』」
ワンさんも、これまで私に見せていたような穏やかな表情で、ダミアヌスから手渡されたものを首にかける。
「預かるだけですよ、本当に」
「そうなることを願っててくれ」
名残を惜しむように、ダミアヌスの指がワンさんの胸元の革紐に触れた。
「ワンくん、これもー」
「これもー」
ヘイとイェンもワンさんに大切そうに布に包まれた薄い何かを渡す。
ちょうど、パスモくらいの大きさの。
「
「
「もしも俺もイェンも戻ってこなかったら」
二人がそれぞれの何かを渡し終え、ワンさんを見上げた。
「「次の『太歳』に渡して」」
それはあまりにも無邪気な言葉と笑顔だった。
そこには、ダミアヌスとワンさんの間にある一種の覚悟などかけらもない。宮野たちにどこか通じる、まるで命なんてものを知らないような……。
ああ、そうか、この子たちはもともとそんなもの持っていないんだ。
私と同じことを感じたのか、ワンさんの顔が痛ましげに曇る。
でもそれは一瞬だった。
作り物のような白い歯を見せて笑い、ワンさんはその二つを受け取る。
「はい。確かに。『太歳』」
「ワンくんならちゃんとした奴を選んでくれるもんねー」
「ねー」
「ワンくんの決定に逆らう奴は殺せって言ってあるから安心してね」
「てねー」
こつん、こつん、とイェンとヘイが自分の拳とワンさんの拳をぶつけてまた笑う。
「めんどくさいこと引き受けてくれてありがと! ワンくん大好きさー」
「俺もー」
ぴょんぴょん飛び上がりそうな二人を見て、ワンさんは今度こそ本当に笑う。
「イェン、ヘイ、ご馳走を用意して待っています。必ず――」
ワンさんの言葉を最後まで待たず、ヘイがワンさんの腕に手をかけた。
「御馳走?!」
「やった!
イェンも逆側の腕に手をかける。
まるで、大型犬に懐かれた飼い主だ。
「馬鹿! ご馳走なら
「もちろん」
「え、じゃ、じゃあ、
「いいですよ。最高の鶏を絞めます」
「よっしゃあ!!」
ヘイとイェンがハイタッチする。
「俺たち絶対帰って来るよ!」
「うん! 帰って来るよ!」
「待っていますよ。約束です」
「はーい! 約束!」
「約束!」
2人が小指を差し出した。
それにワンさんが指をからめると、2人は「ゆーびきーりげーんまーん」と歌いだす。
そんな胸が痛むような、微笑ましいような光景を見て、ほんのすこし唇を噛んだダミアヌスが、私の方へ向き直った。
「……二人の親は雲南からの引き揚げ者なんですよ。あなたはご存じないでしょうが、貧しい地域で、いまだにペストの集団流行が起きるようなところです。大学まで行けるのはせいぜい百人に二人。戸籍も、都市戸籍とは違い、移動や就労の際に足かせになる農村戸籍。二人が言っているのはそんな地方のご馳走なんですよ。鶏鍋に、米線なんて具もないただのラーメンです。フカヒレも上海蟹もこの国で産まれたあいつらは知っているはずなのに。でもあいつらは、どうしてもそこから離れられない。染みついたものが取れない。あいつらは……正業で生きる術を知らない。だから――『龍』があなた方からしたら犯罪組織でも、俺たちにとっては必要だということをわかっていただけるでしょうか?」
それは重い言葉だった。
でも、私は頷いた。
「ありがとうございます。……では、用意もできたようなので、行きましょうか」
「あの……」
「はい?」
「さっき、ワンさんに……」
「ああ、あれですか。『龍』の代表の持つ朱印が入ってるんですよ。こういう時にいつもしている習慣のようなものです。頭のない組織はあっというまに崩れますからね。水を注がれた蟻の巣を思い出してください。先人がここまで作り上げた組織を俺の代で壊すわけにはいかないんです。ヘイやイェンみたいな奴らの受け皿をなくすわけにもいけません」
そして、ダミアヌスは屈託なく笑った。
「安心してください。死ににいくわけではありません。相手を殺して、自分たちは必ず生き残る。それが『龍』です。それに……あなたは、絶対に守りますよ、キカ」
それは、彼に、初めて名前を呼ばれた瞬間だった。
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