Case.10 特売日

 毎週木曜日、僕は、自分のアーパートから徒歩五分の所にある小さなスーパーに買い物に行く。

 この日は、ミート・コーナーの和牛が表示価格からどれも四割引きとなるので、買う買わないは別にして、必ず仕事帰りに寄っているのだ。


「それにしても安いな。買っておこうかな」


 僕は、『すき焼き用の牛ロース』を手に取る。

 そして、もう片手に350ミリの缶ビールを持つとレジに向かった。テッシュやトイレットペーパーが並ぶコーナーを抜け、レジに近づいた時にいつもと違うことに気が付いた。

 今まで歯ブラシや洗剤が煩雑に置かれていた一角に『ペットコーナー』が出来上がっていたのだ。


 ペットコーナーには、犬、猫のカリカリ、缶詰、チュール、ささみ、鰹節など所狭しと並んでいる。その横には、女性スタッフが書いたのだろうか、とても可愛い丸文字で『ペットコーナー出来ました!』と書かれたA4サイズのPOPがコーナ前に置かれたスタンドに貼られている。そして、天井からは、『ペットコーナー毎週木曜日二割引』と書かれた垂れ幕が下がっている。

 これって、これからは、わざわざ大規模ペットショップに行かなくてもいいんじゃないか?しかも、値段もこちらの方が安いし、そして木曜日はさらに二割引って凄いじゃんかと思わず興奮する。


 僕は、カゴが積まれたレジ横に行きオレンジ色のカゴを取り出すと、手で持っていた肉と缶ビールを入れた。そして、身を翻すようにして、ペットコーナーに戻っていき、僕の部屋で待つ二匹の猫が喜びそうなものを次々とカゴに入れていく。


「これくらいでいいかな」


 ちょっと勢いで入れすぎた感もあるが、まっ、いっか。



「いらっしゃいませ。タイコー・カードはお持ちですか?」

「あっ、はい。あります。あれっ?何処だっけ?ちょっと待って…」

「いいですよ。ゆっくりで」

「えっと、あっ、あった。はい。これ」

「はい。ありがとうございます。あの、猫ちゃんいるんですか?」


 急に思いも寄らないワードが出たので僕の思考は一瞬停止する。

 ふと見つめた彼女は僕より少し若い感じのほっぺにそばかすがある女の子だった。肩まで伸びた少し栗色でパーマがかった髪がとても似合っている。


「うん、あっ、はい。二匹」

「あ〜、二匹なんですか〜。大変そう。でも楽しそう〜」

「そ、そうだね〜。うん。二匹が全く違う性格だから面白いよ」

「えっと、急に話しかけたりしてごめんなさい。レジ袋はどうされますか?」

「あっ、大きいやつ下さい」


 彼女は、レジ待ちの長さが気になったのか、急に仕事モードになった。


「二千四百五十円です。お支払いは…!?」

「現金で」

「それでは、五番のレジで精算をお願いします」


 精算を終え、カゴを持って移動する際にチラッと見たものの、彼女は次の客のレジ打ちを始めたところだった。

 僕は、買った物を袋に詰めると、後ろ髪を引かれるような変な気持ちのまま店を後にした。



- - - - - - - - - -


「佐和子さん!今日、やっと話す事が出来ました!!」

「え〜、いついつ?もうっ、『木曜日の彼』来たなら私にも教えてよ〜」

「だって佐和子さん、休憩中でしたし…」

「それでそれで!?」

「あのですね、どうやら猫を二匹飼っているみたいです」

「え〜!!!弥子やこちゃんと同じじゃない。これは運命ね。そう、もう決まりだわ。ふふっ。今後が楽しみね」

「だったらいいですけど…。って、佐和子さん、すぐちゃかすんだから。もう、何も教えません!」

「ふふっ。ごめんごめん。でもね、ちょっと怒った弥子ちゃんて、一段とチャーミングよ」

「もうっ」

「あのね、弥子ちゃん。もっと自信持ってよ。弥子ちゃんと『木曜日の彼』は付き合うから。絶対にね」

「なんか佐和子さんにそんなに力入れて言われたら本当にそうなるような気がするから怖いですよ〜。ふふふ」



 帰り道、ふとあの人の事を思い浮かべる。

 一体、いつからだろう…。私があの男の人を意識しだしたのは…。

 

 そうか、あれは、まだムシムシする梅雨が終わったころだったから、もう四ヶ月も前になるんだ。

 彼の髪の毛は耳と眉毛が隠れる位の長さで、時折キラッと光る真っ直ぐな髪に思わず目がいったんだっけ。

 私は、幼い頃から天然パーマに悩まされてきたから、真っ直ぐな髪の毛に憧れている…。正直、自分とは意図しない方向にくるりんと回る髪と付き合うことがどれだけ大変かをみんな分からないと思う。

 漸く、この年になって、少し落ち着いてきたけど、今も雨が降る前の日なんかはセットしようとしてもなかなかまとまらないんだよね。

 

