第57話
『勇者』と『闇の神子』は対極の存在。『勇者』は『魔王』を討つ使命を帯びてこの世に生まれ、『魔王』は『闇の神子』を以て世界を魔族の物とすべく『勇者』と対立する。
スキル『影』はスキル『闇』へ至る低位のスキルに過ぎない。スキル『影』を持つ者が『瘴気』を発する様になるとスキル『闇』へと進化する。
だから魔族は魔族の中にスキル『闇』を持つものが現れるのを待っていた。ずーと待っていた。よもや人族の中に生まれ出て居たことも知らずに。
禁忌の魔眼をして読み解いたストーレはミリ嬢とクロエ嬢が仲良くしている事に驚きを隠せなかった。『勇者』が『闇の神子』を護って居るのか、はたまた逆か。
いったい何を言い出すんだろうこの王子は。あたしは憤慨して、睨み付けてやろうかと思ったが俯いて堪えた。不敬なことをしたら家族は言うに及ばず親類縁者全員に類が及ぶ。
「申し訳ございません、殿下。ミリさんが何だと仰っしゃられましたか?」
ミッチェルさんがあたしの代わりに文句を付けてくれる。あたしは殿下と直接口を訊ける立場に無い。
「クロエ嬢が今代の勇者、ミリ嬢が闇の神子と言ったのだがな。」
思案げにマクスウェルさんが口を出した。
「質問をすることをお許しください、殿下。」
ミッチェルさんは公爵の娘で言わば王族の親戚だが、マクスウェルさんは侯爵の息子で部下の子供と言う立ち位置なのでマクスウェルさんはいちいちストーレ殿下にお伺いを建てないと質問も出来ない。
「クロエ嬢が『勇者』ですか?」
「そうだとも」
「クロエ嬢のスキルは『覚醒』と聞き及んでおりますが違うと仰せですか?」
「マクスウェルがクロエ嬢に聞いてみれば良いさ」
俯いて震えを抑えているクロエにマクスウェルさんが振り返って聞く。
「クロエ嬢、ストーレ殿下がああ仰って居るが本当のところを教えて欲しい。」
ボソボソ答えたのはマクスウェルさんには良く聞こえなかったらしい。口元へ耳を傾けて再度聞いた。
「その通りや、わっちのスキルに『勇者』はあるで。そんでもって今、スキルに反応があるのや。魔族が此処にいるでってな!」
最後は叫び声に近く、クロエはストーレ殿下の後ろでにこやかにしている矢鱈と唇が朱い女性に近づいて、パンチを放った。だけどそれは届かずストーレ殿下がクロエの拳を押し留めていた。
「クロエ嬢、乱暴は困る。この人は私の交渉相手なのでな。」
見れば見るほどおかしなところだらけな女性だった。背丈は160cmほどで細面な顔にショートの黒い髪の毛、体は太って居るのに手足が矢鱈と細い。凡そ普通の人族には見えない。
しかも、クロエの攻撃を間近に感じたのに驚きもしなければ、避ける素振りも無い。それにしてもストーレ殿下がクロエの攻撃の動きに付いて来れるのが不思議だ。殿下のスキルだろうか。
「マクスウェル様、あの女性は魔族ですっ!」
あたしにはクロエの行動の理由が分かったのでマクスウェルさんに言う。ストーレ殿下に直接は言えなくったって他の人には言えるのだ。ストーレ殿下に近づく魔族、それは計画書にあった『シャルラ•タニスム』に違いない。
クロエはストーレ殿下に攻撃を阻止されて、戸惑ってその場を離れた。クロエの攻撃で皆が戦闘の体制を取る。
それはストーレ殿下の取り巻きも同様だった。ただひとり、クロエが攻撃したおかしな魔族の女だけが何も無く立っている。クロエが離れた事でストーレ殿下も手を下げた。
「魔族?ストーレ殿下ご質問をお許しください。」
マクスウェルさんは冷静にストーレ殿下と話すようだ。狩りの経験をしているミッチェルさんでさえ防御の構えを解けないで、驚いている。
「何かな、マクスウェル」
「クロエ嬢が言う魔族とどのような交渉を為さるお積もりですか。」
「う〜ん、君達に説明することは無いんだがシャルラの事を言い触らされても困るのだよ。」
「ストーレ殿下!魔族と取引などこの国を危うくするお積もりですか!」
ミッチェルさんが戸惑いながらもシャルラと呼ばれた魔族を見る。シャルラと呼ばれた女性がおかしな感じはするものの、魔族に見えないからだろう。
「シャルラ•タニスムはパンドーラ侯爵家の寄り子のタニスム男爵だよ。マクスウェル、君も知っている筈だよ。」
「名前だけは知っておりますがその実態は・・・」
「僕に取っては財政援助を受けられるだけでも充分だよ。」
「ストーレ殿下!その代わりにこの国の何を魔族に差し出すお積もりですかっ!」
冷静なマクスウェルさんに対してだいぶお怒りのミッチェルさんがストーレ殿下に厳しく問い掛ける。
「ああ、何。大した対価では無いさ。ミズーリ子爵家程度で僕は王位継承権1位になれる。」
「な、何を仰ってるのか分かってるのですか!」
「そんな馬鹿な事はお止めください!」
ストーレ殿下の言葉にミッチェルはとマクスウェルさんが声を上げた。あたしはむしろ納得してしまった。ああ、こいつがあたしの、ミズーリの人々を苦しめている元凶なんだと理解したのだった。王族のひとりが後ろ盾に居るならダンダン伯爵が魔族との契約をして暗躍出来る。
クロエは『魔力纏』から『魔法付与』をしてスキル『覚醒•勇者』を発動したのが分かった。目では分からない魔力がクロエの身体から迸っているのを感じる。
あたしもスキル『影操作』でストーレ殿下を影に引き込もうと決意した。相手が王族であろうと構うもんか。相手がこちらをただの駒と見るならこちらも相手を潰す相手として対処するだけだ。
その時、おかしな雰囲気の魔族シャルラがストーレ殿下の前に出た。そして唇を震わせた。
「Амнезия」
小さな声の筈なのに誰の耳をも打った。離れた場所に居たクロエにも聞こえた。怒りで頭が沸騰していたあたしの耳にも入ったのだ。そしてその言葉を“空間“も受け入れた。
・・・・・・・・・・・
目の前をストーレ殿下とその側近候補3人が通り過ぎる。あたし達は最小限の言葉でエリザの事を話したから、たとえ聞こえていても何の話をしていたのかは気づかれてはいないと思う。通り過ぎる時にストーレ殿下があたしをちらりと見たような気がするが頭は上げられない。
緊張はストーレ殿下が特別室を出て行ってしまうまで続いた。ふぃーと誰かが息を漏らした。クロエだった。薄く笑い声が広がる。みんなも同じ気持ちだったのだろう。
