処刑ゲーム

「人生を売り買いする奴らがいるのを知ってるか?」


 舞台の袖で、俺――金井――は空中に向かって話す。


「違う。臓器や女の体の話じゃない。背乗りや戸籍の話でもない。そいつの人生を文字通り年単位で『買う』んだ。その間、そいつはずっと監視され、記録される。たまにいるだろ、『俺は見張られてる!』なんて暴れてる奴。大抵はただのアレだが、たまに本物がいる。まあ目的は平和な奴が多いさ。好きな男の人生を一年欲しいとかな。二十四時間×三百六十五日分の男の姿を見てその後の一生を過ごすんだとよ」


 ふっと、俺は煙草の煙を吐き出した。


「まあそんなこと頼んでくる奴らの根っこがイカレてるのは確かだけどな。なにしろ一年分の男の人生の代金だけで、たいていの人間なら尻尾を振るような金がかかる。俺からすりゃあ、その金を貰ってその女も貰った方がいいね。婆さんだろうが、不細工だろうが、かまやしない。でもそいつらはそうじゃないんだ。その男と一緒にいる一生が欲しいわけじゃないんだよ。そいつが何をしてるか、ただそいつだけを見てたいんだ」


 わけがわからない、気持ちが悪い、と俺は首を振った。


「もっと上になると、人生の最後まで『買う』奴らがいる。あ? 寿命まで待つわけないだろ。そんなことしたらどんな大富豪でも破産だ。そう。殺すんだよ。期限を決めて、それまではそいつの人生がうまく行くようにお膳立てしてやる。それで、そいつが幸せでたまらない時に『おまえの人生は売られたんだ』と教えて殺す。殺し方も値段次第でそれなりに選べる。これはたいてい女だな。親に売られたり、昔振った男に恨まれてたり。こっちはただ人生を買うのとは桁違いの金がかかる。でも、そういうのが楽しくてたまらない、金が有り余った奴らがいるんだ。おまえも、そうなんだよ」


 俺の声が合図だったように緞帳が上がり、華やかなドラムロールが鳴った。


「嬉しかったろ? 念願のメジャー契約ができて。でもそのファーストシングルは永久に市場には出ないけどな。……ほら、ボーカル、歌えよ」


 同じ舞台の袖。俺の隣に立たされていた男が、ぼこぼこに殴られ、変形した顔で嫌々と首を振る。


「手間をかけさせんな。なんのために口だけガムテ張らなかったと思うんだ。おまえのメジャーデビューを自分一人だけで見届けたいってのが依頼人の頼みなんだよ。どうせ死ぬならデビューしとけ。こんなでかいホールを借り切って、バックバンドにすごいメンツを揃えた依頼人の愛情に感謝しろよ」


 そこまで丁寧に説明してやっても歌いそうもないボーカルに、俺はしかたなく近づく。

 そして、依頼人の伝言を読み上げた。


「ヒロくん、いつもみたいにいい歌うたって。ヒロくんの声を聴かせて。ずっとヒロくんのこと見てたの。彼女になりたかったの。大好きなの。だそうだ。とりあえず歌ってみろよヒロくん。依頼人はこのホールのどこかでおまえを見てる。『いつもみたいにいい歌』を歌ったら、死ななくて済むかもしれない。それに、こういうことを頼める女は凄まじい金持ちだ。彼女になったらマジでデビューさせてくれんじゃねえの?」


 ヒロくんは泣きそうな顔で、俺と、バンドと、スポットライトの当たっているマイクを見た。

 そして、やっと決意したようによろよろと舞台センターのマイクへ向かって歩き出す。

 それとともに、勢いよく叩き出されるイントロ。

 ヒロくんは観念したように歌いだした。

 ああ、悪くない。

 馬鹿みたいな大金をかけて聞くのも悪くない声だ。

 俺には若すぎるが詞も曲もいい。

 ヒロくんの才能は勿体ないことに本物だったんだろう。

 これで女に固ければ、ヒロくんの夢だって早晩かなったろうに。


「何事も急ぎすぎるのはよくねえな」


 デビューまでのコネ、金、ヒロくんが踏みつけてきた女は圧倒的な数だ。

 いまだって、誰にこんなことをされているのかもわからずに歌ってるんだろう。ただ、生き残りたくて。

 見てるのか?

 あんたは本当に見てるのか?

