第八章 めくるめく脈動
第36話 拉致
♰
JR越後線の二両編成の列車が、分水駅を出発した。一時間に一本しか走っていないというのに、一両目の車両には、立花ユウカたちの他に客はいなかった。
「ユウカちゃん、顔が真っ青だよ。大丈夫?」
ユウカは、痛む左腕を抑えつつ、向かいに座る時田を睨みつける。
「うちをさらったアンタのせいだよ。どうしてくれるのよ、もう」
「それは、ゴメンって、何度も謝ったじゃん。こうするしか、なかったんだよ。いいかげん、許してよ、もう……」
「ぜったいに、ゆるさない」
ユウカの左上腕にフラグの銃弾がかすめたのは一週間前だった。かすり傷程度だから、すぐに治ると思っていたのに、いまだにズキズキとした。
見るのが怖いから、傷口は確認していないけど、きっと、膿んでいる。
時田に連れ回されて、自由にもさせてくれないし、ユウカは絶望の淵にいた。
唯一の望みは、スマートフォンを取り上げられる前に、妹に打ったメッセージである。それを見た妹の佐知が、警察に駆け込んでくれていれば、どこかで救出してもらえるかもしれない。
そうなれば、保護されたユウカの体を気遣って、病院で検査してもらえるだろうから、その時に、腕のキズを治療してもらおうと、ユウカは考えていた。
「さあ、この駅で乗り換えるから、降りようか」
ユウカは、時田に立たされ、電車を降りた。
燕三条駅前のビジネスホテルのフロントは二階にあった。
フロントでチェックインの手続きをする時田の横に、ユウカは、ベッタリとくっついた。
時田から、妙な行動をするなと脅されていたけど、この行動は、むしろ時田が喜ぶと考えた。実際、時田は、ボールペンを握って住所を記入しながら、体を揺らしている。
ユウカは、フロントに立つ女性従業員を見つめ、目で訴えた。
もし、誘拐や、家出の届け出があれば、警察は全国の宿泊施設に、顔写真や特徴などを配布しているはずである。
しかし、フロントの女性は、一度ユウカと目を合わせながら、何の行動もとらなかった。
「ダブルの部屋しか、空いてなかったんだ。ツインじゃなくて、ゴメンね」
部屋に入ると、時田が言った。鼻の下を伸ばしている。
「ぜんぜんいいよ。あなたは、床で寝てよね」
ユウカは、時田にさらわれた後、なぜこんなことをするのか聞いていた。
時田は、会社の金を横領して、辞めさせられたと言った。それだけでは無く、近々、横領罪で告発されるとも言った。
だから、一緒に逃げてほしいというのは、ただの、元キャバ嬢と客の関係なのに、虫が良すぎる。そもそも、時田とユウカは恋人同士でもなんでもない。
それでも、抵抗できなかったのは、フラグの名前を出されたから。
さらわれる時、ユウカは、時田にふとんから引き摺りだされたが、左腕から醜い汁が出て、強烈な痛みが走り、絶叫した。
時田は、強引に連れ出すのを諦め、なぜ、ケガをしているのか聞いてきた。
ユウカは、どうせ知らないだろうけどと前置きした上で、井出フラグに撃たれたと答えたところ、時田は、フラグを知っていた。
最初は、疑っていたが、フラグの身体的な特徴や、性格、裏社会の仕事まで知っていて、どうやら、ウソではないようだった。
そして、時田は、フラグを憎んでいるらしく、いつか痛い目に遭わせると言った。
いつもの時田と違って、その口調は怒気を含んでおり、わなわなと肩を震わせ、息遣いが荒々しくなった。顔を真っ赤にして、興奮する時田は、殺意すら持っているように見えた。
ユウカは、あの井出フラグに復讐しようとしている時田のことが、恐ろしくなった。
その時は……。
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