パンパンとミッチェルさんが軽く手を打って、みんなの視線を集めた。
「さぁ、皆さんもう一度座って詳しい話をしましょう。」
ミッチェルさんのいう通りに座り直して話をする。それにしてもストーレ殿下があたしの事を知っでいたなんて。何の用事だったのだろう。何か言い掛けて止めたようだった。そして、何事もなく行ってしまった。
「それで、ミリ嬢。エリザの様子はどうなんだ。自領に戻されたのか?」
マクスウェルさんの言葉にクロエが答えた。
「ちゃうねん、エリザは記憶喪失になってん」
「そうなんです。自分の名前は分かるのに何処の誰かも忘れているらしいんです。シエル•ルゥーフ学園長が預かってくれたので医者にも診て貰う事になると思います。その後はどうなるかは分かりませんけど。」
あたしも補足して説明する。
「何処か怪我をしたりはしていない?」
ナランチャさんが心配そうに聞いてくる。誰にも優しい。
「はい。そう言う事では無いようです。あたしは例の瘴気の影響じゃないかと思うんです。」
「それはあり得るかも知れない。」
クルチャさんが同意してくれる。
「何にしても、良かったわ。ヒスな彼女と言えども同級生ですもの。」
ミッチェルさんがちょっとエリザをきつく言いながらも心配りした事を言った。
その後はあたしとクロエがどんな場所で狩りをしてるとか、王都の新しい店の話などをして過ごし、終わった。
あたしとクロエは一度教室に戻った。
クロエは寮に戻りたがったのだけど、あたしは魔族がこのところ増えていることを戦いの専門家であるバージル先生に聞いて置きたかったのだ。クロエに無理をして付いて来なくても良いと言ったら、唇を尖らせて文句を言う。
「まぁた、わっちを除け者にするん?」
「そう言う積りは無いわ。もちろん、クロエが付いて来てくれると心強いしね」
あたしが笑顔のサービスをしてあげると機嫌を直してくれた。あたし達が戻った教室にはまだ数人がバージル先生に話を聞いていた。いつもの席に座ってその人達の話を聞くとは無しに聞く。
「それで詠唱は何故、攻撃力をあげる事ができるんでしょうか、先生。」
「私も専門家では無いので感覚程度の話になるが、詠唱をすることで自分の魔力に言い聞かせている部分があると思う。だから、心の内で詠唱をした後に魔法名を声に出して叫ぶ、詠唱破棄とか詠唱棄却、短詠唱とか言われる技術もある。戦いながら詠唱をするのはかなりの慣れと技術が要るからな。」
「先生でも戦いながら魔法を撃つのは難しいのですか」
「ああ、そうだな。俺の場合は遠くから詠唱して魔法を撃ってから、接近戦に持ち込むのが得意だから、魔法は牽制に用いてる事が多いぞ。」
「あと〜、魔法で膜や霧や壁を出す方法があるって聞いたんですけど効果的なんですか?」
顔にそばかすが多い女の子が質問する。
「ああ、あるな。大体が魔力の少ない者が使うらしい。俺も魔法の専門家では無いから、来年に学ぶ魔法専門の先生に聞くと良い。相手の妨害をするのが目的なので多数を少数で対処する場合に多用されるな。相手の混乱や分断などを目的にした魔法と言って良い。個人戦や接近戦には向かないんじゃないかな。俺的にはやり辛くなる。」
バージル先生の言葉に小さく笑いが起こる。
「さて、もうそろそろ良いかな。他にも聞きたい事がある者がいるようだ。」
バージル先生がちらりとこちらを見て言ってくれたので、先生を囲んで居た生徒は名残り惜しそうに離れて言った。あたしとクロエはバージル先生だけになったのを確認すると教壇に近づいた。
「ミリ嬢とクロエ嬢か、もう帰ったものと思ったんだがな。」
「そうしたいんやけど、ミリが聞きたい事があるんやて」
バージル先生があたしの方を向いたので聞いてみる。
「バージル先生って副騎士団長の頃から魔族と戦って来られたんですよね。」
「ああ、そうだな。余り詳しくは口外できないが5年程前からちらほら魔族の噂が経ち始めて、初めて遭遇したのは2年前だ。」
「バージル先生が倒されたローデリアと言う女魔族ですか?」
クロエが魔族の話に興味深そうな顔をして、あたしとバージル先生を交互に見る。
「なんや、ミリはそないな名前の魔族を知っとるんかいな。」
「ほら、前にナサニエラさんの件があった時の事話したでしょ」
「ああ、あの話に出てきたんかいな!」
「ローデリアはそうだな。あいつは余り戦闘向きと言うより色々画策していたようだった。幾つかの事件に関わっていたらしいんだが、俺がローデリアを見掛けたのは『ラジカル密輸商事件』の時だな。魔導具で姿を人に見せかけていたせいで魔族とは気付かず見逃してしまったんだ。」
「ラジカル!知っとるで、それ!確かオードパルファムの商会も幾つか関係しとるちゅうて捕まった筈や。」
「ああ、その通りだな。出処不明の魔石を密輸しようとして、関係者のひとりが魔石を持ち出したせいで露見した事件だ。」
「その時ローデリアは何をしていたんですか?」
「ラジカル商会に魔物を卸しているハンター兼小さな商会主と言う立場だったよ。」
「その時は魔族って分からなかったんですよね?その後にも会ってるんですよね」
「ああ、次は確かロージン街道の盗賊団事件だな。」
「ロージン街道って何処や?」
「ロージン街道はジュゼッペ公爵領にあるデズモンド辺境伯へ出る山越えの道だ。だから盗賊団と言うより山賊かも知れんな。」
「バージル先生はそこへ何しに行ったんですか?」
「デズモンド辺境伯家からの要請で盗賊退治さ。山中にあった洞窟に奴らを追い詰めた時に魔族の姿のローデリアと戦ったんだ。」
「でも、逃げられた?」
「そうなんだ。かなりの深手を負わせた筈なのに追い詰めた先の記憶が無いんだ。」
「記憶が無い?」
「そりゃ変な話やで」
「他にも記憶を失っている者がいて、何らかのスキルで逃げたのでは無いかとなったんだ。危うく懲罰を喰らうとこだったよ。」
「他でも戦ってますか?」
「ああ、次は姿を見ただけで直ぐに逃げられ、その次はハンター崩れ数人を囮にされて逃げられたんだ。」
「じゃあ記憶をなくしたのは一度だけ」
「そうなるな」
「ローデリア以外の魔族に逃げられた事はありました?」
「いや、無い筈だ。記憶には無いな。」
