トリガー×2

 俺は、愛用のガラム煙草を吸いながら、ふと空を見上げる。

 今回の仕事は楽だった。

 買われた『人生』はたったの三か月。

 しかもギリギリまで依頼人が買われた人間を痛めつけてくれる。

 誤解しないでくれよ。

 俺は殺人が好きだ。

 だからと言っても、他人の血のシャワーを浴びたりするのは好きじゃない。

 血は油性だからぬるぬるしてなかなか落ちないし、感染症の危険も大きい。だから、そのとき着ていた服はたいていは捨てることになる。

 いくら経費で落とせても、気に入った服を他人の血のせいで捨てなきゃいけないのはひどく腹が立つ。それにしばらくは鉄サビのにおいが体にしみついて、好きなガラムの匂いも台無しだ。

 ノゾミさんみたいに人間を挽肉にした後に焼肉を食べるのも気が進まない。特にユッケ。あれはダメだ。共食いしてる気分になる。

 ただ俺はどうでもいいだけだ。

 誰が死のうと、俺とノゾミさん以外なら。

 俺とノゾミさんは、よく死にそうなアフリカの子供のお涙頂戴のCMを見てゲラゲラ笑う。


『どうせ死ぬのは他人なのに、どうしてみんなこんなに誰かを生かすことに必死になるのかね?』

『繁殖は本能ですよ』

『だね。だから本能に近い人間ほど繁殖する。本来なら不要な人間さ。だから庇護する必要なんかないさ』

『俺は不要ですか』

『きみは有用だ。もし『仕事』を辞めても、ノゾミさんのいい子ちゃんとして有用だよ』


 それを聞いてほっとしたのは事実だ。

 俺は仕事を離れてもノゾミさんと一緒にいたかった。

 俺のこの才能を見出したのもノゾミさんだった。

 あのころの俺は大学生で、就職がうまく行かず、何十社と面接で落ちていた。

 まあ、不景気だからしょうがない。そのときの俺はそう思っていた。

 そしてある夏の日、また手ごたえのない面接を終えたところでノゾミさんに出会ったのだ。

 ノゾミさんは今ではおなじみの、独特のニンマリとした微笑みを浮かべて俺を呼び止めた。


『金井くん、きみは就職先が欲しくはないかね?』


 普段ならば一顧だにしない呼びかけだった。それは俺の中でくだらない宗教の勧誘と似たようなものだった。

 けれど。

 その時は本当に就職が決まらなくて焦っていたし……いや、嘘をつくのはよくないな。


 俺はただ、ノゾミさんの話を聞きたかったんだ。


                ※※※


 カオリのことを尋ねて電話をしたときの母の語調に違和感を持った私は、その手のことに詳しい男に連絡を取った。

 彼は私をここまでバックアップしてくれた男の一人だ。

 とは言っても、もちろん体の関係はない。

 とても単純な方程式で、女の体にしか興味のない男は体を手に入れたら興味をなくす。

 それではもうその男は利用できない。それに私には愛している彼氏がいる。

 私が探したのは、私の体を欲しがらない、私だけを欲しがる男たちだった。

 

 そんな男がいるわけない?

 

 それは何かを真剣に探したことのない人間の言うことだ。この世にはどんなものでも存在する。

 いま、私が電話のコール音を鳴らしている男は、政財界に顔の効く……生きていれば今頃私と同じくらいの年になる孫娘のいた男だ。そのうえ、幸運なことに私はその孫娘に少し似ていた。私は彼の孫娘の代用品となり甘やかされた。

 ……偽物だろうが本物だろうが、私のビジネスの役に立ってくれるならなんでもいい。大事なのは、私のために力をふるってくれるかどうかだ。

 田舎から出てきた私にはツテもコネもない。

 その中で、料理研究家なんて少ないパイを争う椅子取りゲームに勝つには、私の代わりに椅子を取ってくれる人間をできるだけ多く確保しておかなければいけなかった。

 これはみんな、大学卒業後、愚直に営業活動をし、門前払いをくらい、その中で私が悟ったことだ。

 努力や清廉さが成功につながるとは限らない。そう、あのころほど身に沁みたことはなかった。どれだけ懸命になってもカオリに追いつくことはできず、いくらいいレシピを考えても、笑うのだけが上手なライバルたちに先を越され、悔しさを噛んだ。そして、私はようやく、この椅子取りゲームに勝つ秘訣を知ったのだ。

 おかげでいまの私は華やかなスポットライトを浴びて、欲しかった椅子に座っている。だから、絶対に手放したくない。これだけは。

 何度目かのコール音のあと、しわがれた男の声がスマホから聞こえてくる。


『お、キカちゃん、どうした? 欲しい服でも見つけたかい?』


 ハハハ、と磊落な笑い声。砕けた話し方。宮野だ。


「違いますよー。私はそんな物目当てで宮野さんとお付き合いしてるんじゃないんですからー。私が宮野さんに連絡するのは、宮野さんが少しでも寂しくないように……。お願いはそれだけですよ」

