Case.4-2 猫の爪とぎ

 自分を守る為に、そして僕を攻撃する人に対抗するため、僕は隠れて爪を研ぐ。それは、言葉だったり、腕力だったり、そして目力だったり、僕に出来る全ての防御力を鍛える為にもそれは大事な日課だった。


 いつもは隠しているこの爪がまさかこんなに尖っているとは誰も気が付かないだろう。いや、気づかせてはいけない。僕が、僕を守る為に…。



『浅日ベーカリー』の朝は早い。


 小麦粉とイースト、水、塩を入れ、優しく揉んでいく。そこに店主ご自慢のオリジナル酵母を入れゆっくりと寝かす。

 その間に、店の清掃やパンの下に敷いているラップを取り替える。お客さんが四、五名も入ると密の状態になるような小さな店だったが、提供するパンは十種類以上あり、地元ではまずまずの人気店だ。


「おう。友輔、おはよう」

「おはようございます」

「いつも綺麗に掃除してくれてありがとな」

「いや、自分はまだ出来る事が少ないので、これくらいは…」

「おう、でもな、綺麗な店にしか生まれない菌があるんだよ。その見えない菌がこの店のパンを美味しくしてくれるって訳さ。だから、おまえには礼を言ってもバチは当たらないんだよ。ははは」


 店主の浅日さんは今年六十九歳になる。浅日さんを支えるのは息もぴったりの奥さんである教子きょうこさん。確か、教子さんも今年六十五になるんだったっけ。子どもがいないせいかとても若く見える。それに、六十を超えているなんて思えない程、元気だ。


「友輔くん。おはよう。ご飯まだでしょう?ほら、おにぎり作ってるから、裏で食べておいで」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

「今日は、何が入っているでしょうか?」

「う、うーん。梅干し?」

「ブッブー。残念!今日は、じゃこでした」

「え〜〜。それ、初めてじゃないですか。じゃこって。当たるわけないでしょう!」

「ふふふふ。そりゃそうだ。じゃあ、早く食べておいで」

「はい。ありがとうございます」


 僕は毎晩、爪を研いでいる。誰かに攻撃された時の為に…。

 だけど、今は、全く使う事がないみたいだ。



「いらっしゃいませ!」


 早速、お客様が入って来た。通勤・通学途中に昼用のパンを買っていく人達が実は結構いる。


「あ〜、新作だぁ。じゃあ、これにしようかな」


 グレーのスーツに身を纏った若い女性がトングで焼きたてのパンを掴む。


「お客さん、いつもありがとうございます。このパン、ほら、そこの友輔が考えた新作なんですよ」

「え〜!そうなんですか!?凄い〜〜。これ、キッシュですよね?私、大好きなんですよ〜。お昼が楽しみだ〜」


 ある日、浅日さんに、「そろそろ友輔もオリジナルパンを考えてみないか?」と言われた日から、試行錯誤して漸く商品化出来た第一号のパン。ベーコンとブロッコリーのキッシュが早速売れた。

 僕は、何度もありがとうございますと言い、彼女が店を出て行くときも深く礼をした。

 

 ふと振り返った彼女が僕をみて、ニコッと笑った。


 この日、二十個作った僕のパンは、午後二時には全て売れてしまった。浅日さんは、「おいおい。俺のパンが売れ残って、友輔のが完売って、ちょっと悔しいぞ」と言いながら笑顔で僕の頭を叩いた。


 僕は毎晩、爪を研いでいる。

 だけど、まだそれを使う時はない…。




Case.4-3に続く

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