「メドギラスに会ったのはこの間戦ったのが初めてですか?」
「質問が多いが、そうだな。そう言えばロージン街道で追い詰めた時にローデリアが口にしていたな。」
ダンダン伯爵家で戦った魔族ガドットは変身能力と闇魔獣召喚だった。だからガドットじゃなくて他の魔族だ。
ダンダン伯爵と契約していない魔族が他にも居るかも知れない。居なければそれは『シャルラ•タニスム』かも知れない。まだ知らない魔族がバージル先生の記憶を奪ったのかも知れない。
魔族がどれだけエライザ王国に侵入しているかは分からない。でも何か目的が必ずある筈だ。
「でも、ミリ嬢が何故そんなに魔族の事を気にするんだ?」
バージル先生の疑問も最もだ。
だから懸念していることを話してみた。
「魔族が入り込んでこの国の転覆を計っているとしたらどうです?」
「そ、そんな訳無い・・・と思いたい。第一魔族に何の得があるんだ?」
「分かりませんけど、エリザが学園を休んで居る理由をシエル•ルゥーフ学園長から聞いてませんか?」
「ああ、一応聞いている。」
「エリザが瘴気を出すようになった原因が魔族だとしたら?」
「何ぃ!そうなのか?」
あたしは既に魔族ガドットをクロエが倒していることを隠して言う。クロエがニマニマする。
「可能性は凄く高いです。」
「確かにエルフである学園長が指摘するくらいだからな。」
「でしょう?ダンダン伯爵領に魔族がいるとすれば既に3人ですよ。もしかしたらバージル先生の記憶を奪ったのも別の魔族としたら4人も入り込んでます。」
「魔族が暗躍していたのは事実だ。ローデリアとメドギラスは倒したが・・・そう言えば死体はどうなったのか聞いてないな。」
「いくらなんでも生き返らんやろ?蘇生魔法やスキルなんて聞いた事あらへんやで。」
「伝説の聖女パーミット•メレアーデ•エルセイヤでも蘇生は無いな。死に際の者を魔法で救った事は有ったらしいがな。」
「幾らか魔族と言えども出来ない・・・ですよねえ?」
「う〜ん、分からんぞ。人族の上位種と魔族は言われて居るからな。よし、後でジズル•ローレン王都第2騎士団長に確認してみよう。」
「生き返ったらわっちも戦いたいんやけどなあ」
「そんな僻み方しないのよ、クロエ」
「そやなぁ〜あははは」
「それでミリ嬢の聞きたい事は聞けたか?」
「はい、ありがとうございます。バージル先生」
「俺も話せて良かった。まだ魔族がエライザ王国に潜伏している可能性があると分かったから、上層部にも警告をしておこう。」
あたしとクロエは教室棟を後にして寮に戻る。バージル先生と話してバージル先生に警告を出来たし、魔族の事を知れた。充分に時間を掛けた甲斐があったと思う。
クロエが急がせるけどあたしは影従魔を使わない近道があることに気が付いていた。制服を着替えるか考えたがリリスお姉ちゃんの家族と会う可能性があることから着替えるのを止めた。クロエはどうするのかと思ったら制服のままで、装備一式を一纏めにしてあたしに預けた。
「もし、必要になったらな〜いけないかも知れへんやろ」
一理くらいあるかもとあたしも自分の装備を纏めて影の世界に収納した。
「それで、影従魔『リレチア』で行くんやろ」
クロエはワクワクしている。
「ううん、もっと早く行けるのよ。こっち」
あたしはベットの上から壁に魔力を通して影転移扉を開いた。そしてクロエの手を掴んで中に入る。
「なんや、ここはアン様の家やろ」
「そう、そしてここから外に出れば良いのよ」
あたしはクロエの手を繋いだまま、玄関から外に出て、影の世界に出た。そして現実世界に戻る。そこはアントウーヌの森の中だ。
「あれ?ここは何処や?」
「ここがアントウーヌの森よ。ボアン子爵領にあるのよ」
「ああ、そうなんやな。これで来れたんや」
拍子抜けして残念そうなクロエを促す。
「そういう事よ。さ、行きましょう。リリスお姉ちゃんは帰って来てるみたいよ」
「待ちいや、ミリ。このまま行ったらどうやって来たんやって聞かれるで」
「あ、そうね。じゃあ影の世界からこっそり確認しましょ」
あたしはクロエの手をしっかり握って影の世界へ移動した。たちまち反転する世界。夕闇迫った空は朝焼けの様に光に満ちた空に変わる。光と影が入れ代わり、近くに控えていた影従魔『ルキウス』と『リレチア』が見えた。
そう言えば影従魔と闇魔獣は同じように闇の魔力で出来ている。だから現実世界から召喚するようにすれば前に『ルキウス』が言ったように現実化出来るのかも知れない。
そう言えばギアナの大穴(ダンジョン)で取り込んだ魔物はどうなったのだろう。意識して引き寄せようとしたが現れない。
>ご主人様、彼らは魔力に戻りましたのじゃ<
『ルキウス』が教えてくれた。なるほど穴(ダンジョン)の魔物は影の世界に取り込んでしまうと消えて無くなるのか。これは迂闊に取り込めないな。後で詳しく見ようと思っていたのに。
リリスお姉ちゃんがいるらしい館は直ぐに見つかった。慌てて移動した訳でも無いのに、こんなに近かったっけ。
するりするりと館の中に入って行く。リリスお姉ちゃんを探して行くと前にも行った事のある食堂に出た。
そこにはリリスお姉ちゃんの家族が揃って何か話をしていた。声が聞こえないのでリリスお姉ちゃんの影に触れて声を聞いてみる。
「それで、どうなんだ。」
重苦しい声でリリスお姉ちゃんの父親のボルトン•ボアン子爵がリリスお姉ちゃんに聞いていた。
リリスお姉ちゃんは戻って来て、着替えたのか簡素なドレスを着て、下座に座って居る。
長いテーブルの上座には父親のボルトン、その近くに妻のカレンディア。その対面には嫡子でリリスお姉ちゃんのお兄様のヘンリアス。その隣にはリリスお姉ちゃんの妹オリフィスだ。リリスお姉ちゃんはお母様の隣に座って居る。
ただ、席は他の人達よりだいぶ離れていて、リリスお姉ちゃんの立ち位置が分かるようだ。何故か、家族から距離を置かれて居る。
「お父様、聞きたいのはこちらです。ダンダン伯爵から何か命令を受けているのですか?」
「そんな事はお前に関係ない!スキル『影』を持つ娘を篭絡出来たのかと聞いておるのだ!」
篭絡?リリスお姉ちゃんは父親のボルトン子爵の命令であたしに近づいた?