『おーおー、相変わらず可愛いことを言う。マツリも生きておったらそんなことを言ってくれたかのぅ』

「もちろん! 宮野さんから聞くマツリさんはすごく優しくてお爺様思いの方ですもの! またマツリさんのお話しを聞かせてくださいね」

『キカちゃんは本当にいい子だ。周りの人間はいい加減にマツリのことを忘れろと言う。だがそんなことできると思うかね。マツリは儂の孫だ』

「マツリさんも忘れられることなんか望んでないと思います。宮野さんが覚えてる限り、宮野さんの心の中にマツリさんは生きていられるから……。忘れたりしたらきっと、『おじいちゃんのバカ!』って言われちゃいますよ」


 電話の向こうの宮野の声が少し途切れた。

 かすかな、鼻を啜りあげる音。

 私はその間、無言で待つ。

 こんなときには声をかけない方がいい。

 いま、宮野の目の前には、彼の死んだ孫娘のマツリと、宮野を励ます私の姿の両方が浮かんでいるはずだからだ。

 そんな沈黙の中で、宮野の中のマツリは私に置き換わっていく。死者は生者に勝てない。大切な者がいるならば、私がもっと大切な者になればいい。

 こんな風にして、私は後援者を増やしてきた。

 寂しい男は多い。けれどくだらないプライドなんていうものが邪魔をして、皆それを表に出せない。

 私はそれを探り、引きずりだし、『あなたの理解者です』という顔をするのだ。

 幸運にも、私にはそれなりの容貌がついていた。だから男たちはよけいに私を信じた。


「ただ、宮野さん、私、すこし心配なことがあって、宮野さんにならご相談できるかなって」

『ほう、なんじゃなんじゃ、なんでも言ってみなさい。儂は腐っても宮野和利だからの』


 そこから私はカオリのことを手短に話した。母の様子がおかしいのも。

 ふむふむと真剣に宮野はそれを聞いていた。


「どう思われます? 私、なんだか嫌な予感がして。自分で言うのも変ですけど、結構カンの鋭い方ですから気になるんです」

『鬼ごっこ……か。……儂のところにそういう話は来ていないな。キカちゃんの友達にこんなことをいうのは気の毒だが、その子は本当に……』


 宮野が言葉を濁す。


『それに、女親が娘を心配するのは当たり前のことじゃて。マツリのときもあの女がもう少し気を配っておけば……』


 怒気のこもる言葉は無視し、私は宮野に尋ねた。


「じゃあ、特に心配しなくていいってことかしら」

『うむ。キカちゃんも若い娘っ子だからいろいろ考えるだろうが、今回は問題ない。この宮野が言うのだからな。それより、キカちゃんの好きな鞄屋から招待状が届いておる。一緒に行かんか』

「喜んで!」


 間髪入れずにこたえると、宮野はハッハッハッと満足そうに笑った。


『では送らせる。日程なぞは招待状に書いてあるから、それを見ておくれ。いつものように迎えに行くよ』

「ありがとうございます。楽しみ!」

『それは良かった。それではな。また、いつでも連絡しておいで。じゃあな』


 宮野の電話が切れた。

 それとともに、私は安堵を感じればいいはずだった。

 私の手持ちで宮野以上に裏の世界に近い男はいない。

 その宮野が大丈夫だと断言した。

 なのに、このひりつくような焦燥感はなんだ?

 哄笑するカオリの姿が鮮明に浮かび上がる。

 あの笑い声が耳に蘇るたび、私はまだ肝心な部分に触れることができていない、そんな気がしてたまらないのだ。


                ※※※


「では自己紹介をしようか、金井くん。あたしはノゾミ、中垣ノゾミだ」


ざわざわとした喫茶店の中、ノゾミさんが注文したトマトジュースと俺が頼んだブレンドコーヒーがすぐに運ばれてくるのと同時に、ノゾミさんは口を開く。


「俺は……」

「きみは金井ヨシトくん。○○大学経済学部経済学科三年生。本籍は三重県、でも今の居住地は大学の近く。進学のために上京してきた。現在は内定をもらうために駆け回っている」


