Case.12 尾行
「次は長崎、長崎、終点です。本日も西九州新幹線かもめをご利用頂きありがとうございました」
あ、もう長崎か。早いな…。
博多発、午前六時半の特急リレーかもめ号に乗って、途中、武雄温泉駅で新幹線かもめ号に乗換え約二時間…、なんだかあっという間だった。
長閑な景色に見入っていたはずなのにいつの間にか熟睡してしまったようだ。
僕は、空いているとなりの席に置いていたリュックを「よいしょっ」と言いながら持ち上げると出口に向かって歩き出した。
空になったペットボトルをゴミ箱に入れ、改札を抜ける。
実は、長崎は二回目だが、前回は仕事だったことも有り、帰り際に駅前でちゃんぽんを食べたくらいで、長崎を満喫をしたとは到底言えない。だから、今回の長崎旅行ではまずメイン処は必ず回りたいと考えていた。
路面電車はこちらと書かれた方へ向かってゆっくりと歩き出す。
「あのっ、すいません!」
「あの!!」
「ちょっと…、すいません!!」
「これっ」
「落ちましたよ!?」
どうやら誰かが呼び止められてる!?
ん?まさか、僕か?
違うだろう…、はっ?いや、やっぱり僕みたいだ…。
新幹線の中でイヤフォンを耳に入れていたからか、はっきりと声が聞こえなかったのだ。
振り返ると、地面に落ちた僕の片方の手袋を女の人が拾っているところだった。
僕は、慌ててイヤフォンを外すと、彼女に駆け寄る。
「あっ、ごめんなさい。ありがとう」
「いえ。良かったです。何度か呼んだんだけどずんずん歩いていくからどうしようかなと思ってたんです」
「すいません。イヤフォン聞きながら歩いてたら駄目ですね。助かりました。ありがとうございました。では」
僕は、手袋を受け取ると、再度お礼を述べて路面電車の方へと歩いていった。
長崎駅を出ると、外は小雨が降っていた。
いや、少し霙が混ざってるみたいだ。体がぶるっとする…。随分寒い。
東京から西へ来たのに東京よりも寒いくらいだ。
僕は、ダウンジャケットの一番上のボタンを閉めると手袋をゆっくりと右手、左手とはめる。青を基調とした中に赤のラインが二本入った手袋をふと見つめる。そう言えば、さっき、拾ってくれた女の人、
僕は、ダウンのポケットから文庫本サイズの長崎観光マップを取り出しページをめくる。二ページ目に路面電車の路線図とその駅から行ける観光地が大きな写真で記載されていた。
うん、どうやら路面電車だけで、ほぼほぼ有名な観光地には行けるようだ。
僕は、まずは大浦天主堂に行くべく、丁度滑り込んで来た
ゆっくりと二両編成の小さな電車が動き出す。
休日の朝なのに、意外と乗客が多いのは、地元の足として定着しているからだろうか。
見渡すと観光客っぽいのは僕しかいない。ちょっと気恥ずかしいが、吊り手に掴まりながら観光マップをさらに読み進めていく。
大浦天主堂の白いマリア像の写真を食い入るように見ていたらあっというまに『大浦天主堂駅』に到着した。
長崎は教会が多い街のようだ。そして、少し歩くとすぐに坂にぶちあたる。小さな山々が海側にそり出してきている。街は長い年月を経て、その山々に広がっていったからだろう。だけど尾道や神戸などとは少し趣が違ってなんというか、そう、より異国な感じがしてしまうのは何故だろう。
そんなことを考えながら歩いていると少し前を行く赤い傘を持つ女性に気が付いた。あれっ?もしかしたら、さっき僕の手袋を拾ってくれた女性ではないだろうか?