 そんな理由もあったかもしれないな…。

 私は最初、『木曜日の彼』の何処に目が行ったかというとずばり髪型だった。

 それで彼を意識し始めて、その次に、どんなものが好みなのかを知りたくなっていった。

 肉に関してもそう。彼の好みは、もも肉ではなく肩のバラ肉でしかもサシが余り入ってないタイプだった。彼は毎回、そういう肉をカゴに入れてレジに並ぶのだった。


 二つあるレジのどちらに彼が並ぶかは運次第だけど、先月は四回連続で私の方へ並んでくれたからラッキーだったな。

 本当は、買い物カゴの中を詮索したりするのは駄目なんだよね。だけど、ついついレジをしながら彼の生活を思い浮かべてしまう。

 ごめんなさい。だって、私、貴方のことがとっても気になっているから…。というか、もう、ずっとずっと好きなんだもの。



- - - - - - - - - -


 十二月の最初の木曜日。

 今日も、僕はあの彼女のレジの列に並ぶ。


 週に一度だけど、買い物カゴに入った商品のバーコードを読ませながら、彼女は僕に話しかけてくれた。

 これまでも、寒くなりましたね〜と季節のことから会話が始まったり、僕が猫のおやつを買った時は、二匹の猫の話になった。どうやら、彼女も一人暮らしで、猫を飼っているらしい…。いや、猫を飼っているのは間違い無いが、一人暮らしでというのは僕の願望であって、定かではない。



「いらっしゃいませ」

「こんばんは」

「早いですよね〜。今年もあと少しで終わっちゃいますよね」

「ほんとだよね〜」

「あっ、猫ちゃん達、寒くなりましたけど元気ですか?」

「うん、すごく元気で困っちゃうくらいだよ」

「ふふふ。お利口さんに留守番してるんですか?」

「そうだね。僕の布団の上で二匹丸まって暖を取ってるよ」

「え〜、布団ですか!?いいな〜。猫ちゃん達」

「ん?」

「い、いえ。また、今後、ゆっくり聞かせてください…」


 ん?「布団ですか!?いいな〜」って言うのは、僕の布団で寝る猫たちが羨ましいと言ったのだろうか?


 はっと列を見ると、いつもより多くの人が並んでいた。


「レジ袋はどうされますか?」

「今日は、大丈夫です」

「はい、それでは三番の精算レジでどうぞ」


 彼女は、僕が買った商品が入るオレンジ色のカゴを精算レジまで運んでくれる。

 僕は、機械にお札を入れ、『レシート』ボタンを押して、お釣りを受け取るといつものようにもう一度、彼女の方をチラッと見て店を後にした。


- - - - - - - - - -


 「イブか…」


 それにしてもよりによってクリスマスイブが木曜日だなんて…。ほんと神様も粋なことをしてくださる。

 でも、今日、『木曜日の彼』がこの店に来る確証は全くない。もし、彼に彼女がいれば、こんな日にわざわざ特売の肉を買いに来るわけがないのだ…。


 イブだからだろうか!?

 いつもよりレジに並ぶお客様の数が少ないような気がする。恋人も、家族もみんな今ごろケーキを食べて団らんをかさねているのだろうか?閉店の二十二時まで働く私って本当に…と思いながら入口を見ると、『木曜日の彼』が小走りに店に入ってくる姿を見つけた。


 彼はイブの日も一人なのだろうか…。私の胸の鼓動が早くなっていく。


 店内に蛍の光のインストが流れ出した。

 この音楽を聴いたからだろう。彼は、入口で買い物カゴを手に取ると、足早に店内の奥の方まで入って行く。そして、五分も経たない内に、彼は私の前に買い物カゴを置いた。


「こんばんは」

「こんばんは」

「クリスマスイブですね」

「ですよね」


 私、変な顔してないだろうか?鏡でメイクや髪型をもう一度チェックしておけば良かった…。


「イチゴのショートケーキ二つとチュールが二つ、アッサムティーパック、以上五点で、九百六十八円です」

「はい。現金でお願いします」

「はい。あのっ、これからクリスマスパーティー…、なんですか?」

「ん?はい。その予定です」

「そ、うなんですか…。いいですね…」


 余りにも残酷。イブの日に彼女がいるって事なんて知りたくなかったのに…。私は、泣きそうになるのを堪えて、精算レジを案内しようとしたその時、「あのっ…、今日、もう上がりですよね?僕、向かいのセブンで君が来るのを待ってます。もし良かったら一緒に…えっと、あの、ごめんなさい。…っ、練習したんだけど…忘れちゃっ…て」


 顔を真っ赤にしながら声が小さくなって行く『木曜日の彼』を見ながら、私は、買い物カゴを三番精算レジに運ぶ。

 そして、彼だけに聞こえるように小さな声で、「誘ってくれてありがとうございます。絶対に行きます。待ってて…」と呟いた。



Case.10 特売日

終わり

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