「お父様が同室になるようにミリちゃん、いいえ、ミリ•ミズーリ子爵令嬢の部屋を変えさせたようですが・・・」
「そうだとも!わざわざ裏金を使ってまで整えてやったのに少しも進展していないとは何だ!この役立たずが!」
どうやらリリスお姉ちゃんとの出会いはボルトン子爵の手が回っていたようだ。
「そうですよ、アマリリス。お父様の命令を守りなさい。」
「薔薇の手入ればかりしているお姉様には出来っこ無いわ!」
父親の言葉の尻馬に乗って母親のカレンディアと妹のオリフィスがリリスお姉ちゃんに言い募る。
「父上、やはり僕が婚約者になるのが早いのではありませんか?」
静かに聞いていたと思われるリリスお姉ちゃんの兄ヘンリアスが口を出す。
「何を言う、ヘンリー!お前にはダンダン伯爵との血縁を強める為にエリザ嬢との婚約話を進めているのだ!余計な事は言うな!」
「はぁ、分かりました父上。」
とても不服そうな顔つきで兄ヘンリアスが不承不承答える。
「やっとエリザ嬢がロベルトを諦めて話を聞いてくれる様になったのだぞ!」
どうやら魔族ガドットが変身した『ハセット•ローゼンベルグ』との婚約をしようとしているのを知らないらしい。父親のボルトンはリリスお姉ちゃんの方へ向き直って言った。
「だから、無理やりでも此処に連れて来るのだ!アマリリス!そうすればなんとでもなるのだ!」
「お父様、前に一度ミリちゃんはここに来たではありませんか?」
「何だと?それはいつだ?」
「私が冒険者の姿をしたままだったのを迂闊に連れて来てしまったあの娘ですわ。」
「何だと?あの娘が?」
「そうですとも。私に会いに来てくれるとは思わなかったので、嬉しくてついそのままの姿で連れてきてしまったあの娘ですわ。」
思い当たったらしい父親のボルトンは顔を歪める。そして逆にリリスお姉ちゃんを責める。
「お前が悪いのだ!アマリリス!何故あの後ちゃんと説明しなかったのだ!」
「それはお父様が聞く耳を持って頂かなかったからですわ。何度も説明しようとしたのに・・・」
リリスお姉ちゃんの話を聞く積りも無く、言葉を被せて来る。
「とにかく、直ぐにでも連れて来い!」
「そんな!幾らか同室とは言え、学年が違うのでそんなに仲良くなんてなれません!」
リリスお姉ちゃんはあたしを庇ってなのか嘘を言う。いや、嘘じゃ無いな。姉妹のように仲良くなっているけど父親のボルトンが思う程、そんなに仲良く無いかも知れない。リリスお姉ちゃんが余り家族の事を話してくれないから、いいえ、あたしが聞かないから知らなかったのだ。
「そうだ!アマリリス!お前が病気に掛かった事にしてここに呼び寄せろ!そうだ、それが良い。」
「まぁ、それは良い考えですわ。アマリリスが会いたがって名前を呼んでいるなんて付け加えれば効果的ですわ。」
母親のカレンディアが言う。
「私が手紙を書きますわ。お姉様が苦しんで呼んでいるから来て頂戴って上手に書きますわ!」
妹のオリフィスが自分に酔った様に言う。
「そうね、オリーは頭が良いからきっとバレずに済むわ。」
母親のカレンディアが娘のオリフィスを異様に褒める。
「そんな!ミリちゃんを騙すなんて!」
「お前は黙っておれ!何の役にも立っておらんのだからな!」
リリスお姉ちゃんの抗議にも掛らわず父親のボルトンがリリスお姉ちゃんに怒鳴り散らす。テーブルを強く叩いたせいで乗っていた紅茶が跳ね上がり中身が溢れた。
その行為にリリスお姉ちゃんはビクッと体を硬直させる。それでも震える声でリリスお姉ちゃんは父親のボルトンに言う。
「それまでして、何故、なぜ・・・ミリちゃんを必要とするのですか・・・」
最後の方は声が小さくなってしまう。それを聞いて父親のボルトンがニヤリと笑う。おもむろに全員を見回して話始めた。
「アマリリス、お前にはダンダン伯爵に命令されて儂が唯々諾々と従って居るように見えるのだろうな。だが、事実は違う!儂が唆したのよ、アクトの奴をな!」
「どうせ、近々話す積りだったのだ。今教えてやろう。儂はボアン家の書庫からある男の日記を見つけた。」
父親のボルトンは暖炉横に置いてあった古びた本を持って来て話しだした。
「この日記によれば我が祖先は500年前にスキル『影』の持ち主だった魔女の仲間だったのだ。当時伯爵だったルーカス•ボアンと魔女は子供を作ったが魔女の子供は表に出せん。
そこで密かに別の貴族に養子に出された。ルーカスは魔女を匿った咎で子爵にされたが別の貴族の娘を娶る事で家を継続させることが出来た。
一方、養子に出された男は成人して自分が魔女の息子であることを知らされた。だが、養子に出された家で嫡子が生まれた事で男は家を追い出されてしまったのだ。
仕方なく、男は自分の出自を求めてこのボアンの地にやって来た。そして密かに魔女の事を調べ始めたのだ。
そして魔女がまだ、このボアンの地に隠れて居ることに気付いたのだ。魔女は自分の息子がどうなっているのかも知らずにのうのうと暮らしておった。それに怒った男は魔女に復讐を誓ったのだ。」