あの横顔、間違い無い…。
なんとも気まずい感じがして、僕は意識的に歩くスピードを弱め、彼女との距離をとろうとした。だが、なぜか、僕がスピードを緩めると彼女も立ち止まり、元に戻すと彼女も普通に歩き出すような気がする。
そういえば、彼女は、九州弁ではなかったことに今さらながら気がついた。もしかして、どこからか旅に来ているのかもしれない。だとすれば、手袋を拾って渡した男に何故かつけられているなどと思われればかなり面倒臭いことになる。
僕は、取りあえず近くにあったお土産屋に入り、時間を潰すことにした。
ガラス細工の「ぽっぺん」と言われる郷土玩具を見て廻る。青や紫、ピンクに黄色が窓から入る光に当たりとても綺麗だ。僕はその中から一つを手に取って光に翳してみる。なんだかほんわかした気持ちになるような美しさだ。
お店の方には申し訳ないが、結構時間を潰させていただいた。「また来ます」と心にもない言葉を発すると僕は、今度こそ大浦天主堂の方へと歩いていった。
この日、僕は、雨の長崎を堪能した。
大浦天主堂、グラバー園、眼鏡橋、出島、浦上天主堂、平和公園などをのんびりと回ったが、もしかして晴れの日よりも雨の方が良かったのかもしれない。
僕は、長崎駅近くのホテルにチェックインするとホテルのすぐ近くある西坂公園に向かった。ここは、日本二十六聖人殉教地として有名な場所だ。
小雨はいつの間にか小さな雪に変わっていた。
空気も朝より随分冷えて来ている。もう、ここで今日は終わりだな。
僕は折りたたみ傘を閉じ、リュックの中に放り込むとダウンのフードをかぶりテンポ良く階段を上って行った。
ホテルに重いものを全て置いてきたので、多少身軽になっていることもあるが、心が軽いからこんなに気持ち良く登っていけるのだろう。
実は、今日一日、長崎を回っている間、
逆に、行く先々で赤い傘を見かけると「はっ」としてしまう自分がいたことがとても新鮮な感じだったのだ。
変な話だと思うけど、僕はそれがなにより嬉しかったのだ。
そうして元気よく登っていくと一匹の猫が階段の一番上から僕を見ていることに気が付いた。
飼い猫だろうか?毛もふさふさして顔もとても凛々しい。だが、尻尾がとても短いのは、恐らく生きるために多くの敵と戦ってきたからではないだろうか?
「ニヤ〜〜オ」
下手な猫真似をしてみたものの、相手は微動だにしない。
出来る限り音を立てず静かに近づいていく。でも、あと一段というところに来てもこの茶色のふっくらとした猫は逃げる素振りを全く見せない。
逆に、「お前、遅いよ」みたいな顔をしているようにも見えた。
「お前、寒くないか?大丈夫?」
僕が呼びかけると「ニヤッ」と小さく一声だけ鳴いた。
だだっ広い西坂公園には誰もいなかった。
僕は、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑を前に暫く心を無にする。
自分の信じることを反対され、力尽くで止めさせられようとしたとき、死を持ってでも自分の信念を貫き通す…、素直に凄いと思った。僕は、二十六のブロンズ像の顔の表情を一つ一つ見ながらゆっくりと左へ歩いていく。
「ニヤッ〜〜」
気が付くとあの猫が僕の後ろを付いて来ている。
僕が止まると、猫も止まり、僕が動くと猫も動く…。
まるで、僕がこの猫に尾行されているような感じなのだ。僕もつい悪ふざけをして、たまに振り返ってみる。するとその猫は「俺は知らねーよ」というかのようにぷいっと顔を逸らすのだ。
僕らのこんな寸劇をもし見ている人がいるならば、ついつい笑ってしまうだろう。
「ふふふふふっ」
突然の笑い声で僕はふと我に返った。
ブロンズ像と猫に気を取られていて、全く気が付かなかったのだが、このだだっ広い公園に誰かが登って来ていたようだ。
その人は、赤い傘を持ったまま、その猫に傘を差し出しながら「探偵ごっこ?」と話しかけた。
そして、僕の方を向くと「また、会いましたね」と優しく微笑んだ。
Case.12 尾行
終わり
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