 俺は暗い客席を一瞬だけ振り返る。

 勿論、見てるんだろう。

 あれだけの金をかけて、殺したいほどのいとしい男。


「わかんねえな」


 俺は矢継ぎ早に煙草の煙を吐き出す。

 それはモールス信号みたいなものだ。

 俺だけにわかる、信号。


                  ※※※


 カオリが去ってからしばらくして、私は実家に連絡を取ってみた。

 あんな風になってしまったカオリの姿を見たことで、お互いの一番よかった時代への郷愁とか、しばらくLINEもしていなかったちょっとした後ろめたさとか、私だって仕事次第ではカオリのようになってしまうかもしれないという恐れとか。

 そんなものを母の声を聞いて解消したくて。

 近況報告、父がだらしないという愚痴、今年の冬も冷えそうだということ。そんな他愛もないことを話し、最後はカオリの話題になった。

 カオリのことは、母もよく知っている。たぶん、実家に連れて行った回数は、カオリより私の方が多い。一人っ子だった私に姉妹ができたようだと、私がカオリを伴って地元に帰るたび、母は何くれとなく世話を焼いて――。


「そういうわけなの。心配だけど、ご両親がついているなら、それがいちばんカオリのためだろうから……元気になってまた話せるといいんだけど……」

「そう……」


 ただ私の心に引っかかったのは、妙に焦げ付いたような母の声だった。


「カオリちゃん……あなたのところに来たの? 来たのね? そうなのね? キカ、そうなのね?」


 母は普段、のんびり話す方だ。こんなに畳みかけるように話しかけてくるのは、娘の私でも初めて聞いたかもしれない。


「答えて、キカ。カオリちゃんは来たの?」


 どうしたの、お母さん。なぜ、そんなにカオリが来たことを気にするの?

 聞こうと思った言葉は喉の奥に消えた。

『鬼ごっこの始まりだよ! キカ!』

 そう叫んだときのカオリの得意そうな顔。

 それが私の中の何かを詰まらせた。


「来たけど、話したのはほんのちょっとよ。ご両親が大変そうだったから……え、それはわからないな……私も知らなかったし。……うん。お正月には帰るよ。……お母さんも風邪には気を付けて。じゃあね」


 振り返れば、あの時私は、本当にぎりぎりのところで張りつめられたワイヤーを回避していたのだ。


                  ※※※


 ヒロくんの歌が終わった。

 アルバム契約も結んでいたから、きっちり十二曲。

 バラードとポップスを織り交ぜた、見事な構成だった。

 これなら依頼人も満足するだろう。


「いい歌うたったろ?! 悪くないだろ?! 助けてくれよ! なんでもするから! 俺のこと好きならちゃんと彼氏になるから!」

「ほんとに?」


 舞台の袖から、デコレーションケーキみたいな服装をした女が出てくる。

 いや、女の子、だな。

 金っていうのは本当にどこにあるのかわからねえ。


「ヒロくんの歌、すごくステキだったよ。ヒロくんはアヤカを彼女にしたいの?」


 女の子がにっこりと笑って、殴られ崩れたヒロくんの顔を覗き込む。

 砂糖菓子みたいな笑い方だった。


「……え、おまえ、だれ、だよ」


 ヒロくんの目がさっきとは違う恐怖に見開かれた。


「誰だよおまえ。俺、おまえのことなんか知らねえよ! おまえになんかなんもしてねえよ! 人違いだこんなの!」

「うん。ヒロくんはアヤカを知らない」


 また女の子がにっこりと笑った。

 その不条理さに、俺も少しばかりおぞ気が立ったが、まあこのくらいならまだ許容範囲だ。


「だから残念だけど、アヤカはヒロくんの彼女にはなれないね」


 女の子の言葉の語尾にはいちいちハートマークがついていそうだった。

 さすがにこれは理解できないな。


「でもアヤカはヒロくんが好きなの! ライブハウスでずーっと見てたよ! 全部見てたよ! 彼女になれなくてもアヤカはヒロくんが好き! だから今日ヒロくんをスターにしてあげたよ!」