芝居がかった口調で父親のボルトンが話す。
「男は魔女が接触する村人に近づき、何食わぬ顔で魔女と知り合いになった。そして、何処とも知らぬ場所に魔女がエリクサーを作る魔導具を隠して居て、ボアン伯爵にその原料である特殊な薔薇を与えた事を知ったのだ。男は魔女から全てを奪う事を決意する。
まず、男は魔女がボアン子爵に余り近づかない事を利用してボアン子爵位を奪った。この場合は正しい嫡子になったとでも言うべきか。」
父親のボルトンは特殊な薔薇とは『シドル』と呼ばれて居る薔薇のことだと説明する。
「魔女は安々と男を許した。直弟子しか入れない魔女の家に入り、魔女に気付かれぬようにある魔導具を盗み出したのだ。それがこの『シドの玉手箱』だ。」
父親のボルトンが懐から小さな宝石箱を取り出した。みんなの視線が集まりため息が漏れた。
「うわ〜、素敵!」
「中々の値打ちものですわ」
妹のオリフィスが喜び、母親のカレンディアが評価を下す。
「これの価値は見た目などでは無い。見てろ。」
父親のボルトンが蓋を開けて、魔石に触れると中から沢山の金貨が出てきた。中には何も無かったのに出てきたのだ。これには兄のヘンリアスも妹のオリフィスや母親のカレンディアと同じように驚く。
「この中には小さな硬貨サイズの物なら何でも入るのだ。しかもそれには収納制限が無い。ほれ、このように」
ボルトン子爵がテーブルに出した金貨を1枚1枚箱の中に入れて行くが、明らかに入り切らない数の金貨が全て入ってしまうが中には黒々とした影しか無かった。
ボルトン子爵が開けた箱を皆に見せる。
「どのような仕組みなのかは分からんが、アイテム袋のように使えるのだ。そして、これの真価はもっと違うところにある。これを使えばエリクサーを作り出す魔導具のある場所に行けるのだ。」
「もしかして、開かずの間の事ですか?」
兄のヘンリアスが父親のボルトンに聞く。
「そうだ、あそこは魔女が我が家に住み着いていた時に使っていた部屋だったらしい。どんな危険があるか分からんが、誰も近付けさせない為に開かずの間としたらしい。儂もこの『シドの玉手箱』を持って中に入ったが残念な事に入り口を見つける事が出来なんだ。だが、魔女のスキル『影』の持ち主ならその秘密の入り口を見つけられる筈だ。だから、その小娘が必要なのだ。」
父親のボルトンは悔しそうに話す。
「父上、入る事が出来てもエリクサーを作る素材とかはあるのですか?」
兄のヘンリアスが肝心な事を聞く。
「勿論だ、男の日記にはそこも詳細に書いてあった。エリクサーを作る魔導具の動かし方さえもな。」
「魔女はその魔導具を使って居なかったのでしょうか」
「日記には素材を使い果たしてその時代にはもう作れなかったと書かれておった。だから、魔女も気を許していたのかも知れんな。」
「エリクサー!どれ程の価値かしら!」
母親のカレンディアが想像してうっとりとする。
「エリクサーが1本あればそれだけで王族すら跪くだろうさ。そう、アクトに言ってやったのだ。」
父親のボルトンが嘯く。
「第3王子のストーレ殿下の心まで動かしたらしいぞ。あの方の能力からしたら未来に不満があってもおかしくない。」
「ストーレ殿下!ああん、あたしを許嫁にして欲しいわ」
妹のオリフィスが体をくねらせて妄想する。
「エリクサーさえ好きなだけ作れるように成ればそれも思いのままだ!」
父親のボルトンが気勢を吐く。大人しく聞いていたリリスお姉ちゃんは家族の欲望の吐露に呆れているように見えた。
「だからこそ、スキル『影』を持つリリスの同室のミリ嬢が必要な訳ですか。」
冷静な兄のヘンリアスが確認する。
「父上の目の前にある日記、それには他に何が書かれていたのですか?」
「ああ、他には魔女の弟子による秘密結社が作られていたようだ。名前は確か『影庭』とか。だが、500年も前の話だ、既に姿も形も無いのでは無いかと思うぞ。男も結社に入って居たようだから現状も運営されて居るなら我が家にも何らかの連絡があるだろう筈さ。」
「何をする為の結社何でしょう」
「そんな事知るわけも無いぞ。どうせ魔女の遺産を奪い合う為の約束事でも決めたのでは無いのか?どの道、儂には無関係だ!全く、ヘンリアスは変なところが細かくていかん。」
五月蝿そうにボルトン子爵が吐き捨てる。
「分かったか、この日記さえあればエリクサーが手に入る目前にまで来ているのだ。何としてでもスキル『影』の娘を手に入れるのだ。」
リリスお姉ちゃんは欲に走っている家族を前に席を立ち、言った。
「嫌です!私はあの娘を渡しません。あの娘は、ミリちゃんは道具なんかじゃないんです!」
リリスお姉ちゃんの宣言に父親のボルトンは顔を真っ赤にして怒り、同じように席を立つとつかつかとリリスお姉ちゃんの近くまで来て、握りこぶしを振るった。
ゴン!
きゃ!