ノゾミさんがニンマリと笑った。

クーラーでひんやりと冷えた喫茶店の空気、それがさらに下がった気がした。


「なんであんたそんなに俺のことを知ってる?!」


ぞっとした。イカれた女にストーキングされて大学を辞めた奴の顔が頭に浮かんだ。


「ノゾミさんは金井くんのことならなんでも知ってるのさ。金井くんが知らないようなことまでね」


 そう言ってまた満足そうにニンマリと笑って、ノゾミさんは自分のグラスへと手を伸ばす。

 ノゾミさんがくわえたストローの中を、ちゅるりと赤い液体が吸い上げられていく。

 トマトジュースだとわかっているはずなのに、俺にはそれが、不意に別の液体に見えた。


「さて、これはスカウトだ。金井くんはもう書類選考も面接も突破してる、うちがぜひ欲しい人材だ。いいかい? 最終面接じゃなくて、即採用のスカウトなんだよ?」

「社名は? 履歴書を出した会社なら全部覚えてる」

「社名? やっぱりきみは真面目な男だね! こんな方法でスカウトをするのがまともな会社だと思うのかい?」

「……裏金融や詐欺師はごめんだ」


 席を立とうとする俺を、「まあ待ちたまえ」とノゾミさんが制する。


「そんなものじゃない。そんなものじゃないんだよ、金井くん。ある意味この国でいちばん安全な就職先だ。きみの口さえ堅ければね」


 ノゾミさんが鞄から幾枚かの紙片を取り出した。


「きみの論文だ」


『貧困の撲滅』


 表紙のページにはそんな表題があった。

 思わず俺は立ち上がりかけていた腰を落とす。

 なぜノゾミさんこんなものを持っているのか、心の底から不思議だったからだ。

『貧困の撲滅』はゼミの卒論のたたき台としていくつか作った小論文の一つだ。別に世間に出回るようなものじゃない。

 それに、教授にこのテーマはよろしくない、と却下され、第二案の『金融市場に見えざる手は存在するのか』が俺の卒論のタイトルとなったはずだった。


「これは素晴らしい。オブラートに包まれてはいるが、貧困を絶つには本能で生きる多産の人間を駆逐し、知恵のある少数精鋭の人間だけで優れた世界を築けばいいと語っている。本当に素晴らしい思想だ」

「レーベンスボルンやT4計画を現代に蘇らせるつもりか、と教授に叱られました」

「なに、そんなの形だけさ。彼がこれをノゾミさんに渡してきたんだからね。ああ、きみの教授の紹介なんだよ、今回のスカウトは」

「教授が?」

「彼はあたしたちのアドバイザーでね。これ、という学生がいたら紹介してくれる」


 そしてノゾミさんはテーブル越しにぐっと体を近づける。


「きみの目はからっぽだ。人を殺すことも罰せられないなら平気だろう?」

「そんな……人を殺すなんていけないことだ」

「いいや。きみは平気だ。それどころかどんな殺人にも楽しみを見いだせるはずだ。この数か月、きみを観察し続けたあたしたちを舐めちゃいけないよ」


 ニッと笑ったあと、ノゾミさんはソファに深く腰を掛け直す。


「きみはあたしたちと同じ目をしている。何も見てない目だ。だから普通の会社じゃ書類選考は通っても面接で落ちるんだよ」

「そんなのあんたになんの関係がある!」

「大ありさ。……なあ、金井くん、一緒に殺人を楽しむ気はないかね?」


 ノゾミさんがまたストローに口をつける。

 それはもう、トマトジュースではなく血液に見えた。

 俺はそんなものに関わりたくない。普通に生きて普通に死にたい。

 だがノゾミさんの言うことは正鵠を得ていた。

 ひとえに俺が犯罪を犯さないのは罪を課されるのが嫌なだけだからだし、ワイドショーから流れる『犯人は残された家族の悲しみを考えたことがないのか』なんてよくある台詞を聞くたび、「憎いやつの残された家族が悲しむなら嬉しいだろうが。阿呆か」と思う方だった。


 おそらく、なんの罪科もなく、見つかる心配もないのなら、俺は自分の殺したいリストの上位の人間から殺していくだろう。


 一度それを口に出して母親にこっぴどく叱られてから、そんな考え方は注意深く隠すようにはなっていたけれど。


「ほら、金井くん、きみは考えている。自分についてだ。そしてノゾミさんが正しいとも思い始めてる」


 それに、目の前で笑うノゾミさんの魔力にはどうあがいても勝てない気がする。

 この人は知っている。

 誰も知らないはずの俺を。


「どうする、金井くん? あたしはきみが気に入った。うちに来ればきみは高給優遇だよ。仕事の内容は簡単だ。買われた誰かの『人生』を記録して、場合によっては殺せばいい」


 あまりに現実感のない言葉だった。

 けれどノゾミさんは至極まじめそうだったし、その話が本当ならここ数か月、誰かに見られていたような気がすることの説明もつく。


「悪い話じゃないと思うがね。趣味と実益を兼ねた仕事をできる人間なんてそうはいない。ああ、安心したまえ。警察も検察もあたしたちの味方だ。あたしたちを動かしてるのはもっと上の人間だからね。きみが捕まることなんか億に一つもないよ」


 ノゾミさんがテーブルの上に一枚の紙とボールペンを出す。


「もしあたしと一緒にっていきたいならここにサインを。そんな生活ごめんだと思ったら黙って出ていくといい。ただ、そのときは……このことを誰かに話したら、きみはあたしに殺されるのを覚悟するんだよ」


 紙には『誓約書』と大きく書いてあった。中身は『勤務内容を外部に流出させない』とか至極もっともなものばかりだった。

 ただ一つ、最後の行に『依頼人の意向によっては相手を殺します』と書いてある以外は。

 印象的な、猫のような目でノゾミさんが俺を見つめる。

 どうするんだい?とでも言っているようだった。

 それからしばらく無言の時間が過ぎて。


 ……俺は、ノゾミさんが置いたボールペンを手に取った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る