「いらない! そんなのいらない!!!」


 ヒロくんが絶叫する。ボーカルらしい、よく通る叫びだ。

 でも女の子、もうアヤカちゃんでいいか、アヤカちゃんはヒロくんの顔を覗き込んだまま、微動だにしなかった。

 目頭切開を繰り返したすぎたんだろうか、大きくなりすぎて転げ落ちそうなアヤカちゃんの瞳。

 そこに巨大なカラコンをかぶせているせいで、かわいいはずの顔が時々訳のわからない虫みたいな生き物に見える。


「アヤカはいるの。ヒロくんがいるの」

「だ、だから付き合うから! おまえと付き合うから!」

「ヒロくんはアヤカのこと、知らないのに?」


 突然正論を返されてヒロくんは色を失う。

 この巨大な目をしたアヤカちゃんがどんな生き物だか、さっぱりわからなくなってるんだろう。


「知らないひとは彼女にできないよー。だからね、ヒロくん」


 また、ドラムロールが鳴った。


「死んで?もう、誰ともカレカノにならないで?」


 ドゥルルルル……という陽気なドラムの音に乗せて、舞台の上から先端が丸く輪になった縄が下りてくる。

 そこで俺はヒロくんの体を押さえつけた。


「なんだよ、なんだよ、歌ったら助けるって……!」


 ヒロくんが責めるような泣くような目で俺を見た。


「俺は『かもしれない』って言っただけだ。俺がどう思おうとこちらの依頼者さんの気持ち次第なんだよ」


 だから俺もちゃんとそれに応えてから、隣のアヤカちゃんを見た。


「アヤカは助けないよー。だってヒロくんが好きなんだもん」


 アヤカちゃんがケラケラと笑う。そしてヒロくんの首に縄をかけた。


「はい、金井のおじさん、ぐーっと上にあげて! ヒロくんの最期の歌、ちゃんと収録してね!」

「あー、はい」


 依頼人の言うことだから素直に返事をしたが、俺はおじさんと呼ばれたことに少しショックを受けていた。俺はまだ、二十八歳だ。十代前半に見えるアヤカちゃんからすれば年上かもしれないが、そうか……おじさんか……。

 アヤカちゃんも俺の動揺に気付いたのか、ちょっと気まずそうに「あ、えーっと、金井のお兄さん」と言い直してくれる。


「お気遣い、ありがとうございます」

「ううん。アヤカこそ、悪い子でごめんなさい」

「いや、ご依頼人に気を遣わせたこちらこそ」

「なんなんだよ、おまえら、狂ってるよ!」


 ヒロくんが叫ぶ。

 それには構わず、少しずつ輪の幅を狭めながら縄はゆっくりと上にあがっていく。

 ヒロくんの体と一緒に。

 その裂くような叫びを聞いても平然と新しい煙草に火をつけている俺と、相変わらずケタケタとおかしように笑ってるアヤカちゃんを見て、ヒロくんは今度こそその顔に絶望の表情を浮かべた。


「狂ってる!!!!」


 そして、また、叫ぶ。


「なんだ。いまごろ気づいたのかよ」


 俺は二本目の煙草をふかしながらそう答えた。 

 ヒロくんの絶叫、じたばたと暴れる足。そしてその合間にキリキリと滑車の音。

 待ちきれなくなったアヤカちゃんが縄を自分で上にあげ始めたのだ。


「あ、こっちでやりますんで。あとで編集しやすい位置とか打ち合わせ済みなんです。あと、まあ、そちらさんが嬉しくて声を出されたりするとマイクが拾っちゃうんですよ、そこ」


 俺に制止されてアヤカちゃんは真剣な顔でこくんとうなずいた。

そして、そっとそっと歩いてこちらへ戻ってくる。


「これくらいなら大丈夫? 金井のお兄さん」

「大丈夫です。じゃ、ご依頼主さんはお好きなところで。あの黄色いラインを越えなければ声を出されても大丈夫ですよ。まあ、よほどの大声でない限り編集で消せますが」

「アヤカはお兄さんにお手間はかけさせないわ」


 まだかろうじて床に爪先のついていたヒロくんは、暴れながら異様な物を見るような目で俺たちを見ていた。

 もう、恐怖も絶望もそこにはなかった。

 いい表情だ。


「曰く、人生とは不可解」

「なに、金井のお兄さん?」

「いや、たぶん日本一有名な遺言です。彼に似合うと思ってね」

「ふうん。気に入ったわ。ヒロくんのファーストライブDVDのタイトルはフカカイにする」

「それはどうも」


 俺は可愛らしく笑うアヤカちゃんに一礼して、ヒロくんへと持ち上げる滑車へと近づいた。

 ヒロくんの口は「キチガイども! 死ね! 殺す! 助けて!」と脈絡のない絶叫を上げ続けている。

 アヤカちゃんがうっとりと「最高のライブね……」と呟くのがかすかに聞こえた

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