嫌な音がしてリリスお姉ちゃんが倒れる。
「お前は儂の言う事を聞け!逆らう事は許さん!」
リリスお姉ちゃんは左の目の上を切って血を流していた。ふらふらとリリスお姉ちゃんは立ち上がり、父親のボルトンを睨みながら言った。
「何と言われようと私はあの娘のお姉ちゃんだから・・・あの娘を、ミリを守るの!」
父親のボルトンには何を言って居るのか分からなかったようだが娘が精一杯反抗している事は分かったようで、怒りに任さて腹に拳を振るった。リリスお姉ちゃんは踏ん張れず、食堂の床を転げて行く。
あたしはもう見ていられず、思わず現実世界に飛び出していた。
いきなり現れたあたしとクロエに父親のボルトンは驚く。立ち上がって父親のボルトンに近づいていた者たちも動けないでいた。
あたしは彼らを無視して影の中からポーションを取り出してリリスお姉ちゃんに飲ませる。クロエは近くであたし達を守るように立っていた。ポーションの効果は直ぐに現れて、殴られた傷は直ぐに治り、気絶していたリリスお姉ちゃんが目を覚ました。
「み、ミリちゃん?」
「うん、そうだよ、あたし。」
あたしが介助して立ち上がるの手助けする。身体の痛みも直ぐに引いて来たようで、クロエを見つける。
「クロエちゃん?」
「そやでぇ、助けに来たで。」
「何で、此処に?」
「そりゃ、状況を考えればリリス姐さんが危ないと分かるやろ」
あたしはクロエの言葉に頷いて言った。
「クロエの言う通りよ。」
ようやく、あたし達が誰か分かったらしく父親のボルトンが話し掛けて来た。
「お前達は誰だ?アマリリスの言葉だとお前がミリ•ミズーリか?」
あたしは1歩前に出て、カーテシーをして名乗る。
「私の名前はミリ•ミズーリ。ミズーリ子爵の娘です。初めまして、ボアン子爵。そしてご家族の皆様。」
あたしがクロエの方を振り向くとクロエも名乗った。
「クロエリアや、よろしゅう」
但し、ハンター名だった。
名のり返しもしないで父親のボルトンは嫌らしい笑みを零して言う。
「どうやって此処に来たのか、方法や理由には疑問もあるが丁度良い、儂の言う事を聞いて貰おう。」
頭ごなしだった。
「何で、あんたの言う事を聞かなあかんのや」
クロエの言う通りだった。むしろ、あたしが、いいや、継承の腕輪を通してアントウーヌの森の魔女メリーが言いたい事があった。
「その前に、言いたい事があるのよ。」
あたしが『影操作』して影の中から『ルキウス』を召喚する。建物の中は『ルキウス』にとって狭いが威圧するには丁度良い。広めの食堂なのに狭く感じるだろう。
メイドや使用人が悲鳴を上げて反対側のドアから逃げ出した。兄のヘンリアス、妹のオリフィス、母親のカレンディアはテーブルの向こう側にひと塊となったが、流石に父親のボルトンは少しずり下がったがその場に踏みとどまった。
召喚された『ルキウス』は体高が2m程の巨大な白い犬だった。四肢は長く無いがどっしりとして力強さがあり、鼻梁は短めでくりくりとした丸い目には愛嬌があった。耳は長くて垂れて居るし、皮膚もゆるゆるで体毛も長めだった。犬種はバリー(熊)と言われるものに似ているだろう。
>ようやくだ。ご主人様、感謝するのじゃ<
ルキウスはあたしを見てから父親のボルトンに低く吠えて、その場に座りこんだ。
「な、何だ。そんな魔獣を何処から出した!」
クロエもリリスお姉ちゃんも驚いたがルキウスと分かったらしく笑顔で抱きついた。
「ボルトン子爵が見つけた日記の持ち主の事よ。彼の名前はメビウス•ロールアウト。アントウーヌの森の魔女メリー様の息子で当時伯爵だったエンドロールの仲介で遠戚のロールアウト子爵に養子に出されたの。」
「な、何故そんな事を知っている!」
父親のボルトンの声を無視して続ける。
「メリー様はメビウスが自分の前に現れた時に直ぐに分かったの、彼が自分の息子だって。母親だって名乗りたかったけど名乗れなかったわ。事情があるにせよ養子に出してしまったのだから。」
「だから、息子のメビウスが偽りの名前で近づいて来ても知らぬ顔で受け入れたわ。魔女メリー様に取って息子と過ごすことは喜びだったわ。共に魔法を研鑽し、魔法薬を開発したり、畑を育てる事は子育てが出来なかった魔女メリー様に取って贖罪のようなものだった。
だから息子のメビウスが魔女メリー様の家の物を隠れて盗む事も許容したわ。数少ない『シドの玉手箱』を持ち出した事も許した。息子のメビウスがボアン子爵を継ぐのを密かに手を回して、中々認めなかったルーカス亡き後の後継者に譲らせたわ。」
「だから、何故そんな本人みたいな事が言えるのだ!」
「だから、ボアン領で薔薇シドルを密かに育てる事も許し、エリクサー生成装置の核心である材料や操作方法まで教えたわ。後々のボアン領にスキル『影』を持った後継者がやって来るのを見越してね。でも、隠された家だけは渡せなかった。それはスキル『影』を持つものだけの秘密を内包していたから。」
「魔女メリー様はメビウスが老衰で亡くなってからも隠された家で生き続け、ボアン領の行末を見守ったわ。
魔女メリー様は250歳を越えて、人族としてあり得ない程の長寿を全うしたわ。それはスキル『影』を持つ者の宿命であり、業言える。いえ、魔女メリー様が長命だったのは秘薬『エリクサー』を復活させた影響だったのかも知れない。」
「何れにせよ、メビウスの出自は不幸だったかも知れないけど、復讐を果たしたと満足して逝ったわ。だから、彼の名誉の為にも、魔女メリー様の母親としての想いの為にも訂正させて頂くわ。」
「だから、何なんだ、お前は!!」
「あたしはスキル『影』を継ぐ者。ミリ•ミズーリよ。」
あたしはアンと後に呼ばれた魔女メリー様の想いを代弁することで満足した。
「ボアン子爵、あなたはこの屋敷が500年もの間ずっと朽ちずに残った事に疑問を持たないの?」
「今度は何を言い出すんだ?」
「この屋敷が朽ちないのは魔女メリー様が息子メビウスを愛した証拠なの。もちろん、秘薬「エリクサー」への扉を守る為でもあるけど、魔女メリー様が愛したルーカス様とメビウスの思い出を忘れる事が出来なかったからなの。
だからこの屋敷は大事にして欲しいのよ、ルーカス様の子孫として。」
「ふん、そんな事など知らんわ!それより大事なのは世界を支配し得る秘薬「エリクサー」よ。早く、そこへ案内せい!」
「はぁ仕方ないわね。連れて行ってあげるから材料もちゃんと持って行くのよ。」
「えー、ミリ。連れて行くんかいな」
クロエがあたしに抗議する。
「連れて行かないといつまでもごねるでしょう?それにここを守る結界ももうじき切れるから安全のためよ。」
