第33話 フラグの中学時代

 フラグが中学生の時、はじめて記憶を無くして暴れてしまった日――


 同級生にからかわれたところまでは覚えていた。しかし、それ以降の記憶が無かった。

 気付くと、教室の窓際の壁にもたれて、床に座っていた。

 目の前に赤い液体が広がり、教師が慌ただしく廊下を走り回っている。クラスメートは息をひそめて、遠巻きにこちらを見ている。

 泣いている女子生徒もいた。


 右手がブルブルと震え出して、何かを落とした。

 見ると、血の付いたバタフライナイフが転がっていた。今まで握りしめていたらしい。

 フラグが両手を広げると、手のひらは、真っ赤な血で染まっていた。


「おい、井出君、ちょっと、行こうか」

 見上げると、校長が立っていた。

 連れられるまま、廊下を進み、階段を下りる。その間も、他のクラスの生徒から、気宇の目を向けられた。

 サイレンの音が、聴こえてくる。その音は、どんどん近づいてきて、校舎の前で止まった。



 校長室で事情を訊かれているうち、父が現れた。後ろに何人か、黒スーツの役人を従えている。

 父は校長室に入ってくるなり、校長を廊下に連れ出した。

 廊下から、父らの話し声が聴こえてきたが、どんなやり取りをしているのかまでは、わからない。


 フラグは、不安になって、頭を掻きむしった。

 思い出そうとしても、やっぱり、何も思い出せない。何をしでかしたのか、相手にどんな怪我を負わせたのかもわからない。

 ただ、水たまりのようになっていた血の量から、易々と見逃してもらえるような事件ではないということだけは理解できた。


 しばらくすると、また父が、校長室に入ってきた。


「フラグ、帰るぞ」

 父はそう言って、フラグの腕をつかみ、廊下へと引っ張った。


「えっ? もういいの? まだ、話を聞かれている途中だったんだけど。ボク、状況を上手く説明できなくてさ……」

 父は、フラグのことは見ず、ただ、前を向いている。

 鼻息を荒くして、フラグの腕を引き、廊下を進む。

「なんか、記憶が飛んじゃったみたいなんだ。本当だよ。本当に、覚えてないんだ」

「わかった。いいんだよ、もう。気にするな」


 親心だと思った。それでも、ことの重大さから、そんなに簡単に済ませられることではないということは、フラグでもわかっている。


「いや、だって、ボク、友達を傷つけてしまったみたいで……」

「オマエは悪くない。あれは、オマエの友達なんかじゃない。あれの方が悪いんだ。だから、あれが入院しようが、死んでしまおうが自業自得なんだよ」


 学校の正面玄関に、黒いリムジンが停まっていた。

 後部座席のドアを開けて、運転手が待っている。


「ど、どういうこと? 友達はどうなったの? 死んじゃったの? う、う、嘘でしょ? ボ、ボ、ボ、ボクは、警察に捕まっちゃうの?」


「私の息子であるオマエが、警察なんかに、捕まるわけがないじゃないかっ! 何度も言わすな、フラグ! あれは、オマエの友達なんかじゃない!」


って、そんな言い方……」

「今日のところは、帰るんだ。もう、こんな学校にも来なくていい。転校だ。オマエは、特別なんだ」

 意見や反論を一切受け付けないような見幕で怒鳴る父を、この時、フラグは初めて見た。


 リムジンに乗りこみ、ドアが閉められると、父は、フラグの肩に腕を回してきた。

「いいか、フラグ。オマエは、私の息子だから、他の生徒とは違う特別待遇を受けられるんだ。それにどっぷりと甘えればいいんだ。今回のことは、なにも、気にするな」


 父のつり上がった目は、卑しいのに、なぜか輝いているようにも見えた――

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