「ミリちゃん、何か起こるの?」
「リリスお姉ちゃんは兎に角、家族と一緒にエリクサー生成装置のところまで避難が先ね。」
みんなに先立ってスタスタと2階に上がり、突き当りの開かずの間のドアを開ける。懐しさがどっと溢れて来るけど我慢してベット横の壁で影の転移扉を開く。
ここの扉は1箇所にしか行けない。行き先はエリクサー生成装置のところだ。あたしが居なければ戻れる事は無い。
壁に広がった黒々とした影を見て父親のボルトンは怖気づくが、リリスお姉ちゃんがさっさと進んで行くと恐る恐る入る。兄のヘンリアスが続き、妹のオリフィス、母親のカレンディアが入って行く。しかし、ミリは入らない。それを見てクロエが言う。
「さっき、ミリは避難するって言うたな。どうゆうことや?」
「あたしがこの扉を開いたから屋敷の結界が解かれ、この場所がバレて、これから魔族が襲って来るからよ。」
「なんやて!魔族?」
「そう、多分最後の魔族がやって来る筈よ。」
あたしが部屋を出て外に向かうのをクロエが喜々として付いてくる。
「魔族特攻のスキルを持つクロエでもどうかしら。相手の戦力は読めないから」
「その知識はアン様からやな?」
クロエにも気付かれていたようだ。
「そうね、さっきはアン様の記憶が強く出て、あたしを乗っ取ったみたいになっちゃったわ。気弱なミリがアン様のお陰で強く成れたけど、ちょっと混じり過ぎてる気もするの」
「大丈夫やと思うで。ミリはミリや。少しも変わらへんよ」
「ありがとう、クロエ。あなたが親友で良かったわ」
「ちいーとは下心あったんやけど、今はどうでもええわ。」
「じゃあ、迎撃の準備をしないとね」
建物から出る前に適当な部屋で装備をクロエと一緒に身に着ける。
あたしは建物の外に出ると付いてきた『ルキウス』だけでなく影従魔『リレチア』を影の中から召喚する。
リレチアの姿は天喰魔獣と呼ばれるギガントゼウスにそっくりだった。ギガントゼウスは猛禽類である鷲を巨大化したような姿だけど、翼長は10mを越え、体高も3m近くある。
風魔法、火魔法を操り竜でさえ敵で無いと言われる。遥か彼方の天を飛び、決して地上に降りること無くその姿を見る事はほとんど無い幻獣だ。
ちなみに龍は竜と違って神獣で蛇の身体に竜の姿で、弓月国に棲むと言われている。
現実世界に影従魔の2匹が居るととても心強い。もちろんクロエの強さは保証付きだ。外で暫く待っていると何かかガン!と打つかる振動が起きた。
多分アン様が張って置いた結界に異物認識された物がぶつかった音だ。方角は西、王都の方角だった。
上空から3つの影が急速に接近していた。『リレチア』が飛び立ち、迎撃に向かう。
3つの影の内、ひときわ大きいものと『リレチア』が戦う。互いに交差しながら魔法を放って居るようだ。
残りの2つの影が近づくに連れて何だか分かって来る。緑色をした竜が2匹、人を載せて近づいていた。女性が男性を載せた竜と女性がひとりで乗った竜、女性のひとりだけが見たこと無いが残りは分かる。
第3王子のストーレ殿下を後ろに知らない女性が竜を操って近づいて来た。こちらには攻撃出来ないがもう一匹の竜には見覚えのある女性が乗っていた。クロエを見ると獰猛な顔つきでどちらも睨んで居るが、あたしが指差す。
「あれはローデリアだわ!バージル先生が言っていた魔族よ!」
「どっちも魔族や!ストーレ殿下の方は任したで!」
クロエがスキル『空歩』で空中に駆け上がってローデリアを迎え撃った。既に『魔力纏』して焔の帯の『魔法付与』した状態だ。クロエなら負けることは無いが、どうやって復活したのか気に掛かる。
ということは『リレチア』が迎え撃った竜には『メドギラス』が乗っているのかも知れない。
あたしが『魔力纏』して待ち構えて居ると少し離れた場所に緑色をした竜が着地した。何故か少しあたしに怯えている。あたしは怖くないよ〜こっちへおいでぇ〜。
ひらりとストーレ殿下と見知らぬ女魔族が竜から飛び降りる。ストーレ殿下は空に駆け上がって行ったクロエや遠くで戦っている影従魔『リレチア』を見た後、あたしを見てにっこりする。こんな状況でなければさすが王族の一員と関心するところだ。
「どうやら、私達が来るのが分かっていたようだね、ミリ嬢」
「はい、そうですね。でもストーレ殿下がお越しになられるとは思ってもいませんでした。てっきり魔族だけで襲撃してくるとばかり思っていましたわ。」
「ほう、何か仕掛けがされていたのかな?」
「それは申し上げられませんわ。そちらの女性がどなたなのか教えて頂ければ答えて差し上げても宜しいかと。」
ストーレ殿下は後ろに控えているおかしな様相の女性を見る。
見れば見るほどおかしなところだらけな女性だった。背丈は160cmほどで細面な顔にショートの黒い髪の毛、体は太って居るのに手足が矢鱈と細い。矢鱈と唇が朱いのが凡そ普通の人族には見えない。クロエは魔族と看破したけれど。
「こちらはシャルラ•タニスム男爵嬢さ。」
ストーレ殿下の紹介にも微動だにしないでにこやかにしている。緑色をした竜はふたりを降ろすと後退りしながら飛び立って逃げて行く。あたしの反応が変わらないのを見てストーレ殿下が肩を竦めて更に言葉を連ねた。
「彼女はね、僕の援助をしてくれるんだ。まぁその見返りにミリ嬢の領地が欲しいらしいよ。ダンダン伯爵からも協力を頼まれているし、ボアン子爵にエリクサーの提供を要請しようと思うんだ。ミリ嬢も無関係じゃないから協力してくれるよね。」
あたしはストーレ殿下を見て何処かおかしい気がした。魔族に協力しようとするのも変だし、言葉に脈略が無い。王族だから誰も逆らえず、言う事を聞くのが常態だからとも違う気がした。側に佇む異様な魔族の女に何かされているのかも知れない。
「この地は魔族を寄せ付けない、魔族に感知されない仕掛けが施されていましたわ。でも少し前に事情が変わって解除されたのですわ。それにしても大所帯で来られましたね。想定より多くて歓迎仕切れませんわ。」
あたしは頭を上げて上空で戦っているローデリアを見る。
「あそこにいる魔族ローデリアや赤い竜に乗っているメドギラスは騎士団によって討伐された筈何ですが、どうして生きているんです? 」
無警戒に見えるふたりを前にあたしは影従魔『ルキウス』に攻撃を仕掛けるように合図することが出来なかった。話し掛けて情報を得たい思いもある。
「ははは、それは僕にも分からないかな。死体置き場に行く許可をシャルラ嬢にあげただけでね。彼女に聞いて見たらどうかな」
ストーレ殿下がシャルラ•タスニム男爵令嬢と呼ぶ魔族を振り返る。話を聞いているのかいないのか少しも変化がない。
「あなたは魔族よね。あのふたりが生き返ったのはあなたのスキルのせい?」
変わらぬ笑顔のままでずりと1歩前に出てきた。
あたしを守ろうと影従魔『ルキウス』が少し前かがみになる。口を開くので答えてくれるのかと思いきやその朱い唇が紡いだのは笑い声だった。
「ほほほほほ」
笑いながらシャルラが前に出て来るのを影従魔『ルキウス』の前脚の一閃が凪いだ。空中へ数mは飛ばされ落下したと思ったら、ストーレ殿下がシャルラの手を引いて躱していた。
影従魔『ルキウス』の前脚は空を切ったのだろうか?シャルラが飛ばされた時に何か呟いたと思ったのだが思い違いだったのか。
「おっとと。シャルラは大事な交渉相手だから乱暴は困るな。ミズーリ子爵家程度の対価で僕は王位継承権1位になれるのにさ。」
ストーレ殿下がシャルラを引き寄せると共に腕の中に抱き寄せた。シャルラは変わらず意味不明な笑みを浮かべているだけだ。
あたしは影従魔『ルキウス』に追加攻撃を許可する。
ストーレ殿下にも被害が及ぶが構うもんか。こいつがあたしの、ミズーリに何をしようとしているのか分かったからだ。ミズーリを魔族に渡すなんて何を考えているのだろうか。あそこにはこの世で一番危険な物が潜んでいるのだ。
普段は柔らかな表情の影従魔『ルキウス』が魔獣の顔を見せて獰猛に襲いかかる。『ルキウス』の両腕が覆いかぶさり、強力な牙がストーレ殿下を切り裂く。
再びシャルラが何か呟くと『ルキウス』が獰猛に襲いかかるがストーレ殿下がシャルラを突き飛ばし、『ルキウス』の攻撃は又しても空振りに終わる。そこへストーレ殿下の蹴りが『ルキウス』の顔を歪ませると情けない鳴き声を上げて『ルキウス』が尻込みする。巨体の『ルキウス』にダメージを与えるストーレ殿下の身体強化はかなりの練度があるようだ。
如何に凶暴な魔獣の力と言えど相手に当たらなければ意味がない。影従魔『ルキウス』が攻撃を続け、避けられている間にあたしは影の世界へ行き、そこから魔法を放つ事にした。
「我が魔力を以て水よ、鋭利な氷槍と成りてかの魔族を穿け!」
「我が魔力を以て水よ、幾重にも重なる氷片を降らせ避ける魔族を追い、切り裂け!」
「我が魔力を以て水よ、渦巻く壁と成りて魔族の行く手を阻め!」
氷槍、氷片、水壁で魔族を攻撃する。ストーレ殿下と離れていた魔族シャルラが水壁の向こう側で叫び声を上げた筈なのに、氷槍、氷片、水壁はまるで違うところを攻撃する。
気が付けは魔族シャルラはストーレ殿下の背後に隠れていた。あたしは身体強化で飛び上がり、魔族シャルラの背後に移動して、再度魔法詠唱を始めた。
すると魔族シャルラが振り返ってこちらを見た。まさか、影になっているあたしに気付いている?
あたしは身の危険を感じて飛び退る。だが、魔族シャルラは何もしない。そう言えば魔族シャルラは先程から殺られるたびに何事か呟くだけで攻撃してこない。もしかして、攻撃手段を持たないのだろうか?
あたしは手近の木の影から現実世界へ戻ると細剣を抜いた。そして身体強化をして魔族シャルラに向かって走り出した。相からわず笑みを浮かべたまま魔族シャルラは棒立ちだ。飛び上がり全力で魔族シャルラに細剣を振るう。肩口から入った剣筋は見事に切り抜けて行く。またもや魔族シャルラが呟くとあたしは飛び上がって誰も居ないところに細剣を振るっていた。
魔族シャルラには攻撃手段がない。スキルと思われるが起こった事を無かった事に出来るようだがそれだけだと判断する。あたしだけが辛うじて知っているのは何度も経験した事でスキル『影』の力か、継承の腕輪のお陰だろう。
それなら、呟く時間も与えない攻撃をすれば良いのだ。着地と同時に飛び退ろうとして背後の魔族シャルラに気が付く。不味い、何かされる!そう思ったところで魔族シャルラがあたしの頭に手を添えて呟いた。
「Амнезия」
あたしにはその言葉が意味と同時に分かった。「アムネジア」任意の対象の記憶を消す、空間さえも出来事を忘れさせるスキルだった。
あたしの視界が暗転して世界が消えていく。巻き戻されるように記憶が思い起こされる。
ボアン邸でのリリスお姉ちゃんの家族の会話、
学園でのミッチェルさん達とストーレ殿下との会話、
ああこの時魔族シャルラは居たのか
ギアナの大穴(ダンジョン)での戦い、
魔族ガドットとの戦い、
ヘレン•ゲレルトとパメラ•ミルトンとの会話、
シエル•ルゥーフ学園長の講義、
ナサニエラさんの姉で天人の王女ウキヨエラさん、
王都第2騎士団長のジズル•ローレンに貰った報奨金、
アルメラさんやバージル先生と一緒に戦った魔族メドギラスとローデリア、
喫茶店『薔薇』の店員ジョゼさんとの他愛ない会話、
王都にある『不壊』という武器屋のドワーフのリタさんに作って貰った新装備、
ヒュドラとの戦い、
ジョージ•ジョージアと幼馴染メイサ•ブロード、
ミッチェルさんのお祖父様トビアス様の病気に効く聖女の涙を図書館で調べたこと、
王都の金融業者ゴウト会にお父様と忍び込んだ事、
王都でリリスお姉ちゃんとクロエと可愛い服を買ったこと、
サハギンのラフェさんを助けたこと、
天人ナサニエラさんとの紅茶談義、
アルメラさんとオークションへの参加、
クロエと一緒にラーミアと戦ったこと、
バージル先生から実習棟で魔法の講習を受けたこと、
『金の目』と言う男のハンターパーティとの会話、
高原でサイクロプスの幼体や山蜥蜴を狩ったこと、
お母様がダンダン伯爵騎士団長マクシミリアンに襲われて屋敷が燃え、死にそうになってエリクサーを使ったこと、
アントウーヌの森で見つけた魔女メリー様の不思議な家、
影従魔『ルキウス』との出会い、
継承の腕輪を見つけ身に着けたこと、
キラービー退治とアルメラさんの化身の凄さ、
ハンターギルドで出会った横暴なマクシミリアン•ズコー、
お母様を陰ながら守ったブラク村の戦い、
家の図書室で会った影のロザリアとお母様の森の生態系と言う本のこと、
森で会った熊獣人マタギ、
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ミズーリ領ハンターギルドのブルマント•ワイトさん、
お父様に告げられた金銭問題、
学園に入学して出会ったクロエ•オードパルファムや高位貴族のみんな、
エライザ学園の寮で会ったアマリリス•ボアン。
リリスお姉ちゃん・・・。
様々な出来事が思い出され、10歳で行われる祝福の儀に戻った。
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